元模型少年
基本的に脳内饒舌なので、ブログネタに尽きるはずはない…と思っていた。
しかし、時間に追われたり、疲労の果てに饒舌であるはずの脳内が沈黙すれば、ブログ更新も止まる。
このブログで挫折した一つが模型制作記事だ。制作が進まなくなった理由の一つが時間に、余裕がなくなって模型に集中が出来ない。さらに、昨年の大震災で実家のコレクションの大半(特に艦船模型群…艦隊壊滅、飛行機は飛べない状態に…)
もはや修理する気力もなく、実家の物置に放置してある。
今は、ただ模型雑誌を書店で眺めながら嘆息…。
しかし、これは違うぞ。私らしくない。
最近、思うのだ。
自分のアイデンティティを形成する一つであった模型制作を放棄して、私の人生が語れるのか。
やはり、もう一度!
作ろう。
仕事もなく暇な時は、暗い模型ヲタになって部屋に引きこもるのだ。部屋にはAKB・新チームBの歌が流れ、漂う接着剤の匂いと道具類でプラを削る音…まさに、ご意見無用の介…。
ある意味で模型少年の願望に等しいね。
まずは、もっと時間を作ろう。
表現にしがみつく
我々一般人が記しているブログは日記みたいなものだ。
だが、日記は誰かに見せるものではない。
では、ブログ化した日記とは何か。
考えてみると、かなりの矛盾がある。
他人へ公開する目的ではないのに、公にしているのだ。
これが芸能人などブログと日記が宣伝を兼ねた場合は、時に有効なアピールとなる。が…そういうことは我々には無縁だ。
作家名は失念したが、曰く『古今東西、日記とは、書き手は日記を誰がが開いて、いずれかに読むことを意識して書いているものた…』という説がある。
あらゆる文章とは、読み手が存在するものなのだろう。しかも、ブログは初めから読まれる事が前提にある。
ブログは書かれる話題は何でもよいのだ。そこに送り手のメッセージなり、意志が備わっていれば言葉の作用が生まれる。それは趣味や仕事、何でも良い。
しかし、ブログとは『王様の耳はロバの耳…』的なゴミ捨て場ではない。残念なのは、ダイレクトな校正や推敲が書き手しか存在しないため、時に自己完結した内容、あるいは自分だけがウケているネタで終始する場合がある。
それは『自己矛盾による言葉の躁鬱』だろう。
さて、このブログも二年半くらいは書いてきた。ブログが私の日記である以上、ひっそりと書き始めて、やがて人知れず終わる。
言葉を発していた意識が転じ、空気に近くなる。軽くなった魂だけが宙に舞う。その緩やかな終焉。
でもね…まだ、書きたい事が沢山あるから、このブログは続くよ。
推しの、あの子もいるしねぇ。
止められないや。




