HOODのブログ -6ページ目

小雨


早朝から雨。所用で上京の徒。

もとから晴れやかな性格ではないので、実は雨模様が一番好きだ。適度な小雨は気分が良い。


今は遠い街になってしまったが、渋谷や銀座界隈も雨が降ると往来の人並みが減り、街本来の顔を見せるように思える。

写真は一昨年の新宿駅前…当時は工事中のビルも、今は完成して風景が一変した。

型枠があればこそ


私に似合わぬ態で、ピアニスト辻井伸行の演奏をお題にしてブログを書いた。

辻井伸行のピアノを聞くたびに思い浮かぶのは、能に例えるならば舞台三間四方に気を隅々まで行きとおらせて、長年に演じられてきた定型の能作品を最大限に増幅させて演じる役者の雰囲気がなのだ。

それは辻井氏も同様で、古典定型の楽譜、スコア・型枠があればこその演奏であって、ジャズ的な即興や娯楽主義の新作より、ショパンなりベートーヴンを最大限に鍵盤の上で爆発させて発揮した方が、遥かに『ロック♪』だ。そういうカタルシスも彼の演奏に感じられるのが魅力だろう。人生の上で必ずしも型通りの善人である必要はないが、演奏には下らない俗世な澱を持ち込まない実直な演奏家に育って欲しい。


それと言うのも、やや恨めしいのは能のカタルシスを与えてくれる役者が最近は少……いや、ここは読まなかったことにして欲しい。

消されてしまうよ。
やばい、やばい。

手に触れた瞬間…祝福の言葉


辻井伸行の演奏とは、見える世界より見えない世界が美しい。いや、断っておく。私が言いたい事は…そういう比喩ではないのだ。

しかし、我々が接している対象物が事実ではあっても真実とは限らない。あるいは演劇や音楽・芸術の表現に至る時、現実の五感に触れた物が邪魔に感じる瞬間がある。


人は、青春の野で恋愛をして『愛』を探す。欲望や安寧も含めて、たぶん『愛』と呼ぶかも知れない。
得たものを喪うか、あるいは育て行くのか。

その時、その瞬間に触れたものが邪魔に感じなくて美しいものならば、その人は偽りなく祝福されたのだと思う。