型枠があればこそ
私に似合わぬ態で、ピアニスト辻井伸行の演奏をお題にしてブログを書いた。
辻井伸行のピアノを聞くたびに思い浮かぶのは、能に例えるならば舞台三間四方に気を隅々まで行きとおらせて、長年に演じられてきた定型の能作品を最大限に増幅させて演じる役者の雰囲気がなのだ。
それは辻井氏も同様で、古典定型の楽譜、スコア・型枠があればこその演奏であって、ジャズ的な即興や娯楽主義の新作より、ショパンなりベートーヴンを最大限に鍵盤の上で爆発させて発揮した方が、遥かに『ロック♪』だ。そういうカタルシスも彼の演奏に感じられるのが魅力だろう。人生の上で必ずしも型通りの善人である必要はないが、演奏には下らない俗世な澱を持ち込まない実直な演奏家に育って欲しい。
それと言うのも、やや恨めしいのは能のカタルシスを与えてくれる役者が最近は少……いや、ここは読まなかったことにして欲しい。
消されてしまうよ。
やばい、やばい。


