私は祖母が亡くなるまでのことを
割と覚えています
早期記憶を問われると
いつも1番に出てきます
私の記憶だけでなく
繰り返し家族に話されたこと
なのかもしれないけれど
入院している病院に
お見舞いに行ったこと
お見舞いに行く前に
「植木のお店に寄りたい」と言うおじいちゃんに
「おばあちゃんに会いに行くのが先だ!」と
主張し譲らなかったこと
お葬式の時
ふざけて笑っているいとこ達に
腹が立っていたこと
(多分、これは誰にも言ってない)
(言葉には出していないような気がする)
なんで怒っていたのかと言うと
おばあちゃんがかわいそう、とか
おばあちゃんを1番に想え、とか
そんな感じ
私の中には悲しみがいっぱいで
おばあちゃんを想うことは
悲しむことしかないと思ってたのかも
これは
3年前に義祖父が亡くなった時
私の子ども達が
ぶち破ってくれたのだけど
子どもの無邪気な声ってのは
本当に場を和ませてくれると
知ったから
それから
火葬場で見た煙
子ども達は外の公園で
遊んで待っていた
子ども達に付き添った
私の母が教えてくれた
「あの煙にのって
おばあちゃんは空に行くのだ」と
これが4歳の時のこと
で、ここからが本題
(前置きが長すぎる)
私は両親の最大のリスペクトポイントに
気付いたのです
それは
おばあちゃんの最期も
おじいちゃんの最期も
看取ったこと
私は全部を知らないし
表面上のことしか分かってないと思う
だけど
私は自分が死ぬときを想像すると
丁寧に老いを重ねて看取られるイメージが湧くのです
それはきっと
死に至るまでの過程を
大切にする姿を両親が見せてくれたから
だと気付いたのです
私が岩手にお嫁に来た時も
娘が生まれた時も
自力で歩くのが困難なおじいちゃんを
エイトアワードライブで
(いやそれ以上か)
連れてきてくれた
おじいちゃんが寂しくないように
ひよこを飼ったり
その子がニワトリになったり
なかなかできることじゃないよなぁ
と思うことを
やってたんだよなぁ
おじいちゃんはさいごの方
実の息子である父より
息子の嫁である母を頼りにしてた
(今の私にはとても想像できない)
なんかね
このことに気付いた時に
また両親への印象が変わったんだよね
でね
このことに気付くきっかけをくれたのは
ここさん、こと、石原のりこさん
ここさんの「抽象化」セッションの
副産物だったのです
多分ここさんのコアになるであろう
このセッション
早期記憶をもとに
ごまかしようのない私が露呈してくるのですがね
価値観が分かると言ったら浅いくらい
なんだか深いものが出てきたんですよね
ここさんの見立てで言っていただいた言葉は
私の頭からは出てこないことだったなぁ
ここさんのセッション情報は
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公式LINEが1番かと^^
というわけで
本日は32回目の
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