HOODのブログ -263ページ目

故郷を出て。

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さきの東日本大震災で、私の生まれ故郷も、未だ原発事故の放射線物質による汚染の影響下にある。

それは地域全体が廃墟となる将来への不安を抱えているという事だ。
他所の住人が、どのように今回の状況へ理屈を付けようと『余計な揶揄』でしかない。

あの震災まで、私は『廃墟』を時間を目視する具象として捉えていた。『廃墟写真』も、そこに作品としての存在があった。けれど、震災以降は本当の廃墟とは絶望の意味だ…作家が作品として問うには、真実が残酷過ぎるのだ。自ら、身を切って表現するにしても、まさに死を恐れぬ覚悟が必要だ。


『廃墟写真』はバブル崩壊文化の『比喩』であったが、原発事故以降、それらは『絶望と破滅』に確変したと私は思っている。

ともあれ…廃墟とは消滅する記憶なのか、衰退した文化記録なのか。


目に入り、思い付くまま携帯写メ。

置き捨てられた人々の生活。しかし、撮影者自身が死を覚悟せぬ『廃墟写真』など、所詮は遊び…か。

記憶の残像

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あまりに滑稽でブログ文の枕にするのも憚れたが…某市長の失言は指導者、知識階層としてあるまじき言動であり、看過すべき問題ではない。
他国の兵士達に自国内での風俗を斡旋奨励する行政官の姿は、あまりに時代的錯誤が強い。
そして、絶望的なまでに言語と表現世界が稚拙である。


だが…確かに、かって日本国内には遊郭があり、戦中戦後のしばらくまで赤線青線と呼ばれる歓楽街があった。

東京や大阪ばかりでなく地方都市や有力な産業のある場所には、自然発生的に業者が軒を連ねた。

個人的見解を述べれば、特に明治時代前後に作られた遊郭の建物には、独特の構造や色彩、意匠を有していたようだ。

しかし、残念な事に建築文化として研究の対象となる前に取り壊されてしまっ物が多い。

今は、客達の歓声や娘達の吐息を忍ぶべくもない。ただ、多くの作家が描いた作品の世界観だけが、現代の我々に人々の呼吸と体温や匂いを伝えてくれる。

そこは、かろうじて性風俗と文藝が襖一枚で生活していた世界であり、幾多あるべき人生を選べなかった人々が存在していたのだ…と私は解釈する。


働く娘達にとっての『自我の喪失』という言葉が、一番似合う場所であるかも知れない。その世界を、今は言葉に表しても具象化は不可能だ。


写メは、かって何が存在していたのか記憶すら消滅した場所、その一角の残像。

さらばーちきゃうよーたびだーつふねーはー♪

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数十年ぶりにリメイクされた『宇宙戦艦ヤマト2199』を見た。

オリジナルが放映されたのは、私が中学一年の頃だ。

オリジナル作品に沿って製作されているようだが、まさに我々が思い描く、疑似戦時中的なノスタルジーである。

アニメ技術は今回の方が美しい。
主人公達も、今時の若者達に描かれている…。


…ん?


まさか、先年に実写化された某『宇宙戦艦ヤマト』的な展開ではあるまいな。
一抹の不安が過る。


さて…我々中年世代なら、青春時代に交わした会話に、このような記憶のある方もおられよう。


昭和五十年代初期…居酒屋での男女の会話。

♂『まぁ…結局、男は波動砲みたいなもんだからさ…』

♀『えっ、それって、どんな意味なの?』

♂『波動砲ってさ、一発発射するとヤマト艦内のエネルギー供給がダウンするんだよ…回復するのに時間がかかる…だからさ、アレがアレして、こうなってだね…』


♀『…ぁあ、なるほどね…うふふっ、やはり男の人って大変ですね…』

文にすると、下らねー会話だが、結構マジにネタとして通用したんだよね…これ。


『こんなことも、あろうかと…』真田の名台詞の一つだけど、この台詞は、たしか最終回なんだよね。
こんなことも、そんなこともなく…不発な話で…おしまい。


ヽ(ΦωΦ)У


おやすみぃちゃん。