織田信長自身のアスペルガーが竹生島事件の原因①

~織田信長、安土城にてアスペ特有のパニック&癇癪~

【竹生島事件①】

(アスペルガー特有のパニックと癇癪)?

(織田信長4)

(証明編)(分析編)

※個人的な見解も含んでいます。

【投稿日 令和3年12月12日】

【修正等 令和5年4月26日等】

 

 

1 はじめに①

(1)アスペルガー症候群の特性

<アスペルガー症候群の特性>

今回のブログで関係のあるアスペルガー症候群の特性は次の通りです。

誰も予測できないような思いがけない行動を起こす

予定外のことが起こるとパニックになる。

思い通りにならなければ癇癪(かんしゃく)を起こす自分の言うことを聞かなかったら癇癪を起こしたり暴れたりする場合がある

コミュニケーションが苦手。ほうれんそう(報告・連絡・相談)が苦手。

正義感が強い

相手の気持ちがわからない

 

<参考>

※#㋐2のブログもご参照ください。

 

 

 

(2)発達障害者と癇癪

 私自身も発達障害者特有の癇癪で家を壊したりしたことが多々あり人のことが言えないのですが、発達障害者の中には、癇癪を起す人も実際にいます。

   また、発達障害者の言うことを拒否した結果、その発達障害者が癇癪(かんしゃく)を起こしたり暴れたりする事例もあります。

    他の方のブログですが、例えば次のブログにそれらの事例が掲載されています。。

 

<ASDとADHDのまるちゃん日記のブログ>

 

※こちらのブログには、早く釣りに行こう、と言われ、16時ころから行こう、と提案したら、「今すぐ行くんじゃ-」とソファをガンガン蹴ってくる旨の記載があります。

 

<自閉症娘をもつママの個育て記録のブログ>

<R4.9.2追加引用>

※夢の国であるはずの東京ディズニーランドで、自閉症児の次女が突然癇癪を起こし地獄の国になってしまった旨記載。自閉症児の次女の癇癪で、乗りたい乗り物も乗れず、食事もままならず、大変な事態になった旨記載。現在見ることができないため、このような形で引用。

ギザギザギザギザ

 

 

 

 

<発達障害の息子とグレーゾーン娘の子育て奮闘記のブログ>

 

 

※こちらのブログには、発達障害の息子さんが100均で折り紙を買いたいと急に言ってきたが事情により行けないため断ったら買いに行きたいとパニック状態になった旨の記載があります。

 

 

<息子よ、その理不尽さは発達障害のせいなのか?のブログ>

 

 

※こちらのブログには、発達障害の息子さんが、ゲームに高額課金しろと言いだし、無理と断ったら暴れだした旨の記載もあります。

 

 

<自閉症児のオカンの日記のブログ>

 

※親サイドが家からいなくなり(外に逃亡し)、子供サイドが大暴れした旨の記載もあります。

 

 

<マイペース自閉症アラジンの子育て日記のブログ>

 

※こちらのブログには、(要望通りに)車の模型を買わないと家で暴れる20歳の男性に関する話も出てきます。つまり、思い通りにいかないと癇癪を起こす発達障害者の話も記載されています。

 

(R4.3.2追記)

※こちらのブログには、発達障害者の息子が癇癪を起こしタブレットを投げつけたりものを壊したりする様子が記載されています。

 

(R4.8.31追記)

※自分の思い通りに進まなかったため癇癪を起こし新築の家の壁を破壊した趣旨のことが記載されています。

 

 

 

 

(3)竹生島に関して

①令和3年(2021年)の場合

 次のブログで投稿した通り、現在(令和3年)においては、「京都駅~竹生島は往復で約8時間ほど(最速)」、ということになります。

 

 

 

 

<参考(再掲)>

※令和3年11月5日長浜港観光船乗り場にて自分で撮影

 

②戦国時代の場合

 下記2の引用資料(太田牛一著『信長公記』)の通り、安土から竹生島に参詣する場合、普通は1泊する必要がありました。安土、長浜、竹生島位置図は次の通りです。

<引用>

※引用元:『織田信長 不器用すぎた天下人』(金子拓著)(河出書房新社)P28

※引用理由:安土の位置と竹生島の位置を確認する必要があるため

※近江国は現在の滋賀県。

 

<個人的見解>

 ネットで確認すると、戦国時代の場合も安土から竹生島へ行くのに日帰りで行くことが可能、との見解があります。しかし、当時は、陸路は徒歩もしくは馬で移動するしかなく、琵琶湖を船で移動するには風の力もしくは人力で船を動かすしかないため、安土から竹生島に行く際は、下記の引用史料に記載されている通り、通常は1泊する必要があるものと考えています。

 

 

(4)安土城内位置図

 今回のブログの内容について理解していただくためには、安土城内の位置図についても知ってもらう必要があるため、その史料を引用します。

<引用>

※引用元:『織田信長』(池上裕子著)(人物業書)のP143

※引用理由:信長が住んでいた天主(ピンク)と、今回出てくる二ノ丸(黄色)の位置を確認する必要があるため

 

 

