美人局・人売り・文書偽造等を成敗した

織田信長

(織田信長の正義感3)

(織田信長11)

※個人的見解、私見も多く記載

※歴史学者から非難の声が上がるかも?

※今回のブログ内容は、全ての発達障害者に当てはまるわけではありません。

【投稿日 令和5年4月20日】

【追記   令和5年4月26日】

 

 

1 はじめに

(1)アスペルガー症候群の特性

 アスペルガー症候群の人は次の通り、正義感が強い、独自の正義感を持っている場合も多い、と一般的に言われているようです。

 

 

(2)織田信長の場合(私見)

 戦国時代のアスペルガー当事者である織田信長についても、太田牛一著『信長公記』やルイス・フロイス著『完訳フロイス日本史』に信長自身のアスペ特有の正義感と思われる記述が出てくるため、アスペ特有の正義感があると考えられます。当ブログでは、#㋐16「障害者に優しい織田信長」、#㋐38「セクハラ男を自ら成敗した織田信長」でその一例を次の通り記載しています。

<正義感1>

※山中の猿と呼ばれた、今でいう障害者を信長が救済等したことについて記載

 

<正義感2>

※仕事をサボって女性に今でいうセクハラ行為を行う男を信長が自ら成敗したことについて記載。

 

<参考>

 織田信長がセクハラ男を自分で成敗する場面は、平成4年のNHK大河ドラマ「信長 KING OF ZIPANGU」の二条城建築の場面でも出てきます。

 

 今回は、人売り女の成敗、美人局の成敗、文書偽造を行った者の成敗等の事例について新たに取り上げることで、信長のアスペルガー特有の正義感の一例について見ていきたく思います。また、今回の内容は、比叡山延暦寺焼き討ちや竹生島事件の再分析等で必要になる内容ではないか、と考えています。(私見)

 

(R5.4.26追記)

太田牛一著『信長公記』では、「成敗」については「死罪」の意味で使用されている、とのことなので(明智憲三郎氏著者等参照、#㋐24のブログ参照)、当ブログにおいても「成敗」は「死罪」「処刑」の意味で使用します。

 

 

 

2 織田信長、住阿弥等を行いが悪いので成敗

(1)原文太田牛一著『信長公記』)

 

<引用>

※引用元:『信長公記』(太田牛一著)巻11。

※時期は、天正6年(1578年)10月2日(旧暦)

 

(2)要約(私見)

 上記(1)で引用の箇所について要約すると次の通りになるかと思います(私見)

『信長公記』(太田牛一著)巻11 

天正6年10月2日住阿弥等成敗の箇所の要約(私見)

 

 住阿弥の、信長留守中における行いが悪いため、信長は住阿弥を成敗した(住阿弥の行いについての具体的な内容は不明?、多分信長がいない時は仕事をまじめにしない、誰かにマウントを取る等の内容だと思われる?)。また、長い期間召し使われていたさいという女性についても、信長留守中の行いが悪いため成敗された

 

※『現代語訳信長公記』(ちくま学芸文庫)等も参考にして要約しましたが、自分なりに要約したため、『現代語訳信長公記』とは少し異なった要約になっています。

 

(3)上記(1)・(2)から読み取れる織田信長の正義感(私見)

<織田信長の正義感(例)(私見)>
 
 信長が不在だからといって行いが悪いのは絶対に許せない。
裏表のある人は絶対に許せない、裏表のある人や腹黒い人は大嫌い。

 

 

 

 

3 織田信長、井戸才介を文書偽造等で成敗

(1)原文太田牛一著『信長公記』)

 

<引用>

※引用元:『信長公記』(太田牛一著)巻12。

※時期は、天正7年(1579年)7月19日(旧暦)。

 

 

※無奉公⇒Weblio古語辞典によると、まじめに主人に仕えないこと、方向を怠けること、等の意味。

※謀書⇒文書偽造

 

(2)要約(私見)

 上記(1)で引用の箇所について要約すると次の通りになるかと思います(私見)

『信長公記』(太田牛一著)巻12 

天正7年7月19日井戸才介成敗の箇所の要約(私見)

 

 井戸才介(将元(まさもと))は妻子を安土に住まわせず、本人もあちこちの家を渡り歩き安土でもまじめに仕えない(まじめに仕事をしない)有様であるうえ、先年(天正6年)に文書を偽造して深尾和泉守の片棒を担ぐことがあった。そのようなことが重なり、織田信長は信忠(信長嫡男)に命じて、岐阜において津田与八・前田玄以・赤座七郎右衛門に井戸才介を成敗させた。⇒信長は、まじめに仕事をしないうえ文書偽造等を行った井戸を成敗した。

