昭和59年(1984年)8月頃
山陰本線普通客車列車(旧型客車)
・820レの京都駅到着後の動き
・820レが京都駅山陰2番線側留置線に回送
・820レから329レに変わる場面
・329レ~326レの動き、運用に関する補足
・326レから835レに変わる場面
(&過去ブログ修正85)
【投稿日 令和6年3月6日】
【他ブログとの統合等による修正 令和6年4月4日等】
【修正 令和6年4月8日等】
※以前投稿したかつての山陰本線普通客車列車(旧型客車)に関して、新たな情報が入ったため、補足説明のため今回のブログを投稿します。
※今回も昭59.2ダ改~昭60.3ダ改前の時期についての内容ですが、下記証拠写真1の撮影月が昭和59年8月となっているため、タイトルはこれに合わせています。
※令和6年4月3~4日に旧#442や旧#444等のブログの内容の一部をこちらに統合する修正を実施
1 はじめに
(1)昭和54年12月体制及び昭和59年2月体制(概要)(私見)
#347・#365・#451等のブログにて記載しているため、今回は省略します。
(2)山陰本線京都口旧型客車最終日(再掲)
昭和60年3月ダイヤ改正が昭和60年(1985年)3月14日に実施されたため、山陰本線京都口における旧型客車最終日は昭和60年3月13日になります。旧型客車廃止時期に関する詳細は、#347や#451等のブログ等をご参照ください。
(3)昭59.2ダイヤ改正~昭60.3ダイヤ改正前の山陰本線「(前略)820レ→329レ→330レ→321レ→326レ→835レ(以下略)」(一部再掲)(R6.4.3修正)
昭59.2ダ改~昭60.3ダ改前の山陰本線京都口旧型客車のうち、820レ等については、「(前略)820レ→329レ→330レ→321レ→326レ→835レ(以下略)」の順序で運用されていましたが、新たなブログ作成のためネット検索をしていたところ、下記2の通り、820レ(米子発京都行き普通客車列車、旧型客車、京都には15時11分着)が京都駅に到着後梅小路方面に一旦移動するがその後京都駅山陰2番ホームの隣の留置線に回送される動きをしていたことが判明しました。根拠資料と証拠写真は下記2にて掲載の通りです。
このことを踏まえて、820レから835レに至る当時の運用状況の資料を修正しました。その修正後の資料は次の通りとなります。
(4)今回のブログでは(R6.4.3修正)
今回は、主に、(昭59.2~昭60.3ダ改前の時期の)820レが京都駅に到着した後の回送の動き及び329レになるまでの動きを、現時点で分かる範囲で詳細に記載します。そして、329レが園部駅に到着した後から835レになるまでの動きを参考までに記載します。
2 820列車 山陰2番線側留置線へ回送等(昭59.2ダ改~昭60.3ダ改前)
(1)参考 820列車(820レ)(一部再掲)(R6.4.3修正)
昭59.2ダ改~昭60.3ダ改前の820列車(820レ)は、米子発京都行き普通客車列車(旧型客車、京都駅には15時11分に到着、両数は区間によって異なっている)で京都駅到着時点の両数は8両(園部側6両の運用番号は米9、京都側2両の運用番号は福付14。別記及び#371等のブログ参照)でした。その詳細及び各駅発車時刻一覧等については、#371等のブログをご参照ください。
(2)820列車(820レ)が京都駅の山陰2番線側留置線に回送
昭59.2ダ改~昭60.3ダ改前の場合、820列車(820レ)が京都駅に到着し機関車付け替え・梅小路方面へ移動の後、京都駅山陰2番ホームの隣にある留置線(以下「山陰2番線側留置線」と呼ぶ場合あり)にこの820レの車両が回送されました。少なくとも夕方の通勤時間帯の50系客車が京都駅山陰2番ホームに入線等する時刻までにこの回送が完了していたようです。下記証拠写真1の引用元「3-3 旧型客車(山陰)1984年8月 山陰本線夜行鈍行「山陰」と倉吉線と紀勢本線の旧客」(1980年代国鉄撮影日記さんのHP)に掲載の写真や文章及び『鉄道ジャーナル別冊№12 国鉄私鉄客車列車1984』(鉄道ジャーナル社)の820レの運用図を見比べた結果、このことが判明した次第ですが、その証拠となる写真は次の通りです。
<1>
<証拠写真1>
<引用>(1980年代国鉄撮影日記さんの写真)
※PHOTO:1980年代国鉄撮影日記
※引用元:「3-3 旧型客車(山陰)1984年8月 山陰本線夜行鈍行「山陰」と倉吉線と紀勢本線の旧客」(1980年代国鉄撮影日記さんのHP)より引用 (引用について了承済み)
※時期は昭和59年(1984年)8月、とのこと。また、引用元HPの内容から夕方頃。
※内容は、京都駅山陰2番ホームに停車中の50系客車と、隣の山陰2番線側留置線に留置中の旧型客車。
※この写真の、山陰2番線側留置線に留置中の旧型客車は、820レとして京都駅に到着した旧型客車で夕刻の329レとなる旧型客車。(引用元HPの記載内容と『鉄道ジャーナル別冊№12 国鉄私鉄客車列車1984』(鉄道ジャーナル社)に記載の820レの運用図を見比べてこのことが判明)
