力及ばない時がきた
真夏の味覚。真っ赤なホヤ
先月から身内に取り込み事が続く。
伴い、急な遠出などにより実家の両親も疲労が日に目立ってきた。私も、しばらくは帰省と上京の繰り返しである。
実家に帰省した私がする事は、いわゆる家事全般だ。
先日も夕食の準備で、実家近所のスーパーに買い出しに行った。
意外と思うのは、肉や魚類が都会より割高な事だ。特に鮮魚類の価格は都市部と大差はない。
学生時代、都内の駅前スーパーに並ぶ鮮魚類の豊富さと鮮度に驚いたものだが、地方生活に、とかく日常生活の中で新鮮な魚を手にする事はまれだ。
近年は(お魚センター)などが県内の漁港近くなどに開設されて観光客などを集めているが、箱買いで大量に購入せねばならず小売りと呼ぶには非日常的なのだ。
しかも、一方では日本中の膨大な食材が売れ残り廃棄されているのであろう。
なにやら想像するだけで恐ろしい事だ。モッタイナイ…などという標語も、実は到底及ばない深刻さを秘めた現状なのではないか。
今日は、朝から話題が暗い。
バレンタイン
都会の街を歩くと、まだ春は遠く感じる。
それでも、道行く女性の服装が春らしく、どことなくだが先月よりは身軽く見える。
いや…違う。
バレンタインのせいか…気持ちが華やいでいるのだろうか。まてよ…そういう皮相的な見方をして、世間を眺めるのはよくないな。
今日、私は病院での診察待ち時間に近所の書店へ行った。
そこで、気の向くままに福音館書店「だるまちゃんととらのこちゃん」加古里子(かこさとし)作を買う。昨年、数十年振りに再購入した絵本「だるまちゃんとてんぐちゃん」の続編なのだ。
(ブログに書いたと記憶)
だるまちゃんが、遊びの中から一つの問題や欲求を解決してゆく方法、他人と同じ物を欲しがるのではなく、自分で作り出し代用する事から、新しい答えを見つけだす…そういう『教え』が、この「だるまちゃん…」絵本シリーズにはある。
共同作業から一つの課題を解決してゆく『幸福論』というテーマは、もっと基本的に考察されても良いだろうし、そこに文化の英知をくみ取って欲しいものだ。
個性と均一化
機材購入や撮影した写真仕上げのため、新宿界隈に出ることが多い。キタムラやヨドバシにデータやネガを入れ、小一時間ほどのプリント仕上がり待ちをする。
一応、私は写真全般に興味があるのだが…今日、覗いてみた店はAKB48関連を重視した店だった…今回、初めて足を踏み入れた。(たいてい中古カメラ屋を冷やかして終わる)
私の興味を最も引いたのが、いわゆるメンバーの生写真である。商品としての写真を売買する事や付加価値の付け方、あるいは撮影方法等。
眺めながら、一つ感じた事があった。
彼女達が微笑む写真は、他のメンバーの誰と比較しても、美人・ブスのいずれにも撮影していない点である。
衣装やポーズ、ライティングを均一にしている事で、表情の差を固定化し、各自個性を打ち消している。
(かなり超個性的な顔の子が多い…。私は河西智美と峯岸みなみが推しなのだ。)
おそらく意図的に撮影されているのだろう。
統一した意匠と身体訓練で彼女等を育成し、その組織の中で『個性を演じさせる事』で商業として成功したという事か。
逆説的ではあるが、能面には、それ自体に本質的な表情や個性はない…と私は思っている。
能役者が顔に付ける事で『受け』が生まれ、能面は生命を宿す。
その意味で、AKBの子達も少し能面に似ていると、ふと思った。