 

ギザギザギザギザ

※『現代語訳信長公記』(ちくま学芸文庫)等も参考にして要約しましたが、自分なりに要約したため、『現代語訳信長公記』とは少し異なった要約になっています。

 

(3)上記(1)・(2)から読み取れる織田信長の正義感(私見)

<織田信長の正義感(例)(私見)>
 
まじめに仕事をしなかったり、文書偽造等の悪事や不正をすることは絶対に許せない。
悪いことをした人の片棒を担ぐことも絶対に許せない。

 

 

 

 

4 織田信長、人身売買を成敗

(1)原文太田牛一著『信長公記』)

 

<引用>

※引用元:『信長公記』(太田牛一著)巻12。

※時期は、天正7年(1579年)。

※この引用箇所の前半部分が、人売り女を成敗する話

 

 

 

(2)要約(私見)

 上記(1)で引用の箇所について要約すると次の通りになるかと思います(私見)

『信長公記』(太田牛一著)巻12 

天正7年人売り女成敗の箇所の要約(私見)

 

 下京場場町の木戸番をしている者の女房が長年多くの女をだまして和泉の国堺の町に売り飛ばしていることを聞きつけ、(京都所司代の)長井春長軒がこの女房を召しとらえて糾明したところ、「80人もの女を売った」と自白した。その結果、人身売買を行っていた女房を成敗した

 

※『現代語訳信長公記』(ちくま学芸文庫)等も参考にして要約しましたが、自分なりに要約したため、『現代語訳信長公記』とは少し異なった要約になっています。

 

(3)上記(1)・(2)から読み取れる織田信長の正義感(私見)

<織田信長の正義感(例)(私見)>
 
 人身売買のような悪事は絶対に許せない(信長は、京都所司代にこのような悪事を行う者を厳罰に処すよう厳命していたものと思われる)

 

 

 

5 織田信長、文書偽造の町民を成敗

(1)原文太田牛一著『信長公記』)

 

 <引用>

※引用元:『信長公記』(太田牛一著)巻12。

※時期は、天正7年(1579年)10月1日。

※惟任日向守:明智光秀のこと

 

(2)要約(私見)

 上記(1)で引用の箇所について要約すると次の通りになるかと思います(私見)

『信長公記』(太田牛一著)巻12 

天正7年10月1日信長文書を偽造して直訴の町人を成敗

の箇所の要約(私見)

 

 天正7年10月1日、山崎の町人が先年(天正6年)に、明智光秀と村井春長軒の前で決着がついた訴訟について文書を偽造して信長に直訴した。信長がこのことを村井に尋ねたところ、訴訟の判決の内容を信長に申し上げた。信長はそれを聞き「けしからぬこと」と激怒し、文書を偽造した町人を成敗した

 

(3)上記(1)・(2)から読み取れる織田信長の正義感(私見)

<織田信長の正義感(例)(私見)>

 

 文書偽造等の不正は絶対に許せない

 

 

 

6 織田信長、留守中に仕事をサボった女房等を成敗(竹生島事件)

(1)概要

 天正9年(1581年)4月10日、信長は竹生島参詣を行いました。日帰りで安土城に戻ってきましたが、安土城で仕事をサボって寺参り等に出かけた女中等を信長が成敗する事件が起こりました。これは竹生島事件と呼ばれていますが、これについても信長の正義感が表れています。竹生島事件については#㋐24のブログで取り上げていますが、信長の正義感について明らかにするため再度記載しようと思います。

天正9年4月10日 竹生島事件概要

 

織田信長は小姓5~6人を連れて竹生島参詣を行った。日帰りで帰る旨伝えなかったため、安土城に仕える女房(いわゆる女中)等は、信長は一泊すると勘違いして仕事をサボり寺参り等に出かけてしまった。ところが実際には信長は日帰りで安土城に戻り、女中等が仕事をサボって勝手に寺参り等に出かけたことを知り大激怒、仕事をサボって寺参り等に出かけたり遊び惚けたりしていた女中全員を成敗した。また、仕事をサボって寺参り等に出かけた女中をかくまった寺の長老も成敗した

 

※『信長公記』(太田牛一著)巻14の竹生島事件の箇所を要約 

※竹生島事件に関する詳細は#㋐24のブログをご参照ください。

 

 

(2)上記(1)から読み取れる織田信長の正義感(私見)

