能『経正・シテ浅見慈一』
先週、能楽写真家展が無事終了。ご来場の皆様、本当にありがとうございました…このブログの効果があったのかは疑問があるけど…人との縁を大切にして活動を積み重ねてゆくのが、撮影者としての自分の仕事だと思っている。
舞台写真作品は、役者、撮影者、鑑賞者の立場で評価が違う場合が多い。三者一致で評価されるならば、撮影者冥利だがそうは簡単にはゆかない。
写真作品には肖像権やら著作権、さらに隣接肖像権があり、作品人格権という権利もある。
法律という体系は、作品世界とは異なる見解を有しているが作家必携の知識である。面倒だけど、そこも大切な作業のひとつだ。
さらに…撮影経費やら作家作品としての料金を考える事、一番の課題ではあるけど…いつも悩ましい。
猫というやつ
猫ヤクザ。十年前くらいに佃島で出会ったヤツ。
すでにブログでは既出の猫だ。
私は、この猫をかなり気に入っている。たぶん、飼い主以外に打ち解ける人間はいないはずだ。
人間に媚びていないところが、猫らしい自尊心を感じる。白黒の隈取りの効果だろう。
一説によれば、猫は人間を図体が大きいばかりで間抜けな猫…と認識しているらしい。
ずいぶん昔に猫を飼っていた事がある。猫には自分の生活と時間がある。 困った時だけ人間を頼る。
こんな話もある。十年前だったか、私は日暮れが迫る山道を一人下っていた。あと一時間は歩かないと人里には出ない。そんな山道で突如、山草の陰から子猫が飛び出してきて、一目散に私の背中を駆け上がり、小さな爪を立てて肩にしがみついた。
一瞬、何事か…妖怪?と思ったが、要するに『捨て猫』である。しかし、道中では、私には飼う手だてはない。
ただ、子猫は私にしがみついて人里に帰る事を選んだ。
そんな訳で、しばし山道を歩きつつ人里に入り人家がならぶ道端に子猫を下ろしてやった。
下ろされた道端に、子猫はずっと私を見送っていた。次第に暗くなる中、私の姿が見えなくなるまで、ずっと見ているのが解る。
子猫が、その後はどうなったかは知らない。私は猫を肩から下ろしながら『ここからは、お前の運次第だ。運があれば新しい飼い主に会えるだろう。頑張れよ……』
そんな子猫との出会いと別れも、十年前以上の話だ。ヤツが新しい飼い主に出会ったとしても、もう寿命だな。


