菊人形・笠間
父母を連れて笠間稲荷まで菊祭り・菊人形を見に行く。
この季節は菊が見頃だし、しかも平日。適当に空いているんではないか…という話になったからだ。
私が笠間稲荷神社で菊人形を見たのは小学三年生の頃、四十年以上前で、何を見たかも記憶にないが…たぶん大河ドラマ『樅の木は残った』のシーンであったようにも思う。
菊人形とは歌舞伎の名場面などをあしらって人形仕立てにした見世物で、笠間では伝統的な祭り。
今回のテーマは『花燃ゆ』…たぶん来年は『真田丸』だろうな…で、テレビでお馴染みのシーンが人形達に演じられている。
人形達は往年の東映時代劇映画に似た顔立ちで、どこか懐かしい郷愁すら感じた。そんな『じわり』とした面白さを楽しめる世界が菊人形にはある。
アニメやゲーム、映画的な鮮烈さはないが、菊を飾った菊人形と周囲に流れる緩い時間に身を置いてみると、菊人形に親しみを覚えてくるから不思議なものだ。人形達を眺めていると、どこか立ち去りがたい気持ちになった。是非、来年も機会を作って見に来よう。
笠間の菊祭り・十月十七日から十一月二十三日まで。菊人形展・入場料八百円。…ペット同伴可能。両親の愛犬も菊人形を楽しんだはず…だ。
一枚目、旧浅野家が笠間藩主時代にあった家老・大石家屋敷跡。
二枚目、現役の赤ポスト。ポストは、この形が一番良いと思っている。
三枚目、菊人形展入り口
以下…菊人形達。
童話のあった場所
私が幼い頃。一番に恐ろしい場所が近所にあった。しかも、一ヶ所ではない。町内のキャベツ畑、あるいは鶏小屋のあたり、ブランコ遊びの公園に行く途中など至る所にあって、絶対に中を見ないようにして歩かねばならなかった。
夜道など、その場所から何者かが手を伸ばしてきて深みに引きずり込むらしい。
『気を付けろ!』
それが子供同士の合言葉だった。
ところが、ある日を境にして急速に『こわい場所が消えた』…世間は大阪万博に沸いていてが、私は数ヵ月あまり入院していた。退院後、久しぶりに家に戻ると、その場所には砂利が敷き詰められて駐車場や宅地、町工場に変わっていた。
『あれ?、アレが無いや』
記憶が寸断されたような、子供だけの世界が急に大人だけの約束に束縛され始めたような感覚が、私を取り巻いた。
春先に舞っていたキャベツ畑の白い蝶達も、朝から騒がしい鶏達も…そして近所の友人等も親の転勤などで、次々にいなくなった。
何だか、一人残されて『アレって…使っていたのかな?』と思いながらも、私の日々に『自分だけの童話』がなくなった事は確かだった。
昭和三十年代以前の農村風景をご存じの方は熟知の『アレ、あの場所』とは…『肥溜め』である。
糞尿を一時的に溜めて畑の野菜を育てるために堆肥にする『溜め池』、今に思えば凄まじい風景だ。何たって『人間の糞と尿』だからね。
キレイに成りすぎた社会から人間の耐性を奪ったとは言い過ぎだが、浄化された環境が健全な精神を生むのかは、たぶん別なのであろう。
何より、今の子供達には『自分だけの童話』はあるのだろうか。無くても子供の世界は楽しいとは思うけどね。
カメラが古いのではなく、使う人が古くなっただけ。
すでに廃刊だが『季刊クラシックカメラ』、エンスー向き(使いたくない言葉である…)カメラ雑誌だった。
ミノルタ関係のカメラ記事を手軽に読むには、この号くらいしか思い当たらない。
二眼カメラ・ミノルタオートコードの紹介、ライカと提携したXEの分解写真など興味深い記事もある。
しかし、残念ながらミノルタマニアから見ると納得が行かない記事も多い。
『この写真を撮影したミノルタのレンズ、本当に表記通りのレンズかな?…叩くとキヤノン~って響くんじゃないか』
『記事が足りなくて適当にライカレンズと比較して編集作業…でも、ロッコールMC50mmf1.4が、開放から優秀って…執筆者は本気で撮影に使った事ありますか?』
極め付きは、ファインダースクリーンが改造されたミノルタSRT101を本記事に仕上げた事だ。同カメラを分解経験した者から言わせれば、この記事こそ『邪道記事』である。レストア業者による保証があっても、設計された機械の本質が違う改造カメラに過ぎない。
どこか釈然としない印象を読後に感じたが、今に思えば…『カメラ愛好家(ミノルタ)をバカにするな!』…なのである。
特に記事執筆者である赤城氏、故平山氏ともに古典カメラの第一人者ではあるが、当ミノルタ特集記事に関しては『写真、筆先ともに荒れてはいませんでしたか?』と言いたい。
結局、この号しか買わなかったのも俗に言われた『クラカメブーム』に私は反感があったからだ。
しかし、当号には一つだけ切ない写真が掲載されていて、池袋・鬼子母神前にあるテーラーにいた一匹の猫写真だ。この写真が掲載された直後に猫は姿を消した。猫業者に誘拐されたらしい噂もあったが、同時期に付近の住宅や鬼子母神境内から、人に馴れていた猫達が消えたので不審に満ちた話ではある。
私も、この猫を撫でた思い出があって残念でならない。






