HOODのブログ -160ページ目

積み上げ


公演終了後


深夜、突然のように寝言が歌になってしまい、自分の声で目を醒ます事がある。


例えば、ネットで『歌唱法』を検索すると様々なレクチャーや教室があって、YouTubeでも視聴することが可能だ。たいていが西洋式歌唱であって、私が長年習ってきた能楽の発声や歌唱とは相違点が多い。しかし、参考にならないわけではなく、興味深い内容が多いのだ。


むしろ、声は毎日使っていた方が良いと思う。リズムを意識して軽く歌うくらいが、喉の体操になるのではないか。

私は学生時代に能を習うまで、日常生活の中で歌う作業をした事さえなく、声を使う(楽器としての歌唱という意)、その使い方や運用も体得して来なかった。

稽古の中で、一番辛い作業だったように思う。そういう経験で考えると、歌唱も日々の積み重ねであろう。何年かかるかは個人差があるが、ある程度までの進展が望めると思うのだ。

しかし、歌や謡が寝言にまで入り込む状態というのは、何か一つのトラウマなのかも知れぬ。

負け惜しみ


運命は突然に現れる。

朝方はだいぶ冷えてきた。相変わらずの寝相の悪さ、布団や毛布を蹴っ飛ばす癖。寝汗も子供の頃から多いし、冬の冷え込みは苦手である。


ブログネタに窮しているわけではないが、日常から少しばかり遠退いた感が募る。一種の感受性の衰えだろう。あえて周囲の変化に鈍感に接しようとする自分がいる。

何しろ大好きだった自炊が面倒なのだ。美味しく作れない…得意だった料理が苦痛になるとは、さすがに予想しなかった。もし、私が料理人であったら辛い日々となっただろう。

愚痴続きの気晴らしが、一つある。
とにかく鼻唄も含めて『歌う事』だ。

声を使う事、あるいは様々な歌い方や物真似をしてみる。


特に…そう、『エビカツ』『フラゲ』『ギンガム』の気晴らしで一日一回は歌っているはずだ。

とりわけ…『エビカツの…♪海沿いの国道を、まだまだ空いてるバスに乗り、潮風を追いかけて誰よりも早く、夏を探すんだ…』、この小段詞章が好きだ。


この歌に描写されるような青春の日々は、残念ながら私にはなかった。むしろ、中年を過ぎても憧れであるから歌えるのかも知れない。


そして体験的に言えば、毎日の時間よりも早く、気がつけば青春の恋愛期は走り去る。私には得られなかったオマージュをAKB(秋元氏)の作詞に求めているのだろう。


そして蛇足だが。
あと十年若ければ『UZA』は完全に振りコピ出来た…能の仕舞よりは『意外と簡単である。たいして難しいダンスではない』と負け惜しみを言う。

この負け惜しみを、ここは一つ。許されたい。

晩秋




秋も終わる。

この危うくブログも終わりかけた。
物言えば唇寒し…で、言葉が見つからない状態であった。


雑感
写メは実家の庭で見つけた生物達。
以前は普通に見られた青蛙。この町内では、たぶん最後の一匹だろう。周囲は宅地化が進み田畑が消えた。産卵する水田もなく、仲間も周囲にはいなくなったが、昨年から庭に住み着いている。
もうすぐ冬眠も近い。さて来春も生きているのか。

次にハラビロカマキリ。この狭い庭に産卵場所を探しているようだ…夏まであった空き地に住宅が建ち、草原がなくなったからだろう。だが、狭すぎる庭で子孫が育つ余裕は皆無だ。餌となる昆虫は来ない。

最後は、山百合に付いたルリタテハの終齢幼虫。不気味な毒虫に見えるが、立派な蝶になる…はずであった。ある日、鳥たちの朝食と化したようだ。残念ながら蝶を見ることはなかった。

生物達が食物連鎖をしながら生育するには狭すぎる庭なのだ。周囲には隣接する住宅がならぶが、どの家も庭には土がない。そう…若い夫婦ほど庭に土が露出するのを嫌う傾向がある。 レンガやコンクリートで覆って、植木鉢を数点並べるくらい。雑草が生え、虫が来るのを何より嫌悪する。

虫を見るたびに、絶望的な叫びを大人が増えた。先日も、都内で揚羽蝶を嫌い、悲鳴をあげながら、蝶を叩き潰す母子連れを見た。

その反応が普通になりつつある、その許容度の狭さ、もはや人類の滅亡も遠くはない。