断捨離に背く
写メは能『山姥』専用面の一つ。
無意識に書棚から『料理のお手本』辻喜一著を手に取り開く。開いた頁は著者が平安神宮の薪能を見た話だった。偶然でも不思議なものだ、と思う。
偶然であっても本は求めている人を、出会うべき人を招く…あるいは呼ぶ。
学生時代の恩師の言葉だ。
今まで幾度なく経験してきたし、それは大切な要素だと感じる。
だから、私は本を滅多に捨てないし、人にも貸さない。
本を貸すということは、脳味噌を人に預けているような感覚であり、気分が悪いのだ。(つまりケチ、器量か狭いのだろう)
簡単に捨てられる本とは、生涯で本当に必要ではなかった本だった…と思う。
断捨離と云われて久しいが、私はつまらない大衆小説でも悩むのだ。
そういう大衆小説でも、誰かが書き上げる時間や費やす能力というものがある。
後で、『あぁ、あの本が手元あれば…』と後悔するほど愚かな事はない。
本の寿命に比べて人間の人生は短いが、つまらない本であっても私が導いた出会いがある。
しかし…積みあがる本を整理するのも、新たな出会いを導く手段ではある。
どこか男女の恋愛関係と似ていなくもない。
それは、あくまで恋いに関しての『喩え』として、と断っておく。
