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ヌース出版のブログ

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『ロゴスドン』Webの連載「漫画哲学」を更新しました。

 

第101回

『BANANA FISH』

 
 2018年秋、この漫画(作・吉田秋生)がアニメ化されると決まった時、往年の愛読者達から驚愕の声があがった。『別冊少女コミック』に連載開始されたのが1985年。現在まで、人気作品にもかかわらずアニメ化されなかったのは、放映するには過激すぎる描写や、タブー視される内容が満載だったからだ。
 物語は、1973年のベトナム戦争から始まる。そこで、狂ったように味方の兵士に向かって銃を乱射した男は「バナナフィッシュ」という言葉を口にする。その12年後。ニューヨークで、ダウンタウンのストリートキッズグループのボスである少年アッシュは、マフィアのボス・ゴルツィネの命令で銃撃された男から、死ぬ寸前に、カリフォルニアの住所と「バナナフィッシュ」という言葉を伝えられ、小さなペンダントを受け取る。「バナナフィッシュ」とは、廃人となった兄のグリフィンから度々聞かされていた言葉だった。アッシュは調査を始める。そして、それが恐ろしい薬物で、投与された人間の自我を完全に破壊し、意のままに操ってしまうと知る。そのバナナフィッシュを使って中米にクーデターを起こし、南米からのヘロインルートを手に入れようとしていたのがゴルツィネだった。ゴルツィネは、最初はアッシュを男娼として可愛がっていたが、バナナフィッシュに関わり出した途端、敵視し、身を狙うようになった。
 アッシュは、高いIQと強靱な精神力、集中力に加え、究極の美しさを併せ持つ無敵の青年だが、ただ一つ弱点があった。

 

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『ロゴスドン』Webの連載「哲学カフェ」を更新しました。

 

抽象とは現象のカオスの海を航海するための海図である

 山下公生(東京都目黒区)


 抽象の対義語は具象である。具象とは五感で捕らえることの出来る現実に起きている事象のことであり、自然界における事象の集合体である森羅万象は自然現象、社会における人間関係の事象の集合体は社会現象であり、その総合が現象である。現象の総体は世界であり、現象認識の根源は五感を媒体とした個々の経験則の集合体であるため、世界は不規則なカオスの難解な存在である。そこで、世界の解明方法として考案されたのが抽象という洞察概念である。ある意味では、物事の本質を探ろうとする哲学の原点に属するもので、プラトンの「イデア」の概念と近似性がある。東洋哲学で言えば、禅の公案である。公案とは多面的で複雑なこの世の在りようの本質を象徴的に、かつ端的に写す手鏡である。抽象は、あくまでも世界の現象から抽出された共有因子の普遍要素集合体であり、空想、幻想、妄想などとは全く異なるものであり、それらと混同してはならず、公案の「莫妄想」がそれを的確に顕示している。

 

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『ロゴスドン』Webの連載「「裏日本」文化論」を更新しました。

 

第44回

〈白山信仰④〉 


 江戸時代、関東八州の穢多頭であった弾左衛門は、自身の子供の病気平癒を加賀の「白山神」に祈願した。これが関東一帯に白山神社が広まった大きな理由の一つであると言われている。ではなぜ、「八百万の神々」の中で、弾左衛門は「白山神」を選んだのか。児童文学作家で社会運動家の柴田道子(1934~1975年)は、次のように述べている。

 

  白山神は、非常におはらい(悪除け)に強い神さまである。神さまの階級でいうと、上の方である。弾左衛門は、自分の仕事を穢れたものと思っていたかどうかはわからない。しかし世間では不浄な仕事とみなしていたから、職業からくる穢れを清めるために、おはらいに強い白山神を屋敷神として祭ったのかも知れない。権力と財力をほしいままにした弾左衛門――その生活は二千石取りの武士にあたるといわれている――であったが、己れの職業に与えられた精神的いやしめからの解放を、必死で願わずにはいられなかったのであろう。(柴田道子『被差別部落の伝承と生活―信州の部落/古老聞き書き―』三一書房1971年p.23)

 

 柴田は、弾左衛門が、穢れた仕事に対する精神的いやしめからの解放を、お祓いに強い「白山神」に願ったということを強調している。確かにそのような面はあったかもしれないが、お祓いに強い神は「白山神」以外にもたくさんいるはずである。この説は、穢多頭・弾左衛門が「白山神」を選んだ理由としては、少し弱いように思われる。そこで、以下ではまず「白山神」=菊理媛神の「性質」から考えてみたい。 
 菊理媛神は、イザナギ(この世の者)とイザナミ(あの世の者)を仲裁できる力を持ったシャーマンであった(第38回〈菊理媛神〉参照)。つまり、聖と俗とをつなぐ媒介者だったのである。被差別の民の元来の仕事は、神社の祭礼を先導して穢れを祓い、祭場を清めることであった。極めて神の世界の近くに居た彼らの中には、シャーマン的な能力を持つ者も多くいた。「白山相人」などは、その良い例であろう(第43回「白山信仰③参照」)。そのような人々が、菊理媛神に強いシンパシーを感じていたと考えても不思議ではない。シャーマンであるイタコが口寄せを行う際に白山明神の名を唱えること、「お大事」と呼ばれる筒の中に「白山姫命」と書かれた紙を入れていることなども、彼女らが、自身の能力を菊理媛神から引き継いだものであることを理解していたからではないだろうか。つまり、この世とあの世とをつなぐ人々にとって、菊理媛神、すなわち「白山神」は、自分たちのルーツに関係する最も身近な神だったのである。

 

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