(5)織田信長の癇癪(かんしゃく)に関して

 織田信長に関する1次史料である、太田牛一著の『信長公記』には、信長のアスペルガー特有の癇癪(かんしゃく)に関する話も出てきます。いわゆる竹生島事件(以下単に「竹生島事件」と呼ぶ)もそのひとつです。今回は、竹生島事件について取り上げることにより、信長のアスペルガー症候群の状況について見ていきたく思います。

 

 

 

 

2 織田信長の竹生島参詣及び安土城帰城後の竹生島事件

(R4.8.31等修正)

 

<「信長公記 竹生島事件の箇所」の原文>

 織田信長は天正9年(1581年)4月10日、お小姓衆5,6人を連れて竹生島を参詣しました。信長は、日帰りで安土に戻り、竹生島事件が起こります。竹生島事件については、信長に関する1次史料である太田牛一著『信長公記』(以下単に「信長公記」という場合あり)の中の、「『信長公記』巻14の竹生島事件の箇所」(以下単に「信長公記 竹生島事件の箇所」という)に書かれているため、その該当箇所を引用します。

<引用>(「信長公記 竹生島事件の箇所」)

※引用元:『信長公記』(太田牛一著)巻14。(竹生島事件について書かれた箇所)

※引用理由:今回のブログを書くにあたり、『信長公記』(太田牛一著)の中の竹生島事件について書かれた箇所を引用する必要があるため

※女房は、Wikipediaによると、奥向きの女官もしくは女性使用人、とのこと。

 

 (R5.4.26修正)

 ※「成敗」について、『織田信長 四三三年目の真実』(明智憲三郎著)(幻冬舎)及び『織田信長435年目の真実』(明智憲三郎著)(幻冬舎文庫)によれば、『信長公記』においては死罪の意味で使われているようである、とのこと。そのため、当ブログにおいても、「成敗=死罪」と解釈することにします。(R5.4.26修正)

 

 


3 証明・分析及び要約等(個人的見解)(R4.8.31書き方修正)

(1)「信長公記 竹生島事件の箇所」の前半部分…証明&分析(個人的見解)

<①証明1>

 「遠路であるから今日は長浜にお泊りになるであろう」と城に仕える者が思ってしまったことから、信長は日帰りで戻ることを言わずに竹生島に向かった、ということが言えます。これは、私の経験から、「ほうれんそう」の苦手なアスペルガー症候群がよくやることであり、このことから信長はアスペルガー症候群であることを証明できます。

 

<②アスペの視点から分析1(個人的見解)>

 信長は日帰りで戻ることを言わずに竹生島に向かったわけですが、もし信長が日帰りで戻ることをきちんと伝えていれば、遊びほうけたり勝手に桑実寺に参詣に行ったりする人は現れなかったわけです。即ち、竹生島事件は、信長自身の行動が原因で生じた「アスペルガー特有のトラブル」という見方もできるかと考えます。

 

<③証明2>

 当時、安土から竹生島に行くには通常は1泊する必要があるにもかかわらず、信長は日帰りで安土に戻るという誰も予測できないような思いがけない行動をとりました。このことからも信長はアスペルガー症候群であることを証明できます。
 

 

(2)「信長公記 竹生島事件の箇所」の後半①…アスペの視点から分析(個人的見解)

 信長が竹生島から安土城天主に戻ってみると、天主に仕える女性使用人はほぼ誰もいない状態でしたが、信長公記には、その場面について、単に「城(天主)に仕えるものはびっくりして慌てふためき取り乱す有様となった。」旨記載されているのみです。この部分をアスペの視点から自分なりに分析して解釈すると、次の通りになると考えます。

 

<「信長公記 竹生島事件の箇所」の後半① 解釈(個人的見解)>

・城に仕えるものは信長が日帰りで帰城するとは夢にも思っていなかったため(つまり、信長は、誰も予測できないような思いがけない行動をとった)、信長が日帰りで城に戻ったことを聞いて皆びっくりして慌てふためき取り乱す有様となった。

・帰城後信長は安土城天主に入ったが、天主にて信長に仕える女性使用人はほぼ誰もいない状態であったので、使用人がいつもの通り懸命に働いているものと思いこんでいた信長はパニックになり必死に7階建ての天主内を探しまわり(多分、何度も階段を上がったり下りたりしたと思われる)、なんとかまじめに仕事をしている者を見つけ問い詰めたところ、遊びほうけている人が多数おり、勝手に二の丸まで遊びに出かけていった者や勝手に桑実寺に参詣に行った者がいると判明し、信長は大激怒した(癇癪をおこした)これは、予定外のことが起こったことによるパニック思い通りにならなかったことによるアスペ特有の癇癪(かんしゃく)であった

 

 

(3)「信長公記 竹生島事件の箇所」の後半②…アスペの視点から分析(個人的見解)

 大激怒しアスペ特有の癇癪を起こした信長は、遊びほうけていた者をくくり縛って罰しました。ただし、文脈から、処罰したのはあくまで仕事を勝手にサボった者だけであると考えられます(まじめに仕事をしていた人は処罰しなかった、と考えられる)。分析編で後日新たに投稿するかもしれません。

 

 

