織田信長と、聖ミカエル | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
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GWは、モン・サン・ミシェルのミカエル像の特徴を名前に持つ次女の子供が、5月3日に
泊まりに来ました。

 

この日は、織田信長の当初の拠点であった津島(愛知県西部)にある興禅寺の牛頭天王像が、御開帳の日だったので、子供達を妻に任せ見に行きました。

妻は不機嫌そうでしたが、今年は、1年でこの日だけの公開だったので、どうしても行きたかったのです。

例年は、天王川公園(津島市)の藤祭りの期間に公開されていましたが、今年はこの日の1時からの2時間だけでした。

 

今、私のブログは、織田信長のキュウリの紋と、牛頭天王を繋げて紐解いてきました。

私の読者の方は、ご理解されている事と思います。

 

だから、この御開帳は、どうしても外せなかったのです。

 

そして、日置神社(名古屋市中区橘)も、織田信長に縁りがある事から、この牛頭天王像との繋がりを感じたのです。

 

その次の日、三河湾へ潮干狩りに行きました。

 

 

 
到着して、潮干狩り場は、潮が引くと、島へ繋がる道ができ、そこで採るのです。
その場所の光景を見た時、まるで、モン・サン・ミシェルのように私には映ったのです。
私の思い過ごしかと、他の潮干狩り場も同じ風景なのかとネットで検索しましたが、これほどきれいな道が現れているのはここだけでした。
 
この場所は、次女が探したので、私の意思は入っていません。
 
少し遅れて来たので、アサリはほとんど採れなくて、味の悪い鏡貝ばかりてしたが、子供達はそんなの関係なく楽しんで採っていました。
 
昼は、持参したおにぎりを、上の写真を写した堤防で食べ、夕食は、釣りができる海鮮のお店に行きました。
この場所も、長女がセッティングしてくれたので、どんな店か分かりませんでした。
その店に来て、通された部屋を見てビックリ。
その部屋の名前がこれです。
 
キュウリの紋まで有るではないですか。
 
織田信長を部屋の名前になんて、希なものと思うのですが・・・・