<織田信長の正義感(例)(私見)>
 
信長が不在だからといって仕事をサボることは絶対に許せない
信長が不在だからといって仕事をサボる人の肩を持つこと絶対に許せない

 

 

 

7 織田信長、美人局を成敗

(1)原文太田牛一著『信長公記』)

 

<引用>

※引用元:『信長公記』(太田牛一著)巻14。

※時期は、天正9年(1581年)12月5日(旧暦)。

 

 

(2)要約(私見)

 上記(1)で引用の箇所について要約すると次の通りになるかと思います(私見)

『信長公記』(太田牛一著)巻12 

天正9年12月5日 美人局事件の箇所の要約(私見)

 

 近江の国(現在の滋賀県)永原の並びの野尻の郷に住む僧侶・延念の元に、蜂屋の郷の八という男が(美人局を企て)延念の寺へ若い女性を雨の降る夕刻に送り込んだ。延念は「迷惑である」と拒否したがこの若い女性は庭の隅で火を起こして暖を取っていた。そこへ(悪い)男どもが寺に押し入って「寺に若い女性を留める行為は僧侶としてとんでもないこと」等と言いがかりをつけ、金銭をたかった。延念が拒否すると、その悪人の男は延念をからかった。代官の野々村三十郎と長谷川竹の二名は美人局を行った悪人を取り押さえ、美人局を糾明のうえ成敗した。

 

 

(3)上記(1)・(2)から読み取れる織田信長の正義感(私見)

<織田信長の正義感(例)(私見)>
 
 美人局(つつもたせ)のような悪事は、正義に反する行為なので絶対に許せない(信長は、京都所司代にこのような悪事を行う者を厳罰に処すよう厳命していたものと思われる)

 

 

 

 

8 織田信長のアスペ特有の正義感 まとめ

 

<織田信長の正義感(まとめ)(私見)>

 

まじめに仕事をしない、特に見えないところでサボることは絶対に許せない

⇒裏表のある人や腹黒い人が大嫌い

 

美人局・人身売買・文書偽造などの悪事や不正は絶対に許せない

 

 

 

 

9 参考までに私見

 最近の論調の中で、信長は自分より能力のある人を嫌っている、という論調がありますが、太田牛一著『信長公記』を見る限りそれを示す箇所は出てこないと思われるため、それは違うのではないか、と私は考えています。(私見)

 しかし、上記の通り、信長は裏表のある人や腹黒い人が大嫌いであったことは確かだと考えています。(私見)

 

 

 

10 その他

 他にも、信長自身のアスペルガー特有の正義感ではないか?と考えられる箇所が、太田牛一著『信長公記』にも出てきます。比叡山延暦寺焼き討ち、足利義昭に送った17か条の意見書、佐久間信盛追放、安土宗論等がそれに該当します。また、徳川信康切腹命令も織田信長のアスペ特有の正義感が表れていると思います。これらについては後日改めて記載します。(私見)

 また、織田信長は、弾正忠を父信秀から引き継いでいます。このことは、信長自身の正義感と非常に関連が深いと思われますが(私見)、これについても、後日改めて記載します。

 

 

【参考文献】

・『信長公記』(太田牛一著)(角川文庫)

・『完訳フロイス日本史』(ルイスフロイス 松田毅一・川崎桃太郎訳)(中公文庫)

・『現代語訳 信長公記』(太田牛一著、榊山潤訳)(ちくま学芸文庫)

・ウイキペディア

・『ねずさんの今こそ知っておくべき徳川家康』(小名木善行著)(徳間書店)

・『徳川家康弱者の戦略』(磯田道史著)(文春新書)

・『織田信長435年目の真実 』(明智憲三郎著)(幻冬舎文庫)

・「大人になり気づきやすい発達障害 「ADHD」「ASD」の見極め方とは 大人の発達障害の見極め方と対処法【第2回】」(日経ヘルス)

ギザギザギザギザ

 

 

【参考】

 想定外の出来事で信長自身ががアスペ特有のパニックを起こし大癇癪となったが、適切な対応により信長の癇癪(かんしゃく)をしずめることができた事例、即ち場面転換に関する事例については、次のブログをご参照ください。

 

 

 

 

 

<Pick>

 

 

 

 

 

 

今回の記載内容を覆す一次史料が出てきたり指摘されたりした場合は、確認の上必要な訂正を行う予定です。

 

誤字脱字等があれば、その都度訂正します。

引用箇所について転載等禁止

本日も最後までご覧いただきありがとうございました。