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能『葵上』

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能『葵上』上智大学主催サマーセッション。
外国人留学生に向けた夏期講座。
見所に飛び交う英語…英語。
外国の若い学生から見た、日本の古典文学、もとより能が演劇として受け止めて貰えるのかな。

花に馴れこし野宮の

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能『野宮』シテ小早川修

六条御息所という女性とは…と、言い尽くされた観もあるブログ題で書いてきた。
しかも、原作に対する解釈が違うぢゃないか…って思う人もいるはずだ。
ここでは、謡曲作品から見た『御息所』を考えて見たわけで、それも『葵上』『野宮』の二作品しか検討の材料はない。
この二作品は、作られた時期や作者も異なり、そこに室町文藝思潮の成熟進化を伺う事も可能だと思う。
作品として、後発と考えられている『野宮』には、資料や背景に対する読みが結果として作品に備わっており、源氏物語典拠の謡曲として完成度が高い。

私が能『野宮』の謡いで一番好きな章句をあげておく。

…仮初めの御住居 今も火焼屋の幽かなる。光は我が思ひ内にある色や外には見えつらん…。
謡曲『野宮』より。

光は我が思ひ内に…、と源氏を激しく慕い、その思いが(色に出にけり…と)…この気持ちが人に見えていないかしら…でも、本当は見せたいの、えぇ…そうですとも…。

意訳ですので、お許しあれかし…続く。

っか、まだ書くのか?

我もその人も…

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源氏物語の主人公光源氏は幻巻で出家し姿を消した…と結末付けられている。
想定年齢は五十代前半(私とは差ほどもないが…)

ほどなく死を迎え、魂の旅立ちとなったはずだ。
もし、魂が還る場所が故郷であるならば、源氏の故郷は愛した女達の魂の元かも知れぬ。

しかし、そんな源氏の死や魂など認めない、私を愛してくれた輝かしい光君だけ…と、時空を越えて過去の慕情から離れないのが御息所だと思う。

源氏が生きていればこそ、『紫の上』を死に誘いかけ、あるいは『女三宮』を失墜に導く悪霊にもなる。
原作の中で、その死後も怨霊のごとく描かれる御息所であるが、実は彼女にとって、光君が中年をむかえていようが気になって仕方ない…死しても本能の炎だけは残ってしまったような、好きでたまらない。
そして何より、永遠に光君に愛された私が一番大好き…そこに儚い恋を大切にした女らしさ、可愛らしさを、この御息所に見いだす事が可能だと思う。