かつての
山陰本線上り旧型客車のうち
820列車(820レ)
(ダイヤと両数は昭和59年6月)
【投稿日 令和5年6月4日】
【修正等 令和6年4月4日等】
1 はじめに
(1)昭和54年12月~昭和60年3月の山陰本線京都口普通客車列車
昭和54年12月から昭和60年3月ダイヤ改正前の山陰本線京都口では、非常に多くの旧型客車と非常に多くの50系客車が運行されていました。詳細については、#347等のブログ(URLは下記4の通り)にて記載していますので、今回は省略します。
(2)個人的事情等及び今回のブログでは
個人的事情で恐縮ですが、当時の山陰本線京都口旧型客車のうち820レについては、私自身が小学校5年の時一人で乗車した経験があります(#㋐48のブログ参照)
今回は、米子発京都行き普通客車列車でDD51牽引の旧型客車である820列車(820レ)について記載します。各駅発車時刻一覧については、1984年6月の時刻表を元に記載します。(R6.3.14修正)
※#347等のブログで記載の通り、また下記3以降で記載の通り、昭和59年2月ダイヤ改正~昭和60年3月ダイヤ改正前の820レについては座席車のみで荷物車等は連結されていませんでした。詳細は下記及び#347等のブログをご参照ください。また、#㋐48、#147、#251、#306等のブログについてもご参照ください。(URLは下記4等参照)
2 昭59.6頃 820列車 各駅発車時刻及び両数等
※上記1のとおり山陰本線京都口では、昭和60年(1985年)3月ダイヤ改正までDD51が牽引する旧型客車が普通列車として多数運行されており(青塗装だけでなく茶塗装の旧型客車も運行)、そのうちのひとつが820列車(820レ)でした。この820レは、早朝に米子駅を発車し、午後に京都駅に到着する列車でした。(R6.3.25簡略化)
※昭59.2 〜昭60.3の時期の米子発京都行き普通客車列車(旧型客車)の両数は、米子〜倉吉間は8両、倉吉〜豊岡間は6両、豊岡〜京都間は8両でした。(R6.3.25追記)
※各駅発車時刻一覧や両数に関する資料は下記の通り
(1)昭和59年6月 各駅発車時刻一覧
(2)編成・両数(R6.3.25追記、R6.4.4差し替え)
3 820列車勇姿
上記2にて記載した、米子発京都行き普通客車列車でDD51牽引の旧型客車である820列車(820レ)の勇姿を掲載します。
(1)米子~倉吉間
(1984年5月)
<引用>
※引用元:DFアローホームページ。この写真は、DFアロー中原研二氏が撮影。
※1984年5月6日の下北条⇒倉吉間を走行する820列車(820レ)、とのこと。
※DD51の次位の「DE10+旧型客車2両」は倉吉線で運行される列車の回送(「DE10+旧型客車2両」は倉吉で切り離される)、とのこと。
(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)(R5.7.23修正)
※この写真の820レには荷物車等が連結されていない。⇒この写真から、昭和59年2月~昭和60年3月ダイヤ改正前の820レには荷物車等が連結されていなかったことを証明。
※当時の倉吉⇒豊岡間の820レは、座席車は6両
※この日は1両増結されていた様子。
(5.5UP)
DFアローホームページのURL
・https://www.apionet.or.jp/DF5051/dd51/dd51_08.htm
・
(2)倉吉駅
【参考】1976年の820レ
<引用>(R5.7.28追記)
※引用元:DFアローホームページ。この写真は、DFアロー中原研二氏が撮影。
※1976年7月24日の倉吉駅における820列車(820レ)、とのこと。
(詳細について記載省略)
DFアローホームページのURL
・https://www.apionet.or.jp/DF5051/dd51/dd51_08.htm
・
(5.7UP)
(3)柴山駅
<参考 柴山駅>
<引用>1985年1月の場合
【時刻表(1985年1月号)によると】
— Toshinori.Saito2(鉄道垢) (@ToshinoriSaito2) December 25, 2022
①820列車は米子4時35分発で京都15時11分着
②特急あさしお2号は米子7時発で京都12時22分着
【参考】
※1985年1月号⇒特急あさしお2号が米子発京都行き
※1985年3月号⇒特急あさしお4号が米子発京都行き
※旧型客車廃止時期等について今回は記載省略 https://t.co/UhrodGskgS
<参考>
<引用>
次の城崎かすみ氏のツイートは、米子発京都行き普通客車列車(旧型客車、820レ)を追い越す特急あさしお2号に関するツイート。場所は山陰本線柴山駅、とのこと。
— Toshinori.Saito2(鉄道垢) (@ToshinoriSaito2) December 8, 2021
昭和60年3月ダイヤ改正で山陰本線京都~福知山間については旧型客車が消滅。 https://t.co/P5WbOf7YFA※ツイートのリンクをコピーの方法で引用
(4)福知山市内
<参考>
<引用>
※ヤフオクで入手したオレンジカード
(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)
※浜坂発京都行き普通客車列車?もしくは米子発京都行き普通客車列車である820レ?
