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ヌース出版のブログ

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懸賞公募

『ロゴスドン』Web

哲学カフェ

「パラレルワールドとは何か」

締切り:2018年4月23日

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[募集要項]


(内容)『ロゴスドン』Webの哲学カフェで、あるテーマに対するみなさまの考え方、哲学などを紹介しています。今回のテーマは「パラレルワールドとは何か」です。テーマに対する回答を題名とし、それに至る経緯、考え方、主張、思想、哲学などを論述してください。

(規定)投稿は電子メールに限ります。(添付ファイルにする場合、ファイル形式はMS Wordのみ可能です。なお、ルビ、下線、太字、絵文字、ローマ数字、修飾英字、省略文字、シンボル、修飾文字、修飾数字等は使用不可です)。テーマ、題名、氏名(ペンネーム可)、住所を明記し、2018年4月23日までに弊社のEメールアドレス(logosdon@nu-su.com)にお送り下さい。文字数は、800字以上1600字以内です。

(賞品)紹介した作品の応募者には500円のクオカードを差し上げます。また、数年後に「哲学カフェ」のコーナーに掲載した作品の中から、当編集部で特に優れていると思われた作品を選出し、『哲学カフェ傑作選 第3集』と題するオンデマンド版の書籍に編纂して発行する予定です。その際、選出作品のご投稿者様には印税をお支払いたします。印税額は、「本体価格の10%×実売部数÷総作品数×貴方の選出作品数」です。毎年3月末日に締め、翌々月末日に1年分をまとめて銀行に振込みます。振込手数料は弊社で負担します。

(著作権)応募者に帰属。

『ロゴスドン』Webの連載「「裏日本」文化論」を更新しました。

 

第36回

〈オシラサマと白山姫命〉


 昔から、オシラサマを祈ることは、人々にさまざまな御利益をもたらすと信じられてきた。豊蚕はもちろん、穀物等の豊作の他、女性の病の治癒、眼の病にも効くと言われてきた。「眼の病の治癒」に関しては、「オシラ祭文」を唱えるイタコや瞽女が、眼が見えないか弱視の者が多かったことと少なからず関係があると思われる。
 古来、馬の餌やり等の仕事は女性によるものだった。女性と馬は、使役者と被使役者という関係を超えた、ある種の愛情にあふれた特別な関係にあったのだと思われる。また、馬と女性はシンボル的に見ても相性がよい。馬の力強さはしばしば男性のメタファーとしても用いられる。古典的な夢判断などでは、女性の夢に出てくる馬は、男性そのものを表象しているなどとも言われる。
 「馬娘婚姻譚」で着目すべきは、まず「桑の木」である。そこからは、蚕の食糧となる桑の葉が連想される。馬が殺され吊されたのは、なぜ「桑の木」だったのか。この馬―桑の一見奇妙に思われる連想の背景には、蚕が媒介として存在している。例えば、蚕の背中の紋様は、馬の蹄によく似ているなどと言われることがある。また、蚕が桑の葉を食べる様(頭を高く上げるしぐさ)は、馬と似ているなどとも言われる。さらに、馬小屋の上の部屋は、馬の熱気で暖かく、蚕が元気に桑の葉を食べ、冬をしのぐ場所に適切であったとも考えられている。つまり、蚕と桑の木の関係の深さは言うまでもないが、馬と蚕の間にもこの様に深い関係があるのである。そして蚕は、桑の木と馬との両方に関係しており、両者をつなぐ回路のような役割を果たしているのだ。一見無関係に見える馬と桑の木であるが、実は蚕を媒介としてつながるのである。『馬娘婚姻譚』のみならず、神話や民話においては、このような「つながり」がよく見られる。この「つながり」「回路」を見出すことが、民俗学あるいは人類学の醍醐味なのかもしれない。

 

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『ロゴスドン』Webの連載「哲学カフェ」を更新しました。

 

徳標

 枡 高史(熊本県菊池郡)


 古来より、徳を積むのは素晴らしいこととされてきた。ある者は自分を高めるため、またある者は極楽浄土に行くために、徳を積んだ。特に東アジアではその傾向が強い。儒教、仏教の古書の中にも、それに近い言葉は数多く残されている。
 人に優しく、自分に厳しく。弱気を助け、強気を挫く勇気。礼節を重んじて、相手を敬う心。感謝を忘れず、些細なことでもその意を伝える精神。そういうものに触れたとき、私は自分の生き方を見つけた気がして、心が晴れやかで、一本筋の通った気持ちになったし、恥ずかしくない生き方に出会えた気がして、迷うことが少なくなった気がする。
 自分の過去を振り返ってみる。徳を積むのは良いことと刷り込まれ、他者に優しい人間になりたいと思い、困っている人がいれば手を差し伸べて何かできることはないか尋ねたり、挨拶は率先して自分から行い、時折道に落ちているゴミを拾う自分がいる。それを重ねてきたことで、ある一定の信頼を得たり、時折尊敬の言葉をいただくことはあった。一部、気持ち悪いものでも見るかのように私を見る輩もいなくはないが、前者の方が圧倒的に多い。そう考えると、徳を積むというのは、今の現代社会においては、自分を生きやすくする、社会の秩序を保つためのものと言うことができる。
 しかし本当にそれだけか?

 

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