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第一話 座光寺と呼ばれる理由
●座光寺と呼ばれる地名は・・・
**寂光寺と、善光寺の説話と、囲碁の名人
**善光寺の説話では、何故「難波(大阪)」なのか?
第二話 麻績神社と、北斗七星の柄杓の水を掛ける先
●麻績(おみ)の里の舞台桜とお祭り
●麻績(おみ)神社
** 座光寺から遠く離れた麻績村
第三話/善光寺から国譲り神話が見えて来る
●麻績の祭神から見えて来る諏訪大社と善光寺との関係性
**麻績神社の祭神
●麻績神社の七つの神を祀る社
**七柱の社の役割
●麻績神社と、火の神の山・秋葉山
●麻績村を知ると・・・
**聖山の由来
**伊勢神宮との繋がり
**上加茂神社と麻績神社を重ねて見ると・・・
第四話/獅子の正体は八咫烏(ヤタガラス)?
【座光寺のお祭りの変わった獅子舞】
**目が見えない獅子
**幸福になれる「七つの花」
**三人の先導役の童子の舞
**元善光寺の矢場
第五話/我が家に現れる有り得ない現象が、確信に変わった
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第一話
座光寺(長野県飯田市)の地に嫁いだ末娘が、「お祭りがあるから来ないか」と誘いがあり訪れました。(4月7日)
【座光寺と呼ばれる地名は・・・】
この祭りは、飯田市座光寺の一大イベントになっています。
座光寺は、寺と付いていますが地名です。
名前の由来には、色々な説がありますが、善光寺の創設の説話からと思われ、この地に在る元善光寺自体を表していると、私は思っています。
そして、「善光寺村」と付けずに「座光寺」とした事は、「座光」に寺と付いている事から、寺についての意味であるはずで、この地の寺は、善光寺以外考えられません。
***寂光寺と、善光寺の説話と、囲碁の名人
座光寺の地名由来として、一説では、京都の寂光寺(じゃこうじ)の読みが転化したとも言われます。
私は、この説に至る過程を知りませんが、この寺の特徴から、善光寺との繋がりもあると思うのです。
それは、寂光寺の三尊を一つのご本尊にまとめて表す事が、善光寺のご本尊、一光三尊像と結びつくのです。
そして、寂光寺は、碁打ちの名人の僧で知られているのです。
これは、座光寺の獅子舞とも繋がり、碁とつながりのある日置部と関わって来るのですが、ここで、それの紐解きを入れるより、読み進めるにつれ理解して頂けると思いますので、続けて読み進めて下さい。
それは、我が家との繋がりでもあるのです。
前の記事で出て来た「倭文(しず)」は、大甕(おおみか)神社の祭神で、我が家の前の家の方の名前と書きました。
その家の職業が碁盤店で、碁盤のルーツの日置盤を使う日置部の易と繋がり、「易」と言う名前を持つ私の友人とが碁盤で繋がり、その友人は、我が家の前の碁盤店と同名の碁盤店(親戚筋でも無い)で繋がるのです。
ここでは書けない、不思議な繋がりがまだまだあるのです。
***善光寺の説話では、何故、「難波(大阪)」なのか?
座光寺の由来の定説は、善光寺の説話で、それは、
本多善光が、難波(大阪)の海で見つけた如来を家に(座光寺)持ち帰り、臼に入れたら光った事から自分の名前、「善光」を付けたお寺を建て、奉った事に起因するのです。
大阪は、伊香氏族の地と思われ、豊臣秀吉が基盤にした地です。
これとの繋がりは、良く分かりませんが、秀吉の幼名・日吉丸を付けられたのは、死後に大衆の読み物「甫庵太閤記(ほあんたいこうき)」が初見とされ、徳川が「豊臣秀吉素性記」で「猿」とした事が発端ではないかと、私は思うのです。
これらは、偶然なのか仕組まれたものなのか判別がつきません。
立ち三つ葉葵紋を持っていただろう猿の日吉大社から、同じ紋の善光寺に結びつき、名古屋の豊臣秀吉の誕生の地に住む我が家の娘が、元善光寺の地に嫁ぐ偶然は、何処までが偶然なのか分かりません。
前にも、善光寺の地に娘が嫁いだ不思議を取り上げた事がありました。
その時は気が付きませんでした。
この大阪にまだ繋がる不思議な縁を。
我が家の不思議な繋がりの中で一番の驚きなのに、この座光寺の祭りを知るまで、気が付きませんでした。
この驚きも含めて、我が家の驚きと、座光寺との繋がりは最後に回します。
第二話へ続く