今日のタイトルを見て、どの様に繋がるのか想像も付かない事でしょう。
私もこの繋がりを知った時、驚いたのです。
**** 目次 ****
● 聖ミカエルのレイライン
● 日置神社の夏至の太陽が沈むラインと、イノシシ
● 猿のラインが60度の傾きがある訳
● ミカエルと、羽のライン
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前の記事で書いた日置神社の隣にある高顕寺(こうけんじ)を訪れた次の日(4月29日)
「世界ふしぎ発見」を見ていて、「えっ!」となった場面があったのです。
この時の内容は、フランスのモン・サン・ミシェルについてでした。
この私が驚いた事の前に、この時の番組の内容を簡単に書きます。
【モン・サン・ミシェルとは】
フランス南西部にある海に浮かぶ大天使ミカエルを祀る聖地です。
708年にオベール司教により島の頂上に教会が建てられました。
屋根の上には、金色の羽の生えたミカエルが輝いています。
頭の上には太陽を思わせるような冠をのせます。
その場所は、教会が建てられる前から信仰の地でした。
紀元前5000年もの前から、信仰の象徴の巨石が配置され、信仰が続いていました。
【聖ミカエルのレイライン】
この場所から、海を挟んだイギリスのコンウォール地方にも、モン・サン・ミシェルと瓜二つの場所があります。
ここも、潮が引くと島への道が現れ、島の高さも同じなのです。
それは「セント・マイケルズ・マウント」と言い、フランス語に直すとモン・サン・ミシェル(聖ミカエルの山)になり、
1500年前に大天使ミカエルが現れたとされる聖なる場所なのです。
その二つを結ぶそのラインは、
夏至の太陽が沈むラインで結ばれるのです。
不思議なことに、そのラインを伸ばしてみると、その線上には、聖ミカエルを祀る聖所がピンポイントで幾つも並ぶのです。
この道は、聖なる道と呼ばれます。
シュケリッグ・ヴィヒル
(アイルランド)
↓
セント・マイケルズ・マウント
(イングランド)
↓
モン・サン・ミシェル
(フランス)
↓
サクラ・ディア・サン・ミケー
(イタリア)
↓
モンテ・サンタンジェロ
(イタリア)
と続きます。
私は、これに驚いたのです。
この驚きの理由は、2つほどありました。
私は若い頃、フランスのグルノーブルに少し住んだ事があります。
ひょっとして、このライン上に位置すのではと照らし合わせると、ピンポイントではありませんが、ほぼ、ラインに沿っているのです。
グルノーブルの中心での撮影
これは、最初に驚いた事ではありませんでした。
この記事を書き上げた後に気が付いた事です。
【日置神社の夏至の太陽が沈むラインと、イノシシ】
私は、ずいぶん前に、名古屋の日置神社が、夏至の太陽が沈むラインと関わっていると紐解いてきました。
それは、個人的に起きた不思議な一致からでした。
驚いた理由の一つに、前日に日置神社と私の不思議なイノシシとの繋がりから、この場所を訪れていたからです。
いつものように、直ぐに繋がるものが現れます。
名古屋の山王地区にある日置神社から夏至の太陽が沈むライン上には、不思議な重なりが幾つも見られました。
岐阜県養老までラインを引くと、「猿」と、「王」のキーワードが重なっている事に気が付きました。
山王と言う地を幾つも通り、日吉丸とも呼ばれ、瓢箪や、サルで知られる豊臣秀吉に繋がる所を通るのです。
その事を考えると、このラインは「猿のライン」と言えます。
山王信仰も猿の信仰と言われるのです。
このラインで最も驚いたのが、私の生まれた場所と、豊臣秀吉の誕生の地をピンポイントで通るのです。
では、前の記事で書いた、前日に訪れた高顕寺のイノシシは、何なのでしょう。
京都を見てみると、北を表す圓成寺はイノシシであることから、南北のラインを表すのではと感じたのです。
私事が、猿のラインに関わっているのなら南北を貫く伏見通りを表しているのではと考えたました。
このラインもピンポイントで、私が育った場所が幾つも重なるからです。
父の店も、この通りの名前になった「伏見」に在りました。
この伏見通りは名古屋城から熱田神宮を結ぶ大通りなのです。
山王の字を見ても分かるように、縦と、横の線が交わる事を表しています。
京都の圓成寺は「妙見さん」と、親しみを込めて呼ばれます。
妙見信仰は、日蓮宗の信仰です。
妙見とは「妙なもの」を意味していて、イノシシの摩利支天が「陽炎(かげろう)」を表している事と似ています。
日蓮宗の宗紋で知られるのは、「橘(立花)」紋です。
私が出た高校は、日蓮宗のお寺が経営する学校で、「立花」と言い、校章は「橘」でした。
そして、日置神社の紋も、地名も「橘」なのです。
不思議な事に、私の通った幼稚園から高校まで、この伏見通り上につながるのです。
これらから、「猿のライン」とした夏至の太陽の沈むラインに対して、南北のラインを「イノシシのライン」と言えるのではないでしょうか。
【猿のラインが60度の傾きがある訳】
ここで、疑問が生じます。
「猿のライン」が、山王信仰のタテとヨコの線の交わる事を表わしているのなら十字にはなりません。
「猿のライン」には傾きがあります。
これは、日置神社から紐解いた、「プラス1」の方位からも、「猿+1」で説明できますが、伏見通りと山王通りとが交差する場所に、江南から移ってきた「山王稲荷」が、それを分かり易く裏付けます。
