3月10日
3月10日。今夜は東京大空襲から66年目の日。上野不忍池も周囲は死体で埋まったと聞く。
先日放送のNHK総合・Nスペシャル『日本人はなぜ戦争へ』に対する所感を少しばかり。
番組の総論として、当時の東条首相や官僚、旧陸軍参謀本部、海軍軍令部など各首班たちも実は人間として弱かった…弱かったために幾度かの会議にても自ら戦争回避を言い出せなかった…という解説は、戦後社会の文脈で読んだ結果であって、それは正当な解釈ではなく、意図的な作為さえ感じた。
人間として弱かった…?
バカを言ってはいけない。戦前の高級官僚や政治家の権力権限は現在とは比較にならないくらい強力であった。まして軍部の各統帥部は国民を簡単に死に追いやるくらいの権限を有している。
婦人参政権はなく家長制度によって、日本は完全な男性優位社会だったはずた。
『我々も弱かった』…?
国政に携わる当事者が間違っても言ってはならない言葉だし、そういう文脈で歴史や政治を解釈する悪弊が、今日に至るまで日本の政治を極めて脈絡のない茶番劇に仕立て上げている。
この番組が最悪な事は、東条達が聖断に仰いで回避策を怠った、とする解釈である。
これでは太平洋戦争とは、昭和天皇が様々に情報の外におかれたまま認識不足で、純粋に天皇という職務に忠実だったから聖断を下して、日本は開戦に踏み切った結果だった…首班や軍部、国も国民も全て弱かったから容認してくれ、と言いたいように聞こえる。
何のために米国相手に戦争をして、敗戦の下で日本人は我慢をしたのか。
呆れ果てて言葉が出ない。
もし、東条首相らに責任があるとするならば、開戦に至る政策ミスではなく、大陸での戦線の引き際を取り違えたうえに、加えて終戦の時期を見誤ったために、多数の人命を死に追いやったという史実を私は上げたい。
ポツダム宣言を即時に受諾しておけば、さらに多くの人命と資産を失わずに済んで終戦となったはずなのだ。
今夜、賑やかな東京都内の居酒屋で一人飲む。
その悲鳴、亡き人々の慟哭を路傍の片に感じている。
試練というものか
私の子供時代は外で遊ぶというより、部屋で本を読んでいる、かなり内にこもった性格でした。
そして、子供心にも生涯に読書を楽しめると思っていましたが、長い人生の中で必ずしうまくはゆかないなぁ…と最近思っています。
撮影仕事で目を使うためか、物を見ることに疲れやすくなって、文字を追うことが苦痛になってしまいました。
傲慢な言い方をすると、私は読書能力だけは他人より優れていると思っていただけに、かなりショックです。
またネットからの情報の早さや利便性に比較して、読書から身につける知識や情報が社会活動に際して、あまりに遅効過ぎるという現実的敗北感があります。
読書による大切な知識や情報も、単にパソコンのスキル程度と比較して大差なくなったように見えてしまう、それはある意味で無力感だけを負っているよう思えるのです。
やはり時代が動く前触れなのかな…。
既存の知識や情報が役に立たなくなり、新しい哲学や理論が発生する夜明けに立っているのでしょうか。
私には、歴史が培った日本の古典文学などの知識や教養の諸源が、単なる学術記録として仕分けされてゆく…それは厳しい選別過程が待ち受ける時代の大儀として、もはや避けられない道へ、この国も進み始めているように見えます。
…その結果の善悪を問うよりも、社会は次の情報や知識を貪欲に渇望しているように思えます。
日本人の意識や民族性が、今一度の創造と破壊を必要としているのでしょうか。
これを試練と見るのか、一つの終焉と感じるのか…それが、まさに時代に生きて行く人の力と証明なのだと、私は思います。
ちょっと歪んだ私。
ヤシカダイヤリー・同フラッシャー。
ヤシカカメラ1983年頃の製品。定価3万6800円
舞台撮影で使用するのは一眼レフ、メモ撮影などは携帯写メで用は足りるのでフィルムカメラを多用する事も減り、特にレンジファインダーのコンパクトカメラは使わなくなってしまった。
ところが、今年は気分が変わってきたのだ。
舞台撮影の機材はともかくとして、フィルムでもう一度周囲を撮影しておこう…少し私の中で撮影に対する心境の変化が起きたらしい。
そこで登場したのが、このヤシカなのだ。
この平凡なファミリー向けカメラの何が良いのか?
実はこのカメラに使われているレンズは隠された名レンズだ…というカメラマニアの都市伝説はある。
だが、私が使う理由は別にあり、このカメラは充電可能な単3電池で作動する利点、かなりエコ的な機能を備えているのだ。
多くのコンパクトカメラがリチウムであるのに対して、1980年代頃のカメラは乾電池式で、今は最新の充電電池で使えるという経費の安さが捨てがたい…そして軽い。
さて、このカメラを下げて何処へ行こうか。


