童話のあった場所 | HOODのブログ

童話のあった場所


私が幼い頃。一番に恐ろしい場所が近所にあった。しかも、一ヶ所ではない。町内のキャベツ畑、あるいは鶏小屋のあたり、ブランコ遊びの公園に行く途中など至る所にあって、絶対に中を見ないようにして歩かねばならなかった。

夜道など、その場所から何者かが手を伸ばしてきて深みに引きずり込むらしい。

『気を付けろ!』

それが子供同士の合言葉だった。


ところが、ある日を境にして急速に『こわい場所が消えた』…世間は大阪万博に沸いていてが、私は数ヵ月あまり入院していた。退院後、久しぶりに家に戻ると、その場所には砂利が敷き詰められて駐車場や宅地、町工場に変わっていた。

『あれ?、アレが無いや』

記憶が寸断されたような、子供だけの世界が急に大人だけの約束に束縛され始めたような感覚が、私を取り巻いた。


春先に舞っていたキャベツ畑の白い蝶達も、朝から騒がしい鶏達も…そして近所の友人等も親の転勤などで、次々にいなくなった。
何だか、一人残されて『アレって…使っていたのかな?』と思いながらも、私の日々に『自分だけの童話』がなくなった事は確かだった。

昭和三十年代以前の農村風景をご存じの方は熟知の『アレ、あの場所』とは…『肥溜め』である。
糞尿を一時的に溜めて畑の野菜を育てるために堆肥にする『溜め池』、今に思えば凄まじい風景だ。何たって『人間の糞と尿』だからね。

キレイに成りすぎた社会から人間の耐性を奪ったとは言い過ぎだが、浄化された環境が健全な精神を生むのかは、たぶん別なのであろう。
何より、今の子供達には『自分だけの童話』はあるのだろうか。無くても子供の世界は楽しいとは思うけどね。