第一話から続いた内容になっています。
一話から読まれてないと、内容が繋がらない箇所がありますので、一話からお読みください。
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●麻績(おみ)の里の舞台桜とお祭り
●麻績(おみ)神社
** 座光寺から遠く離れた麻績村
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第二話 麻績神社と、北斗七星の柄杓の水を掛ける先
【麻績(おみ)の里の舞台桜とお祭り】
今日のメインテーマの獅子舞は、元善光寺に隣接する麻績(おみ)神社の祭りで、春祭りが一番、座光寺の人々にとって力を入れた祭りになっているのです。
丁度、桜が満開の時期と重なり、祭りに色を添えていました。
祭りの会場となる麻績神社前には、巨大な枝垂れ桜があるのです。
この桜は樹齢350年以上とされ、「麻績の里の舞台桜」と呼ばれます。
麻績(おみ)の地でないのに、「麻績の里」と付けられています。
この桜は、唯一の品種で、花弁の枚数が定まっていない、この場所にしかない桜なのです。
「舞台桜」と言われるのは、この桜の前に、歴史のある大きな歌舞伎舞台があるからです。
この祭りは、獅子舞で知られ、それが普通ではなく、鉄骨の骨組みで作られた獅子の中に、お囃子を持つ大きな屋台獅子で、夕方まで練り歩き、最後は階段を担ぎ上げ、舞台桜のある広場で、最後の舞を奉納するのです。
獅子舞が奉納されたのは1811年の創始とされ、長い歴史を持ちますが、しかし、この祭りに詳しい地元の方に尋ねた所、獅子舞の意味を知る方や、資料が見つからないのです。
善光寺の元になっている地であるにも関わらず、郷土史家自体が見つからないのです。
座光寺に隣接する「喬木村(たかぎむら)」の名前の由来を役場に尋ねた時も、詳細を語れる人がいなかったのです。
不思議な感じを持つぐらいです。
だから私独自の紐解きで進めていきます。
日本の宗教に隠された物語が見えて来るのです。
今日のタイトルの「獅子舞」の祭りを知るためには、麻績神社の事も、善光寺の事も、その周辺地域も知る必要があります。
ですから、獅子の祭りは、後半に書く事にします。
これを調べるに連れ、不思議な縁の力が存在する事を改めて知ることになるのです。
[麻績(おみ)神社]
獅子舞を奉納する神社は「麻を績(つむぐ)」と書き「おみ」と読みます。
まず読める人はいないと思います。
この名前は、この地の国学者が気に入っていた「麻績」の言葉を明治8年(1875)以後に、八幡社と呼ばれていた神社を「麻績神社」としたそうですが、これも、何故、「麻績」だったのかは不明なのです。
国学者が絡んでいるのに、獅子舞と同じ様に、謂れや資料が残っていないのです。
*** 座光寺から遠く離れた麻績村
麻績の名を持つ麻績村が、ずいぶん離れた長野市の南西にあり、座光寺の名前と共に、とても違和感を持つのです。
この麻績村と、座光寺との繋がりを天台密教からも感じます。
座光寺の西には、信濃比叡と呼ばれる寺があり、その地の手力男(てじからお)伝説も、麻績村近くの戸隠村に手力男神が移り祀られたのです。
それも良く分かっていません。
麻績村が何処か、地図で調べていたら、天台宗の高僧慈覚が建てた北向観音の北に位置していました。
天台宗の北の星(北極星、北斗七星)を崇める形が麻績神社にも感じられ、この座光寺の獅子舞と繋がるのです。
獅子舞については、もう少し先で紐解いて行きます。
この関係を知った時に、末娘との不思議な縁を幾つか感じたのです。
麻績村も、その繋がりを表しているかのように、末娘の子供の名前があったのです。
もう少し、座光寺の麻績神社を見ていきます。
第三話へ続く