HOODのブログ -502ページ目

反芻する恋

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元東宮妃である御息所は、源氏を引き留める事は出来ない立場にあり、また源氏としては、彼女を自らに引き取る事が不可能な相手であった。

気高く美しい年上の女性である御息所は、源氏にとって最高の都合の良い女であったとも言える。
かたや、手元に愛して止まない幼妻『紫上』が、究極の自由恋愛の果てに迎えた女性であるならば、なおさら御息所との関係は不倫の極みであったはずだ。
お互い楽しむだけの都合の良い関係…しかし、それでも源氏との二人だけで成立するならば、彼女は納得する手段を探したであろう。

…生きてこの世にましまさば、水暗き沢辺の蛍の影よりも光君とぞ契らん…。
謡曲『葵上』

ところが、理性が支配していた御息所に『葵上』一行が与えた恥辱は、女御、更衣以下の扱いであり、御息所の理性というものを破壊した。というのは、日頃は理性で心の炎を押さえつけているだけに始末が悪い。
強い理性で飽くなき本能を制御支配している、しかし、その理性が眠りについた時に、初めて真実の愛欲が目を覚ます。
理性が光君を見つめ、契った時間は常に緩やかに儚いが、本能が支配した刹那は『女に還る』…君の傍らで愛されている彼女達が許せない。

しかし、無自覚なゆえの結果である以上、御息所の心には罪の意識は少ないのだ…私は思う。
能『野宮 』に描かれる六条御息所は、まさに『源氏に恋している、今の私が一番好き…』で、すでに幽霊になっても、自分の恋慕している心の周りに佇んでいる彼女を描いている。
それは、牛が反芻をするように、御息所は恋の快楽を味わっているかにも見える。

芥子の香り

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…あやしう われにもあらぬ御心地を 思し続くるに、御衣なども ただ芥子の香りに染みかへりたり…。

源氏物語『葵』

どうして…身に覚えもないのに、芥子の香りが衣の奥深くまで…(髪や肌、体の奥まで染みついている…)

光源氏と六条御息所の恋は、御息所の深く秘めた慕情と醒めた源氏の心象によって、深く断絶した男女の世界を描き出してゆく。

病身の正妻葵の上に、生き霊と化した御息所が憑依して『あぁ…懐かしい』と妻を見舞う源氏に語りかける…私は、この辺りの描写が読むほどに切なく、二人の女性が哀れに思えてくるのだ。
果たして、どちらの心が語りかけたのか。二人が相乗して光君に『恨み言』を投げかけたとも言えるのではないか。

また、源氏の正妻であり権門の娘である葵の上から受けた仕打ち…『葵祭』での車争いでの屈辱は、元東宮妃である御息所にすれば容認せざる恨みであった……と、前置きにしては長い書き出しをした。

源氏物語における御息所について述べた記述は、すでに無数にあるし、少し古文が好きな方ならば一応熟知の事だ。
能『葵上』も、能に興味がある方ならば一度は見る機会も得られているだろう。

こんな蛇足な私のブログであるが、しばらく私見も含めて…(私見ばっかだが)気ままに『御息所という女性』考えてみたい。

ある女性作家

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以前のブログにも書き込みましたが、私は脚本家の向田邦子の作品やエッセイが好きで愛読していました。

この『女の人指し指』は最後のエッセイで、この連載途中に、台湾上空の飛行機事故で惜しくも散じた。
その彼女の生き方や指向には広い層からの支持の多かった作家でもあった。
たぶん、いずれ誰かの女優がドラマで演じる事であろう。
風貌的には菅野美穂か…あるいは知的な印象なら山田麻衣子あたりで…。

この人の比類ない才能は、事に当たる思い切りや覚悟、あるいは『気っ風の良さ、切れ味』だと思います。

趣味とも呼べる愛飲家であり、美味しい食事を心から愛し、その体験をエッセイに記してゆく。
もし男性作家が、このような蘊蓄を語ると理屈や経験主義となり、どこか通俗的で陳腐になりがちである。
ところが、彼女の選択の眼差しというのは、どこか『諦観』がある。
使う食器や酒器も量産品ではなく、趣味にあったものを使いながら味わう…割れたら、それも命だ…そういう人生の楽しみ方を知らしめてくれるエッセイであった。