聖ミカエルのレイライン・・第3話
名古屋の街は、白山によって守られている?
第二話では、スコットランドのオークニの名前の由来・シャチから名古屋城へ繋げてきましたが、オークニの名前から連想するのが、出雲の大国主を浮かべます。
出雲への繋がりは、シャチからだけでは有りません。
出雲大社の神紋が、白山と類似するからです。
白山比咩神社神紋は、
外側が、亀甲
内側が、キュウリの花
出雲大社の神紋は、
外側が、亀甲
内側が、剣花菱
剣花菱紋は、正倉院にある渡来からの織物の紋様が初見とされ、私が目にしたのは、白山の入り口の一つ、美濃馬場(ばんば)にある高賀神社の本殿の扉に付いていた三つの紋、菊、桐、この剣花菱からです。
武将では余り使用されていなく、武田信玄が使用していた紋として知られます。
やはり、白山の影響があったのでしょう。
亀甲とは、亀の甲羅を表し、卜占(ぼくせん)に繋がるものです。
日置部の「占い」です。
伏見通りの南端は、熱田神宮で、この地は昔、蓬莱崎と言い、蓬莱信仰が根付き、地の底には亀が棲むと言われ、この事から、熱田神宮界隈のお寺の山号に「亀」が使われているのです。
上の画像は、
2016年に名古屋城を訪れた時に、疑問を持った事から写したものです。
その疑問は、正面に白山が見えた事でした。
屋根の指し示す方角にあるのが、この画像からも分かると思います。
一年の内で白山が見えるのは、ほんのわずかな条件が揃った時だけです。
この時から、私が、名古屋城の謎解きに関わる事を決定されていたのかもしれません。
そして、今回の記事で、「名古屋城の北面中央に白山が見える?」が、結び付きました。
それは、名古屋の中央を南北に通る伏見通りの傾きに気が付いた事からでした。
この傾きは、伏見通りが北を向いてないのではなく、
お城に傾きがあったのです。
名古屋城の北面の中央に白山が見えるのは、
徳川家康が造った名古屋城と町が、共に北から8度ズレて造られたからだったのです。
古地図を確認すると、町が城の向きと合わせて日置盤の目のように道が走っていました。
やはり、当初からお城と街が少し西に傾いていたのです。
家康が、日置一族の場所に名古屋の守護として、羽島から大須観音を持って来た事からも、日置の仙術が街に込められていると、私は感じるのです。
その羽島の場所は、ミカエルの聖なるラインと重なる、日置神社からの夏至の太陽が沈むライン上にあるから不思議です。
8度の傾きについて名古屋城に問い合わせると、天守閣に光が入りにくいと言うもので、とても誰もが納得するような回答では有りませんでした。
上の画像を見ると、良く分かります。
家康の霊廟・日光東照宮は、北極星の北を取り入れています。
だったら何故、名古屋城をこの様な角度にしたのでしょう?
それは、江戸城にも見られましたが、江戸城はまだ理解していません。
名古屋城建設時の清州越し(清須の街を名古屋へ引っ越す)に、その証拠が有るように思うのです。
それを改めて見てみると、我が家に、この傾きの八度が深く結び付いて、それを整理すると、徳川家康が、この不思議な形を名古屋の街に施した事が浮かび上がってくるのです。
それを、今日、お客様に話したら、「寒気がする」と言われました。
4話へ続く