2023年5月17日 関西3泊旅行4日目その1 東本願寺・京博・六波羅蜜寺・六道珍皇寺へ | ミラーレス一眼越しに、私が見た風景たち

ミラーレス一眼越しに、私が見た風景たち

~たゆたうはロマンか、センチメンタルか、メルヘンか

1年前の関西旅行記の続きです。念願の「葵祭」の観覧を終えた翌日は、ひとり旅も最終日となりました。

 

この日も早起きして。東本願寺で午前7時より行われる「晨朝法要」へと向かいます。

まだ目を覚ましたばかりの早朝の京都は、本当に気持ちがよかったです。

 

朝陽を全面に浴びて輝く、昨年は改修の終わったばかりの「阿弥陀堂門」

 

そして「御影堂門」

 

門をくぐった正面の「御影堂」。この日も前月までの50年に一度の「慶賛法要」のために設置されていたお堂へのスロープはそのまま。いつもと違う風景として記録しておきます。

 

この前々月、「慶讃法要」への参拝が叶ったときの模様は、次のリンクとなります。

 

 

この日の法要が終わった後の境内です。

 

法要が始まる前はひんやりとしていた廊下も、お日様を浴びて法要の終わったころは温もっている。靴下越しに伝わるこの廊下でも、いつしか季節を感じられるようになりました。

 

修学旅行かな、みんなお揃いの着物を着ての参拝。いい思い出になりますね。

 

この旅も無事に、いろいろと楽しむことができたことに感謝を告げて、お東さんを後にしました。

 

一度ホテルに戻りチェックアウト後に向かったのは・・・。

 

「京都国立博物館」です。西向きのこちらの「表門」は貸し切りバスの専用の入口でした。

 

下は「イギリス積み」ですが、上は「フランス積み」なっていますね。

 

「南門」へと到着。巨大な看板のとおり、「親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞─生涯と名宝」の特別展へ。

慶賛法要と同様、3月末から開催されていた特別展でしたが前回の旅では訪ねることができず、この日は特別展の会期もあと数日というところでの駆け込みでした。

 

重厚な煉瓦造りの「明治古都館」。旧帝国京都博物館の本館です。

 

「親鸞聖人展」の行われていた「平成知新館」です。

平日の午前中でしたが、会期の終わり近くにも関わらずたくさんの観覧者がいらっしゃっていて、中で行列を待ちつつ、展示も二重三重の人垣を縫いながらの観覧でした。

親鸞聖人のご真筆などを目の当たりにして、一層「本当にいらっしゃった方」なんだということを強く実感。

さらには、法難で迫害を受け信徒が首をはねられた場面の絵では、首だけになっても信徒が「南無阿弥陀仏」を唱え続けるという、信心の深さが今も強く目に焼き付いています。

 

長い年月を経て、親鸞聖人の教えが連綿と今日まで受け継がれてきているということを、全国のお寺から寄せられた様々な寺宝から感じることができた貴重な「体験」として、この日のことを思い出しております。

 

そしてゆっくりと展示を見ていたら、正午をとうに回っていたことを覚えています。

 

「京博」を出て、最初の西の角にある「大仏前交番」

近くの「方広寺」にその昔あったという京都の大仏に由来する交番です。

「京都に大仏?」ということで、テレビなどでも幾度か登場したのを見たことがありました。

 

「五条通」へと出ましたが、ランチのお店がなかなか見つかりませんでした。

そんな私を救ってくれたのが、「五建ういろう」さんの本店の二階にある喫茶室でした。

広々とした店内に、低いゆったりとしたソファーが、展覧会後の疲れた足にとても心地よかったことを思い出します。

 

いただいたのは、日替わりだったか週替わりだったか、「ハヤシライス」のランチでした。

昭和の雰囲気をたっぷり残した店内とメニュー。お気に入りのお店がまた一つ増えた瞬間でした。

 

旅の最終日。新幹線の時間まで行けるところまで足を伸ばします。「五条通」からこの日はさらに北へ向かって進みました。

まずはその名も知られた「六波羅蜜寺」へ。

 

「清水寺」の夜間拝観の帰路などで前は通ったことがあったのですが、参拝は今回が初めてでした。

初めて通ったときは、住宅や学校などに囲まれた中に忽然とお寺が現れ、感動したことを覚えています。

 

ご本堂にお参りします。

 

ご本堂の裏手の「令和館」へ。かの有名な「空也上人像」とは

こちらの2階でお会いすることができました。

館内は撮影禁止です。が・・・。

 

「空也上人像」はこちら。

 

お口からは、「南無阿弥陀仏」の六字が仏様の形になって出てきたというもの。

 

実はこちらの写真は、この時の旅行の翌月、JR東海の「そうだ京都、行こう」のキャンペーンで、スポットCMとして再三登場された「空也上人」の大集合展というイベントで撮影したものです。

 

実に精巧なレプリカでした。東京駅でこれだけのレプリカとお会いしてしまうと、逆に京都へ行く必要を感じなくなってしまわないかとさえ思ってしまうほどです。

 

会場は、47都道府県のそれぞれのお国言葉で書かれた「そうだ京都、行こう」と語りかけるパネルも展示されていて楽しめました。

 

さて、「令和館」を出たところに戻ります。

「清盛塚」です。この周辺が平氏一門の屋敷が立ち並んでいた場所だそうで、こちらは平清盛公の供養塔です。

 

大きな石仏の頭部のみ。

 

 

十一面観音立像さまとご本堂です。

初めての参拝となった「六波羅蜜寺」を後にします。

 

続いて「六道珍皇寺」へ。こちらも初めてのお参りです。

 

こちらは平安京の東の墓所である「鳥辺野」に至る道筋にあたり、この地で「野辺の送り」がされたため、「人の世の無常とはかなさを感じる場所」であったことと、「小野篁」が夜毎、冥府通いのため、本堂裏庭にある井戸をその入口に使っていた伝説のお寺。「六道の辻」の名称も、この地が中世以来より「冥土への通路」として世に知られていたそうです。

 

この旅では、2日前に西の「化野(あだしの)」も訪ねていましたので、一度の旅行ではからずも二つの葬送の地を訪ねたことにもなりました。

 

すると私もここで不思議なことが起きていました。カメラの撮影のモードがいつの間にか変わっていたのた゜と思いますが露出過多に気づかず、ここ以降の撮影を続けていました。ここ以降の写真が見づらくなっていて、大変申し訳ございません。

撮影当時、失敗していたという記憶が残っておらず、ここ以降の写真でもなぜか時折、適正な露出になっているものもあり、ちょっと不思議なことが起きていたようです。

この日、どのような行動をしていたかの自分のための記録も兼ねているのでそのまま掲載させてください。

 

七尺七寸(約2メートル30センチ)もの大きな石のお地蔵さまの「大石地蔵菩薩立像」。弘法大師空海が一夜にして刻んだ、と伝わっているとありました。

 

ご本堂横から奥をのぞかせていただきました。写真がとび気味になっていてこれではわかりませんが、「小野篁冥途通いの井戸」がこちらのお庭の奥に見てとれました。

 

「六道珍皇寺」を後に進みます。

私のミラーレス一眼にはファインダーがなく、カメラ背面のモニターもこの日の強い日差しで露出がおかしいまま撮影していることに気づけなかったのがけん引なのでしょうが・・・。

 

次回は途中からまた適正露出に戻ります。

一人旅の最終日、次回は最終回ですパー