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84億円を使い倒す

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誰であったかは忘れたが、何かをコレクションする男性は精神所在が幼稚である…という見識を披露していた女性作家がいた。
しかし、男性の大半は何かを集める。
モノを集めない男性など世に存在するのだろうか。

価値の云々であるより、何を集めているかによる。
最近、84億円を横領した大会社の会長が話題になった。
投資、博打やら果ては女に貢いだとか…ないとか。

それだけの資金があれば…私だったら雑司ヶ谷あたりに200人規模の能楽堂を建て、茶室と庭、さらに古典系カフェを付属。
カフェでは月の能にちなんだ和菓子や洋菓子を出す。

また月一回の能公演はオーナーが見たい能番組をリクエストする。(オーナー氏究極の道楽ですから…)

月一回の公演予算五百万×12ヶ月で六千万。20年継続して12億円。

まだ余裕である。

茶室と庭は能舞台と連関して使用可能。茶庭は、どこかで見たような和風ガーデンニングではなくて、十年後に草木が完成域に達するような気の長い設計。

オーナーの私は30年後には間違いなく破産するだろうけど、能に専念する環境から、一人か二人くらい名人と呼ばれる能楽師が育って欲しいものだ。

これで84億円は我が国の古典文化に還元させるのでメデタシ、メデタシ…。

断捨離に背く

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写メは能『山姥』専用面の一つ。

無意識に書棚から『料理のお手本』辻喜一著を手に取り開く。開いた頁は著者が平安神宮の薪能を見た話だった。偶然でも不思議なものだ、と思う。

偶然であっても本は求めている人を、出会うべき人を招く…あるいは呼ぶ。
学生時代の恩師の言葉だ。

今まで幾度なく経験してきたし、それは大切な要素だと感じる。

だから、私は本を滅多に捨てないし、人にも貸さない。
本を貸すということは、脳味噌を人に預けているような感覚であり、気分が悪いのだ。(つまりケチ、器量か狭いのだろう)

簡単に捨てられる本とは、生涯で本当に必要ではなかった本だった…と思う。

断捨離と云われて久しいが、私はつまらない大衆小説でも悩むのだ。

そういう大衆小説でも、誰かが書き上げる時間や費やす能力というものがある。
後で、『あぁ、あの本が手元あれば…』と後悔するほど愚かな事はない。

本の寿命に比べて人間の人生は短いが、つまらない本であっても私が導いた出会いがある。

しかし…積みあがる本を整理するのも、新たな出会いを導く手段ではある。
どこか男女の恋愛関係と似ていなくもない。
それは、あくまで恋いに関しての『喩え』として、と断っておく。

つらつら

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ようやく帰宅。

妙にノドが痛い、しかも肩が痛い。だるくて眠い。さらに鳥肌が立ちますな。
ついに私も、もしかして恋わずらいか…
『君、それは恋いではなくて風邪だ…。』


明日は移動日。


ふと、アナログとデジタルの両議的意味など考えてみた。

あるいは芸術において、女性による自らの解体は近現代に入り成功したと言えるのか。

未だに男性論から裏焼きした『女性論』が全てではないか…など。

下世話に『今でもエロ本って買う人いるのかな…』とか。
携帯がなかった時代、彼女の家に電話をするには『覚悟』が必要で、相応の言葉と認識が求められた。
自宅電話に出る彼女らの両親達は、まさに勿来か箱根の関守であった。

今は違う。簡単にメアドと一緒に連絡可能だ。恋人だけの緩くエロい二人だけの会話がなされる…そんな妄想。

若い世代は安易にエロが入手可能で、そこに至るまでの苦行やら人間修行がない。

つらつら。


おやすみなさい。