※場所は京都府福知山市と思われる。
【参考】
<土師川橋梁>
昭和59年1月以前のため荷物車等が連結されていますが、1982年の820レの勇姿を参考までに引用します。
※別記の通り、昭和59年1月以前の820レについては、荷物車等が連結
<参考>
<引用>京丹会交通写真博物館さんの写真
※引用元:京丹会交通写真博物館さんのツイート
(使用については了承を得ています)
※この写真は、京都府福知山市の土師川橋梁(山陰本線福知山~石原間)であるが、時期は1982年頃で、「DD51(米子車)+旧型客車10両(座席車8両、荷物車等2両)」、とのこと。
(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)
この旧型客車は、1982年の米子発京都行き普通客車列車である820列車(820レ)。詳細については記載省略。
(京丹会さんのツイート)
ツイートは次の通り
【#餡子熊王編】
— 京丹会交通写真博物館 (@Fukuyama_Masaji) October 30, 2021
北近畿地区 国鉄時代回想㉛
1982年頃
DD51(米子車)+旧型客車10両 山陰本線 福知山-石原
この列車は米子発京都行きで、約9時間かけて走る長距離鈍行だ。
まだまだ茶色の客車も多く活躍していた。 pic.twitter.com/LslgiYRDqn※ツイートのリンクをコピーの方法で添付
(4.5再UP)
<参考>
※京丹会さんのプロフィール欄のURLは次の通り
https://twitter.com/Kyotam_kai?s=20&t=Ff0oJpEvycA9QLDgjmL1bQ
(5)保津峡
<参考>
<引用>1978年8月の保津峡
※撮影者:二村高史氏(使用については了承を得ています)
※引用元:Futamura takashi氏がTwitterに投稿されたツイート
※内容は、1978年8月の保津峡における820レ、とのこと。
※引用元のツイートは次の通り
すみません、大訂正。820レ米子発京都行きで、昼下がりの保津峡でした。撮影は1978年8月。確かに1979年3月に「山陰」に乗っていますが、そのときは撮っていませんでした。
— Futamura takashi (@ftdagashi) May 15, 2023※ツイートのリンクをコピーの方法で引用
(R5.6.28追記)(5.6UP)
<参考>
<引用>(座席車8両の旧型客車)
※引用元:京都ヨドバシ(ヨドバシカメラマルチメディア京都)の写真現像のコーナーの職員さんが撮影された写真。使用については了承を得ています。
(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)
※場所は、当時の保津峡駅付近で、鵜飼橋(うこうはし)から撮影の写真と思われる。
※この旧型客車は、「園部発京都行き普通客車列車のうち326列車」もしくは「浜坂発京都行き普通客車列車である834列車」もしくは「米子発京都行き普通客車列車である820列車」だと思われる。編成から平日の326列車(326レ)の可能性が高いが、820列車の可能性も高い。時期は編成等から昭和59年春?(R5.7.29修正)
※当時の326列車や820列車等は、座席車8両の編成。
※その他詳細については記載省略。
※#347等のブログでも引用
<参考>
<引用>(座席車8両の旧型客車)
※引用元:京都ヨドバシ(ヨドバシカメラマルチメディア京都)の写真現像のコーナーの職員さんが撮影された上記写真を加工した写真。使用及び加工については了承を得ています。内容は(保津峡駅付近の)座席車8両の上り旧型客車。
(4.5UP)
<引用>
