女の髪…能『井筒』
能『井筒』クセにも導入されている有名な章句。
『比べ来し振り分け髪も 肩過ぎぬ、君ならずして、誰が上ぐべき…』
伊勢物語二三段、男の贈歌に対する女の返歌。
…あなたに逢った日から、とうに肩を過ぎるまで伸びた私の髪を…今、あなた以外に誰が上げるのでしょう。
(髪をあげて結婚する相手は、あなた以外に他にいない!)
…君ならずして、誰が…この強い意志と希望が、彼女の若い伸びやかな黒髪姿を想像に導く。
私は、女性にとって髪は日々の友、記憶の証人とも言う存在であろう、と考えている。
その髪を、自らの恋の心象に用いた辺りに、作者の心憎い表現を感じる。
恋人同士、互いの姿が見えない事によって、溢れんばかりの情熱と欲求が燃え上がり、髪に込められた彼女の思いや、その熱い血の流さえ読みとれる。
確かに、この僅かな章句で能『井筒』が全て表現集約した訳ではない。
しかし、一方で『黒く伸びやかな髪』を能の中へ、強く印象付ける歌である事は間違いないのだ。
舞うこともなく、動きを見せない表現の粋『居クセ』は、能における典型的な演出だと思う。
我々が、能『井筒』を楽しむ上で、大切な要素の一つが『居クセ』なのだ。
動かぬシテを存在を単純に受け取るよりも、積極的に謡いの世界、この章句を聞く事で伊勢物語『井筒の娘』と感応出来たら…と願ったりする。
女の髪
今日一日、医師に部屋で休養を余儀なくされる。
贅沢な休み方だが…忙しさに追われて食事を手抜きしたのが原因らしい。
酒は…暑くてビールやワインを飲んでいたが…ご飯類はほとんど食べなかった。
こんな状態で部屋に閉じこもる日は、伸びた髪はバサバサ、髭もそのまま…凄まじい姿で外に出られない。(たぶん通報されるだろう)
中年男のお洒落…その概念が存在するかは別として、私は昨年より髪を伸ばしている。その結果、何か発見があるか…知りたいからだ。
女性のヘアスタイルや一部の若い男性タレントにはロングヘアは確立されている。しかし、中年男性では話は別になる。
都内に見かける中年男性のロン毛スタイル…なかなかに形になる人は少ない。
…単に金がかからないからロン毛にしている…あるいは、ちょいワル親父の残党か…?。
さらに、私見だが…総じてロン毛の男性は強いナルシストの方が多い。
髪を直す…その行為自体がナルシーな心理を伺わせる。
反面、女性が長い髪を靡かせるのは、様々な理由があると思う。もちろんナルシズムもあるだろうけど、もっと別の心象を感じるのだ。
まぁ、その辺りにも興味がある。
能に『蝉丸』という曲があって、逆髪という皇女が出てくる。髪が逆立つ…そんな不幸を負った彼女だが、実は髪に人一倍の愛しさを持っているのではないか…恨めしく逆立つ髪にであっても、彼女は自らの髪として…髪を愛おしむ思いが、この能にはある。
女性の長い髪とは、その人の人生や心情をともに目撃した存在なのかも知れない。
目利きはなれず
ついに夏バテして伏せってしまった。
頭も働かず(いつもだが…)仕方なく、能ブログから離れた書き込み。
アメブログ繋がり『黄菊花』さん、なぅ記事…上野不忍池に骨董市見物にいった…を読む。
まだ蓮も蕾とかで、もう少し花を楽しむのは先のようだ。
骨董市見物も、一つの祭り風物として楽しむと面白い。
時に、妙な買い物をして『勉強したかな…』と思ったりする。
でも最近は、どこの市も停滞気味のようで、私の心に落ちる品物が見つからない。
以前は、男物袴や能の仕舞に使う扇など格安で(扇は100円だった)入手する機会にも恵まれたが、怪しい中近東の指輪や使い道のないピアスを買った時もある。
一体、何に使うのだ…指輪は気にって身につけていたら、ある日紛失。
そんな『イケナイ物』の一つがコレ。
以前、ブログでも紹介したが『能面一輪挿し』である。
グロテスクしてシュールな感覚に満ちて…作った人、作らせた人…そして買った人。
今もって未使用品、生ける花に苦慮してままである。
昭和初期の古い日本家屋の書斎の壁へ下げたら、ひどく勘違いした作家風の味わいがでるか。
そして、耽美な色彩の蔓薔薇でも這わすと綺麗かしら…。