※引用元の「3-3 旧型客車(山陰) 1984年8月 山陰本線夜行鈍行「山陰」と倉吉線と紀勢本線の旧客」(1980年代国鉄撮影日記さんのHP)のURLは次の通りです
(6.3UP)
<2>
<証拠写真2>
<引用>
※令和4年9月の京都伊勢丹鉄道フェスティバルにて購入した写真のため撮影者及び撮影年月日不明
※場所は京都駅山陰2番ホーム、
※時期は昭和60年3月13日以前
※写真の状況等から、この50系客車は、夕方の下り50系普通客車列車と思われる。
※山陰2番ホームの隣の留置線に留置中の旧型客車は、820レとして京都駅に到着した旧型客車で、夕刻の329レとなる旧型客車。
※写真の時期は、昭和60年3月13日以前
<引用理由>
山陰本線京都口で旧型客車が運行されていた時代の夕方の下り50系普通客車列車の状況や、820レとして京都駅に到着後山陰2番線側留置線に回送された旧型客車等についてお伝えするため
※この写真は、Instagramにも投稿済み
(#306や#347等のブログにも引用)
(4.10UP)
(3)329レになる820レであった旧型客車(R6.4.3修正)
(昭59.2ダ改~昭60.3ダ改前の場合)上記(2)の過程で山陰2番線側留置線に留置されている820レであった車両は、所定の時刻になると、留置線から梅小路方面に移動し、京都駅山陰2番ホームに入線して夕刻の329列車(329レ)となりました。詳細は下記3をご参照ください。
3 その後の動き(329レ京都駅山陰ホーム入線後)
(R6.4.3~5全面修正)
※上記2では、820レから329レになる過程について記載したため、ここでは、329レが京都駅山陰ホームに入線した後の動きについて改めて記載します。👇
<昭59.2~昭60.3ダ改前>
(329レが京都駅山陰ホーム入線後)
①所定の時刻になると、329レが京都駅山陰ホームに入線します。329レは京都駅を18時56分に発車し園部駅には20時5分に到着するダイヤでした。また、両数は旧型客車8両(園部側6両の運用番号は米9、京都側2両の運用番号は福付14)でした。329レの各駅発車時刻一覧は次の通り
②329レが園部駅に到着後、折り返し330列車(330レ)となります。当時の330レは園部22時56分発で京都23時50分着、両数は旧型客車8両(園部側6両の運用番号は米9、京都側2両の運用番号は福付14)でした。330レの各駅発車時刻一覧は次の通り
③330レが京都駅到着後梅小路方面に回送され一晩留置されます(一晩留置の後、下記の通り朝の321列車(321レ)になる)。
④早朝の京都駅山陰ホーム⇒京都駅山陰2番線側留置線に、835レの米子側に連結されて米子方面に向かうこととなる「郵便車+荷物車」が留置された状態。
<早朝の京都駅山陰2番ホーム等>
<引用>(日本国有鉄道ファンさんのブログより)
※引用元:日本国有鉄道ファン氏のAmebaブログ「1985年正月三が日のいずれか 寝台普通列車<山陰> 京都」より
※撮影日は1985年正月三が日のいずれか、とのこと。場所は京都駅山陰2番ホーム。(時間は早朝)
※奥の2両の列車は「オユとマニ」とのこと
⇒つまり「郵便車+荷物車」
※参考までに、このDD51牽引客車は、機関車を付け替え発車を待つ<山陰>回送、とのこと。(⇒補足:京都駅山陰2番ホームに上り山陰号が到着後、機関車付け替え作業が実施され、この写真の状況となった)
※日本国有鉄道ファンさんの当該ブログのURLは次の通り
(6.2UP)
<参考>早朝の京都駅山陰2番線側留置線に留置中の「郵便車+荷物車」(下記の通り326レが京都駅に到着後下り側に連結)のうち、郵便車は前日夜の838レの下り側に連結されて京都駅まできた郵便車(R6.4.8追記)
⑤所定の時刻になると、先日の夜に330レとして京都駅に到着し梅小路方面に回送され、梅小路にて一晩留置されていた車両が、321レとして京都駅山陰ホームに入線します。当時の321レは京都5時50分発で園部6時46分着、両数は旧型客車8両(園部側6両の運用番号は米9、京都側2両の運用番号は福付14)でした。各駅発車時刻一覧及び勇姿は次の通り
㋐<321レ各駅発車時刻一覧>
㋑<参考 321レ勇姿>
<引用>当時の321レの勇姿
※PHOTO:1980年代国鉄撮影日記
※引用元:「3-3 旧型客車(山陰)1984年8月 山陰本線夜行鈍行「山陰」と倉吉線と紀勢本線の旧客」(1980年代国鉄撮影日記さんのHP)より引用 (引用について了承済み)
※時期は昭和59年(1984年)8月、とのこと。
※内容は、下り普通客車列車(旧型客車、321レと思われる)と上りの気動車の普通列車との交換シーン
※引用元の「3-3 旧型客車(山陰) 1984年8月 山陰本線夜行鈍行「山陰」と倉吉線と紀勢本線の旧客」(1980年代国鉄撮影日記さんのHP)のURLは別記の通り
(6.3UP)
⑥321レが園部駅に到着後、折り返し326列車(326レ)になります。当時の326レは園部7時41分発で京都8時40分着、両数は旧型客車8両(園部側6両の運用番号は米9、京都側2両の運用番号は福付14)でした。各駅発車時刻一覧や勇姿は次の通り
㋐<326レ 各駅発車時刻一覧>
㋑<勇姿>
<引用>(再掲)平日の326レ?