稲荷の狐は、古代エジプトの犬のアヌビス神と紐解いて来ました。
この、アヌビス神は、古代エジプトの神ですが、古代エジプトの信仰は、ミカエルの聖なるラインと同じく「夏至の太陽が沈む方角」なのです。
下の図を見て下さい。
ウサギが東の位置であるから、対面の西の酉(トリ)となり、猿から北へ一つズレていて、犬は、猿(山王信仰)から60度北へ離れています。
山王稲荷の名前が表すように、猿と犬が一つと言う事です。
今まで、何故、稲荷が猿と合わさるのか疑問でした。
やっと分かりました。
猿から犬の角度が、酉(トリ)からイノシシの角へ移動するのです。
ピッタリ夏至の太陽が沈むラインに一致するのです。
イノシシの縦のラインへ向かうかのようです。
無限(∞)ループを連想しますね。
西の位置のトリを猿と重ねたのには、こんな事からも思ったのです。
日置神社から西に猿子橋があり、その地には、西宮神社が在る事からと、猿の子供が「+1」を意味しているように感じ、ここでは、猿が西を表している事を、日置一族がパズルのピースのように配置したと、私は受け取ったのです。
だから、西から60度北を走るラインが猿のラインで良いのです。
【ミカエルと、羽のライン】
驚いたもう一つの理由は、大きな羽のは生えたミカエル像が屋根の上にあったからです。
私と、この日置神社との不思議な繋がりの一つに、我が家の墓のある江南市(愛知県北部)があり、江南市には、古くは丹羽郡の府があった場所で、東西の羽のラインに挟まれていて、羽の地名にも囲まれているのです。
その羽のライン上には、キーワードが隠されていて、太陽信仰が感じられました。
私は、このラインを「太陽の羽のライン」としてきました。
文頭のミカエルの画像を見て下さい。
頭に載せた物が「太陽」だとしたら、背中の「羽」、そして「ライン」と見事に重なりますね。
そして、それは、孫の名前と重なるのです。
【聖ミカエルのご利益】
ミカエルのご利益は、
戦いの守護聖人で、兵士や、消防士に信奉されているのです。
ここでも、我が家と繋がるのです。
何度も書いてきましたが、我が家は消防とのつながりが幾つもあるのです。
これは、最近書いてきた、「祇園祭とイノシシ」に見事に符合するのです。
祇園祭の牛頭天王は、イザナミ神と同じとし、火が燃え盛る冥界に棲むと思われ、繋がりが強すぎると、人間世界では、災いが襲うとしてきた事が、ミカエルのご利益と重なるのです。
ミカエルが「水」の属性を持つのなら、日本では藤原氏が、その信仰を秘めていると感じます。
春日大社が、「水」の属性を持つからで、象徴の「藤」の木が、水を表す龍に見えるからでもそう思うのです。
我が家の墓のある江南市も、藤の花で知られることも一致し、我が家も家紋が藤であるから、私はミカエルとシンクロするのでしょうか?
馬鹿げた考えに写るかも知れませんが、これが私たちの住んでいる世界を創造する法則なのかもしれませんね。
これから、考えられるのが、藤の家紋を持つ家は、「水の属性」で、妻の旧姓が「火の属性」を持つ場合、夫の力の強さによって、災いを押さえれるかが決まるのかも知れません。
天皇は、Y遺伝子を継承することも、それなのかと思ってしまいます。
それは、皇后の家系のほとんどが藤原氏から連綿と続くこともそう感じさせるのです。
我が家も、ここでは、語れませんが、その形があります。
それは、私の気のせいかもしれませんが、私と良く不思議な形で繋がった牛頭天王と縁のある方を見ても、それを感じるのです。
その方は、災難の原因を私に求め、「水を掛けたから、火が消えた」と責めてきました。
先人が、このパズルのピースを秘めたのなら、「水は生命を守る」になり、祇園祭では、子供を表すだろうキュウリは、女子の場合、花になる前なら「水で守られる」はずです。
それ以外のピースは見つからないからです。
このブロガーさんは、前世を信じていて、私に時々、語り掛けてきました。
私は、前世には全く興味が無いので、あまり覚えていませんが、
確か、 イングランドのコンウォール地方 だったように記憶に残っています。
ここには、文頭に述べた、ミカエルの聖なるライン上のセント・マイケルズ・マウントがあります。
そうだとしたら、私の推測通りです。
そうでなければ、ここまで書いてきた幾つかの一致は起きるはずはありません。
火の属性を持つ人は、
水の属性を持つ人と
共鳴するようです。
これは、男女問わないようです。
上の文の中で、日置神社からの猿のライン上(夏至の沈む太陽のライン)には、もう一人有名な人物の住居がピンポイントで在ります。
今の世の人で、暗黒の頂点に立つ人物で知られます。
この人も、いわゆる「王」で、豊臣秀吉も、王と言えます。
信長の生まれた勝幡城もピンポイントではありませんが、このライン上であり、日置神社に縁があり、数百メートルの所には、信長の父の古渡城があるのです。
徳川家康も、この地の日置村の万松寺が縁の寺であり、戦国時代、この三人の王達は、ミカエルのご利益の武運を得ていたのかも知れません。
これが「三王→山王」の隠された意味なのかも知れません。
しかし、私には疑問が残ります。
暗黒の王、三武将が王であるなら、このライン上で生まれた王でも無い私は、何なのでしょう?
驚くシンクロはまだまだ続くのです。