『ロゴスドン』Webの連載「哲学カフェ」を更新しました。
徳標
枡 高史(熊本県菊池郡)
古来より、徳を積むのは素晴らしいこととされてきた。ある者は自分を高めるため、またある者は極楽浄土に行くために、徳を積んだ。特に東アジアではその傾向が強い。儒教、仏教の古書の中にも、それに近い言葉は数多く残されている。
人に優しく、自分に厳しく。弱気を助け、強気を挫く勇気。礼節を重んじて、相手を敬う心。感謝を忘れず、些細なことでもその意を伝える精神。そういうものに触れたとき、私は自分の生き方を見つけた気がして、心が晴れやかで、一本筋の通った気持ちになったし、恥ずかしくない生き方に出会えた気がして、迷うことが少なくなった気がする。
自分の過去を振り返ってみる。徳を積むのは良いことと刷り込まれ、他者に優しい人間になりたいと思い、困っている人がいれば手を差し伸べて何かできることはないか尋ねたり、挨拶は率先して自分から行い、時折道に落ちているゴミを拾う自分がいる。それを重ねてきたことで、ある一定の信頼を得たり、時折尊敬の言葉をいただくことはあった。一部、気持ち悪いものでも見るかのように私を見る輩もいなくはないが、前者の方が圧倒的に多い。そう考えると、徳を積むというのは、今の現代社会においては、自分を生きやすくする、社会の秩序を保つためのものと言うことができる。
しかし本当にそれだけか?
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