※引用元:京都ヨドバシ(ヨドバシカメラマルチメディア京都)の写真現像のコーナーの職員さんが撮影された写真。使用については了承を得ています。
(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)
※場所は、当時の保津峡駅付近で、鵜飼橋(うこうはし)から撮影の写真と思われる。
※この旧型客車は、「園部発京都行き普通客車列車のうち326列車」もしくは「浜坂発京都行き普通客車列車である834列車」もしくは「米子発京都行き普通客車列車である820列車」だと思われるが、編成から平日の326列車(326レ)の可能性が高い。時期は編成等から昭和59年春?
※その他詳細については記載省略。
(4.5UP)
⑦326レが京都駅到着後、「郵便車+荷物車」が米子側に連結され、835レになります。郵便車等が連結される場面は次の通り
<引用>
※引用元:『国鉄時代 Vol.73(2023-5月号) 魅惑の国鉄車両』(㈱ネコ・パブリッシング)
※引用理由:山陰本線京都口の旧型客車最終日である昭和60年3月13日まで、326レが京都駅到着後荷物車等2両が連結され835レになる運用がなされていたことを証明するため
※この引用写真は、昭和60年3月13日の京都駅
※この写真を見た限りでは、またネットに残っている他の835レの写真や上記2の早朝の写真と見比べた限りでは、DD51側が郵便車、2両目が荷物車と思われる
(6.2UP)
⑧上記の後、午前9時8分に835レは京都駅を出発します。835レの各駅発車時刻一覧や編成は次の#365等のブログに掲載しています。
5 編成の詳細について
#454のブログをご参照ください。(R6.4.7追記)
6 その他
①昭和60年3月ダイヤ改正後の経過等については、#347等のブログにも記載していますが、後日改めてブログを作成予定です。(URLは下記5参照)
7 過去ブログ修正85
(1)#347のブログの修正
#347のブログでは上記2にて引用している証拠写真2の写真を引用していますが、朝ではなく夕方の写真であることが判明したため、説明文を修正しました。
(2)#365のブログ再修正
835レについて記載した#365のブログについて、両数などの説明文について、新たに判明したことを元に再度修正しました。
(3)その他
今回のブログ投稿等により、過去ブログに引用している写真資料について、整理する必要が出てくるかもしれませんが、その場合、必要な整理をする予定にしています。
<参考文献>
・『国鉄監修 交通公社の時刻表』(1984年6月号、1985年1月号等)(日本交通公社)
・『鉄道ジャーナル別冊№12 国鉄私鉄客車列車1984』(鉄道ジャーナル社)
・『国鉄気動車客車情報(84年版)』(ジェー・アール・アール)
・『国鉄気動車客車情報(86年版)』(ジェー・アール・アール)
・『国鉄時代 Vol.73(2023-5月号)魅惑の国鉄車両』(㈱ネコパブリッシング)
・「3-3 旧型客車(山陰)1984年8月 山陰本線夜行鈍行「山陰」と倉吉線と紀勢本線の旧客」(1980年代国鉄撮影日記のHP)
・『国鉄客車ガイド』(昭和58年7月20日発行)(㈱ジェー・アール・アール)
・『鉄道ピクトリアル』(2007年2月号)(㈱電気車研究会)
・旅一郎氏のYouTube動画「【語り】昭和60年3月ダイヤ改正前日」等
・kumoha54氏等のYouTube動画
・DFアローホームページ
・各種旧Twitter情報
・ウイキペディア
・10th 3rd enpedia「荷物列車」
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誤字脱字等があればその都度訂正します
本日も最後までご覧いただきありがとうございました