距離感が疎ましい
深夜テレビの楽しさと疎ましさ。
どうやら春鬱の季節に入ったようだ。突然に他人や家族が疎ましくなり引きこもりたくなる。
もちろん、世間的に外面だけは良くしているつもりなので、仕事などは問題ないはずだ。だが…一メートル以内に人が来るのは忌避したい。
私にはそういう軽い鬱時期がある。
特に、部屋で他人や家族とテレビを一緒に見なければならない状況が苦手だ。テレビに対しては一人一人の反応は違うはずなのに、何かに付けて合わせなければならず苦痛になる。
テレビが嫌いって訳ではない。むしろ、『ガン見』しているタイプだ。画面の隅まで細かいところまで気になるし、実はウルサイ。
ドラマやバラエティで音声にならない呟きまで鵜の目鷹の目で見ていたりする。
目の動きや口許、手の動きなど。
おそらく、そういう見方しか出来ないので他人や家族が周囲にいると疎ましく感じるのだ。
本に没頭して読んでいる時に、端から話掛けられると不機嫌になる。それと同じ。読書やテレビは一人が好ましい。
しかし、一人では上手く楽しめないものがある。それが『酒』である。
酒を楽しむには一人より、誰か相手がいた方が酒の味わいが深まる。
一人酒という行為は心身に毒だと私は思う。酒で自分を解放して楽しむ。会話を遊びとするのが望ましい。酒席の場で記憶回路や脳内細胞を使いたくない。空気を読みながら時事批評なんて、実は避けたい。
その意味で言えば、この数日の状況は…酒には不向きな話題が多い。非常に残念だが、我々も時代の潮目にたっているのか。覚悟も必要なのか。
私は、したくないな。
いつまで子供なのか!
ブログ更新。
先日の成人式一月十二日朝。外は薄い銀色の世界だった。夜更けに積雪があったようだ。そう思えば、布団の中で妙に懐かしい寒さを感じた。
深々と体に染み入るような感覚、子供時代に経験した東北の冬だ。あの地の底から冷え込む寒気は、雪国で育った人間にしか理解できまい…と。
それは別にして私は両親のために車を出さねばならず時間もないので、慌てて車に結氷した雪を除くべくバケツに風呂の湯を汲み駐車場へ。
…えぇい、面倒な!
ザッザッザーーと残り湯を車に。一瞬に雪は溶け落ちたように見えるたが、そんなに甘くない。
残り湯はたちまち凍り、再び薄い氷の膜をウインドーに張りつかせた。
…まずい、時間がない。焦った私は風呂場に走り第二段目の湯を…と駐車場を引き返す、その刹那。
『滑った!』
凍りついたコンクリートに足を取られて半身から地面へ叩きつけられた。
しかし、痛みよりも焦りが先に立ち、三度のバケツを…と。
『ぐぇっ!』
二回目の転倒。今度は背中から転倒し、背後へ強烈な打撃。
息が一瞬止まり、全身に走る激痛と冷えきった水しぶき。
と…そこへ家から父が出てきた。父は昭和五年生まれの東北生まれ東北育ち。さすがに雪には慣れている。
まぁ、田舎者で古臭い親父だと日頃は思っていたが老いても雪で転倒はしない。まさに『手馴れたもの』…なのだ。
こうして大騒ぎの果て、私は都内に出たのだが…この日の夜。全身に痛み、激しい目眩、吐き気に襲われた。
そう、むち打ち症である。加えて、腰への打撲。右肘損傷。
頭を打たなかったのは幸いか…。
父親の手を借りるなど『認めたくない若さゆえの過ち…』
いや…『お父上も年を取られた』これも違う。
ちっ、何かないのか。この場合…。
写真は…恥ずかしい私の三才くらいの時。道の向こうから荷馬車が来るのを待っていた。そんな昼下がり。
弛
更新を放置していた。
年末から喘息発作。元旦より実家で悪化、寝込む正月であった。昨日、ようやく復帰。
昨年、八月以降は六十回前後ブログ記事を書いているが、能楽の記事は四回(…少なっ!)しか書いていない。これは、あまりに情けない。今後、特に能関連の記事を増やそうとは思わないが、仕事の上からも必要な事は書いておくべきかな…と思案する。最近の能関連に対して私的に意見も幾つかあるので、機会を見て触れてみたい。
やはり、最後の十二月は『タネ再探訪記』で終わった観があるし、あまりに話題を無難にまとめすぎた。
ところで、そのタネに先日『食い逃げ犯』が入ったらしい。私としては、少しショックではある。
聞けば、犯人はAKBファンを名乗ったらしいのだが、巧みに食い逃げ逃亡したという。
ご両親等の営業に当たっては、様々な理由もあるだろうけど、地元の人々にとっても良いお店なので、是非乗り越えて欲しいものだ。
せっかくだし、また『タネ飲み』をしよう。聖地で意味もなくビールにベーコン、しかも昼間から飲む緩い時間を楽しむ。確実に断言できるのは、これこそが『峯岸推し』しか味わえないヲタ三昧なのだ。