(4)「信長公記 竹生島事件の箇所」の後半③…証明&分析(個人的見解)

<①証明>

 信長は、桑実寺に使者を送り「参詣している女性使用人を出しなさい」と命令したところ、寺の長老が「お慈悲を賜り、お助けください」とお詫び申し上げました、つまり寺の長老が信長の命令を拒否したため、信長はその長老を参詣に行った女房とともに死罪にしました。

 これは、「思い通りにならなければ癇癪(カンシャク)を起こす」「自分の言うことを聞かなかったら癇癪を起こす場合がある」というアスペルガーの特性がそのまま当てはまる例と言えます。(上記1ー(2)参照)

   即ち、この箇所からも、信長がアスペルガー症候群であることを証明できます。

 

<②分析(個人的見解)> 後日、改めてブログ投稿予定

 

<③死罪になった人数>

 桑実寺の長老が死罪になったことは「信長公記 竹生島事件の箇所」で確認できますが、この長老の正体や具体的に何人の使用人が死罪になったかについては、信長公記の記述だけでは分からないと私は考えています。具体的な人数を知るためには、古文書等他の1次史料を確認する必要があると考えます。

 

 

(5)要約

<『信長公記』(太田牛一著)巻14のうち竹生島事件の箇所の要約>

(個人的見解、私見)

 織田信長(以下「信長」と記載)は天正9年(1581年)4月10日、お小姓衆5,6人を連れて竹生島を参詣した。長浜城の羽柴秀吉のところまでは馬で、長浜からは船で移動し竹生島を参詣した。

 当時(戦国時代)、安土から竹生島に参詣する場合、通常は 1泊する必要があるためまた信長は帰城する日時については特に何も言っていなかったため、安土城の天主(信長が居住している場所)に仕える女性使用人はほぼ全員「遠路であるから今日は長浜にお泊りになるであろう」と勝手に考えてしまい、遊びほうける人が多数出てしまい、二の丸まで出かけてしまった女性使用人や桑実寺(くわのみてら)に参詣に行ってしまった女性使用人もいた。

 しかし、信長は日帰りで安土に戻った。城に仕えるものは信長が日帰りで帰城するとは夢にも思っていなかったため(つまり、信長は、誰も予測できないような思いがけない行動をとった)、信長が日帰りで城に戻ったことを聞いて皆びっくりして慌てふためき取り乱す有様となった。

 ところで、帰城後信長は安土城天主に入ったが、天主にて信長に仕える女性使用人はほぼ誰もいない状態であったので、使用人がいつもの通り懸命に働いているものと思いこんでいた信長はパニックになり必死に7階建ての天主内を探しまわり、なんとかまじめに仕事をしている者を見つけ問い詰めたところ、遊びほうけている人が多数おり、勝手に二の丸まで遊びに出かけていった者や勝手に桑実寺に参詣に行った者がいると判明し、信長は大激怒した(癇癪をおこした)これは、予定外のことが起こったことによるパニック思い通りにならなかったことによるアスペ特有の癇癪(かんしゃく)であった

 大激怒した信長は、(家臣?小姓?城に残っている人?に命じて)城内で遊びほうけていた者をくくり縛って罰した。また桑実寺には使者を送り「参詣している女性使用人を出しなさい」と命令したところ、寺の長老が「お慈悲を賜り、お助けください」とお詫び申し上げた。寺の長老がこのようにお詫び申し上げたことで、(自分の言うことを聞かなかった時に激しく怒るアスペの特性が出て来て)信長の怒りや癇癪は更に激しいものとなり、その長老を参詣に行った女性使用人とともに死罪にしてしまった。(成敗=死罪)

 

 

※『現代語訳 信長公記』(太田牛一著、榊山潤訳)(ちくま学芸文庫)等を元に、また上記(1)~(4)に記載したこと等により要約(信長のアスペの特性やアスペの視点から自分で分析した結果も加味し自分なりに要約。アスペの箇所やアスペの視点から自分で分析した結果の箇所等は字体を変更)。

 

 

 

 

4 まとめ(個人的見解)

 上記2~3にて記載の通り、「信長公記 竹生島事件の箇所」から、織田信長はアスペルガー症候群であると証明できるとともに、アスペルガーの視点から分析すると竹生島事件の原因は信長自身のアスペルガーだったということが言えると考えます。

 

 

 

 

 

 

<参考文献>

ウイキペディア

『信長公記』(太田牛一著、奥野高広・岩沢愿彦 校注)(角川日本古典文庫)

『現代語訳 信長公記』(太田牛一著、榊山潤訳)(ちくま学芸文庫)

『織田信長 四三三年目の真実』(明智憲三郎著)(幻冬舎)

『織田信長 四三五年目の真実』(明智憲三郎著)(幻冬舎文庫)

『織田信長』(池上裕子著)(人物業書)

『織田信長 不器用すぎた天下人』(金子拓著)(河出書房新社)

 

 

<Pick1>

 

 

 

 

 

 

<Pick2>

 

 

 

 

 

 

誤字脱字等があればその都度修正します。

引用箇所について転載等禁止

本日も最後までご覧いただきありがとうございました。