柚子味噌
昨年の秋、とある同年代の写真家の方から、『母が作ったんだけど…』(自家製柚子味噌)を頂いた。
その方は親子二代の能楽写真家で、先年他界されたお父様は我々能楽写真家が目標とする作品を数多く残された方であった。
先日、所用で御自宅をお訪ねした際に、お母様が『実家から柚子を沢山送ってきたのだけど…どうしましょうか…』と思案なさっていたので、私は『あぁ、あの柚子だな』と、軽く彼に礼を言って自宅に持って帰った。
その日、夕食の肉野菜炒めに柚子味噌を使おうと思い、とりあえず柚子味噌を一口味見した。
私は料理には自信過剰なほど自負があるので、(全く傲慢だが)他人の料理に驚く事は滅多にない。
だが…『う、…美味い』
じわりと柚子の香りと甘さが口に広がる。透き通った味わい…柚子の持ち味が『主題』として、しっかり伝わってくる。
私は思わず、二口、三口と舌に運んだ。
そして心奥深く味わった。
優れた芸術作品を残した写真家を支えた妻が作る家庭の味も、また見事な作品なのだった。
人が優れた成果をあげる裏側には、支える存在が必ずある。
芸術家としての気難しさや気位の高さもあったはずだ。
その夫を支えた味は、食した人に伝わる丁寧な仕事を施したものだった。
そういう質の高さが、『家庭から学ぶ知性』なのだなと思う。
そして、私は彼のお父様が少しだけ羨ましくなった。
哲学と日常生活
某国営放送、教育テレビ『サンデル教授…』を見ている。
私は知性という知育は、最終的に本人自身が磨くものという『自力本願』に拠ると思っている。
逆に知的質の価値や高さというものは、相対的な存在であり、要は使い方だと考えている。
サンデル教授の論展開は演劇展開と似ている。役者と観客、原作主題と演出解釈などを舞台で問うている『一人芝居』なのだろう。
教授はカトリック的他力本願を引き合いとして、プロテスタント的自力本願を検証しているように感じた。(リバタリアンやジョン・ロック)
教授の論議展開は政治哲学、経済に極めて明るい神父様に見えた。
憲法と法律は違う。
法律と道徳は一致しない…。
たとえば、エゴイズムという視点を個人主義の極北より普遍的な主張として引き戻して、社会生活に生かす…そういう考え方を模索しているように見える。
日本にも『エゴイズム』を説いた大西巨人という孤高の哲学者がいるが、その上で、サンデル教授のごとく明快な論議に若者を巻き込む技法…学生に対して『君の名前は?』と、巧みな心理手法を用いる学者は希有だ。
私には、サンデル教授の講義は、教会で神父様の聞いているような気分になるのだが、アメリカの学生には普通の風景なのだろう。



