昨年の5月に行った関西一人旅の最終日です。今回が最終回。
時間の許す限り北へと足を伸ばしました。
六道珍皇寺で、カメラの露出設定が狂ったまま撮り続けていました。
見づらいですが、どうぞお許しください。
東大路通から参道を進んだのは・・・。
「安井金毘羅宮」でした。こちらも初めての参拝でした。
有名な「縁切り縁結び碑(いし)」には、長い長い行列がありました。
祈願の方法は、まずご本殿に参拝します。
次に「形代」に切りたい縁・結びたい縁などの願い事を書き、それを持ち、願い事を念じながら碑の表から裏へ穴をくぐり、まず悪縁を切ります。
次に裏から表へくぐって良縁を結び、最後に「形代」を碑に貼ります。
こうしてこの碑は「形代」の塊のような姿になっています。
若い方や外国からのお客様の列に並ぶ勇気はなく、この日は本殿へお参りして金毘羅宮を後にしました。
祇園の街並みを進み、再び東大路通方面へ。
「東大谷参道」へ。なだらかな上り坂へ。
途中の「八坂神社」の南楼門側の石鳥居。この日はここからの参拝でした。
石鳥居の背中側に、「大谷祖廟」への参道の入口でした。
ひたすら長い参道でした。ここを進むのもこの日が初めてでした。
途中、「ねねの道」と円山公園を結ぶ道を横切ります。ここの場所はいつも何度も通ってはおりましたが、いつもここで一礼合掌するのみで進んでいたことが長く気になっていました。
「総門」へ到着です。さらに階段を進みます。
「ご本堂」へ。初めてお参りさせていただきました。
手水鉢のお花が綺麗でした。
本堂からさらに上がった高い場所に到着。浄土真宗の宗祖「親鸞聖人」の御廟所(墓所)です。お参りします。
これまで何度も近くまで通りながら、それが夜だったりで開門時間に訪れることができていないことが、気になっていた場所でした。
この日、納骨に来られていらっしゃったご門徒さまとともに、初めてのお参りが叶いました。
東山の山麓の緑を背にした落ち着いた空間で、ゆったりとした時間を過ごすことができました。「大谷祖廟」を後にしました。
「円山公園」へ。
新緑が美しかったことを記憶しております。
「円山公園」もこうした明るい時刻にゆっくりすることがなかったということを悔やんだことも思い出しています。
いつもは、公園のシンボルの「枝垂れ桜」にばかり目を奪われでいましたが、自然がいっぱいのオアシスであることを忘れていたことを反省していたことを思い出します。
この日も「アオサギ君」とお会いできました。お元気そうで何よりです。
シンボルの「枝垂れ桜」は、来る季節に向けて葉っぱが「満開」。
「知恩院三門」。こちらからの参拝でした。
この後の写真は、さらに露出が狂っていて真っ白に撮れてしまいました。
そして、この旅で最後に訪れた「青蓮院門跡」のお堂へと上がらせていただいた後に、室内でモニターが見やすくなったからだと思います。カメラの誤設定に気づいたようで適正な露出に戻っていました。
お庭は池泉式の回遊庭園です。お堂内から。
豊臣秀吉の寄進による「一文字手水鉢」です。
「宸殿」へ。
こちらは当時、大きな改修中で、廊下を見上げると養生越しに外の光が見えていました。
昼間でもほの暗い廊下を進みましたが、まさにその「一隅」だけが明るく光が差し込んでいました。
偶然なのか演出なのか。まさに照らされた一隅の光があれば、それをたよりに進むことができるということを実感して歩いた記憶が蘇ります。
「親鸞聖人」が9歳のときに、お得度を受けた「青蓮院」。
この旅では、「東本願寺」に始まり、この日の「親鸞展」「大谷祖廟」と「親鸞聖人」のご遺徳を訪ねる旅ともなりました。
お庭には季節の花々。
改修中だったお堂は、このように覆われていました。
落ち着きのあるお庭を進みます。
登り切った先には、平安神宮の大鳥居の頭も見えました。
竹林のささやきを聞きつつ進みます。
こちらでも鐘を突くことができます。
心を込めて、一打を。
「親鸞聖人」の童形像には、ちょうどこの時間、後光がさしていました。
拝観を終え、門を出ると・・・。
ちょうど閉門の時間でした。
門前にある、親鸞聖人のお手植えと言われる「大クスノキ」です。
旅の最後は、今は関東での出店がなくなってしまった「KYK」のとんかつでした。
帰りの新幹線の車窓から撮ることのできた夕景です。
昨年5月の関西3泊一人旅行記は以上です。
甲子園でのタイガースの首位奪取に始まり、仁和寺での阿弥陀如来像の授与、初めての「葵祭 路頭の儀」の観覧、そしてまたいくつもの初訪問となる寺社への参拝が叶った旅でした。
記事の作成が遅れ、一年前の記事となりましたが、最後までお付き合いいただきましたことを感謝申し上げます。
また順に、昨年の出来事をまとめていきたいと思います。ありがとうございました。