※京都ヨドバシ(ヨドバシカメラマルチメディア京都)の写真現像のコーナーの職員さんが撮影された写真。使用については了承を得ています。
(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)
※場所は、当時の保津峡駅。この旧型客車は「米子発京都行き普通客車列車」である820列車(820レ)だと思われる。
※昭59.2〜昭60.3の820レは、豊岡~京都間の両数は座席車だけで8両。つまり、この保津峡駅の写真の旧型客車は8両編成のため、昭和59年2月~昭和60年3月ダイヤ改正前の820レ。
※その他詳細については、今回は記載省略。
(R5.7.29、R6.3.25修正)
(4.5UP)
<参考>
次の引用写真は、昭和57年(1982年)11月の834レもしくは820レの写真ですが、参考までに引用します。
<引用>
※ヤフオクで入手、出品者了承済み(加工についても了承済み)、転載等禁止
※出品者によると、撮影日は昭和57年11月21日で、場所は山陰本線保津峡~嵯峨間、とのこと。機関車はDD51。
※#347や306等のブログでも引用
(4.10UP)
4 参考資料
次のブログについてもご参照ください。
<当時の旧型客車等概要>
※当時の一般の方の思いや京都鉄道博物館における展示等も記載
<令和3年8月南丹市立文化博物館での展示>
※昭和55年2月の園部駅付近における旧型客車と50系客車の写真等が展示されていた旨等を記載
<私が一人で820レに乗車した際のブログ>
<私自身の最後の山陰線旧型客車乗車>
<令和3~5年 DD51牽引のDL「やまぐち」号運行の意義等>
5 その他
(1)旧型客車廃止に関して
※山陰本線京都~福知山間及び山陰本線出雲市以西で旧型客車が消滅するのは昭和60年3月ダイヤ改正です。このダイヤ改正から昭和63年9月まで、上記820レのスジのうち「福知山⇒京都」間は福知山発京都行き普通客車列車である838レとして運行されました(S60.3.14~S61.10は50系7両、S61.11~S63.9は12系7両)。詳細は#248等のブログをご参照ください。
※山陰本線福知山~出雲市間の旧型客車最終日は昭和61年10月31日(山陰本線全線で旧型客車が消滅するのは、昭和61年11月ダイヤ改正)。詳細については過去に投稿済みのブログをご参照ください。
※山陰本線京都口の普通客車列車に12系客車が投入された昭和61年11月ダイヤ改正及びその後の経過については、#347や#248等のブログをご参照ください。
(2)昭和63年10月山陰本線京都口普通客車列車大幅削減及びその後の経過について
上記#347、#248、#183等のブログご参照ください。山陰本線近代化等の資料については、#346・#347等のブログをご参照ください。
<参考文献>
・『国鉄監修 交通公社の時刻表』(1984年6月号、1985年1月号等)(日本交通公社)
・『鉄道ジャーナル別冊№12 国鉄私鉄客車列車1984』(鉄道ジャーナル社)
・『国鉄気動車客車情報 84・86年版』(ジェー・アール・アール)等
・kumoha54氏等のYouTube動画
・DFアローホームページ
・京丹会交通写真博物館さんやFutamura takashi氏のツイート等Twitter情報
・ウイキペディア
・10th 3rd enpedia「荷物列車」
<参考 Pick>
※追記すべき旧型客車の写真が出てくれば、追記する予定です。
※誤字脱字等があれば、その都度修正します。
※引用箇所について転載等禁止
※今後書籍化のための修正を行う可能性あり
※本日も最後までご覧いただきありがとうございました。