忘れていたもの
私が、初めて能撮影を依頼された時の機材。ミノルタXEに望遠135ミリ、50ミリの標準。XEは静かなレリーズ音と巻き上げで舞台撮影向き、望遠レンズは柔らかく繊細な描写をする。
これで、私は知人(能楽師)の初能を撮影。まだ写真の勉強を始めた頃、機材も充分に揃わず怪しいカメラとレンズの組み合わせであった。
一応は一眼レフの形をしているが、難有りの機材だった。…普通は、そういうカメラをジャンクと呼ぶ。
もちろん普通ならば撮影なんかには使わないだろう。
これで、私は本舞台撮影に臨んだ。能撮影に使える機材は、これしか無かったのだ。
ひたすら必死で、機材の壊れかけた箇所を何とかセーブしながら、初めての能公演撮影に挑んでいた。
この時の写真が本当に舞台撮影、第一歩であった。
能の撮影依頼は嬉しかったし、そういう喜びとか舞台に対する尊敬があって、初めて無事に撮影は終わる。おそらく知人も初舞台であり、必死の演能だったはずだ。
その後、カメラは部品を手に入れて自分で修理した。今でも、スナップカメラとして現役で使う。このカメラを手放すと初心を忘却するのではないか、と思う。自らの技術を自画自賛しても意味がないし、それが次の撮影を保証するものではないからだ。
虫一匹で何ができようか。
読書だけが私の人生において思考の糧だった…と。少しエエ格好過ぎるか。
本を読むままに、いつしか大学まで国文学を選択していた。
この国文学という分野、あるいは国語教育論、さらに言語学・文法研究も含めて同一の視野に見据えた学問…つまり、それが文学部の作業である。
と、簡単に言い放つのは危うい。
私が専らにしたのは作品研究であり、論理的記述における云々など、または文法論や言語学という理学に近い分野は…単位習得に汗を流した…だけ。
そう、正直に言おう。
私は、自称論理的記述を用いたとするロジックが苦手である。数理に絶対的三角形が存在しないと同様に、絶対的に完璧な文章言語は人の脳内では出現しないのだ。『最初に言葉があった』…言うなれば人類の過ちは、そこにあるかも知れない。
さらに言うならば、論理至上主義も同じだ。論理思考に対しての解釈に汗は流しても、私は血までは流せない。
もし、血を流しても禁じ得ずに論じるとするならば、何より『文学、文藝とは人間を問う学問だ※1』…と私も言いたい。
文藝が人を問うからこそ、人は作品を生み続けるのだと思う。
文学部否定論や国文科廃止を標榜する『唐変木』が最近は巷に発生しているようなので、血を流した一人として書き残しておく。
※人を問う学問…坂口安吾の言葉だったと記憶する。


