故郷を出て。
さきの東日本大震災で、私の生まれ故郷も、未だ原発事故の放射線物質による汚染の影響下にある。
それは地域全体が廃墟となる将来への不安を抱えているという事だ。
他所の住人が、どのように今回の状況へ理屈を付けようと『余計な揶揄』でしかない。
あの震災まで、私は『廃墟』を時間を目視する具象として捉えていた。『廃墟写真』も、そこに作品としての存在があった。けれど、震災以降は本当の廃墟とは絶望の意味だ…作家が作品として問うには、真実が残酷過ぎるのだ。自ら、身を切って表現するにしても、まさに死を恐れぬ覚悟が必要だ。
『廃墟写真』はバブル崩壊文化の『比喩』であったが、原発事故以降、それらは『絶望と破滅』に確変したと私は思っている。
ともあれ…廃墟とは消滅する記憶なのか、衰退した文化記録なのか。
目に入り、思い付くまま携帯写メ。
置き捨てられた人々の生活。しかし、撮影者自身が死を覚悟せぬ『廃墟写真』など、所詮は遊び…か。


