信州・喬木村の鬼伝説と白寿祝 | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
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今までの私の紐解きの中で、私自身が驚いたものは、元善光寺(長野県飯田市)に隣接した喬木村(たかぎむら)についてでした。

末娘が、この地に嫁いだ事と、村の由来が重なり、運命に導かれているようだからでもありました。


愛知県北西部の祖父江善光寺東海別院と、その西の木曽三川を渡ったお千代保稲荷や、各務原と対岸の江南などに共通の形がある事に気が付きました。

それは、最近の記事で取り上げてきて、読まれた方は、理解して頂いたと思います。

 この形は、一か所だけでは見えて来ないパズルの様な仕掛けが施してあるようなのです。

例えば、お千代保稲荷周辺では、お盆や、七夕、馬、鉄、桑がパズルのピースとしてあり、

養老の御井神社からは、泉、藤、鉄、その鉄からは、稲荷に繋がり(金屋氏から)、

各務原・江南地区では、泉、藤、鉄、桑が見られ、鏡(銅鏡)が大きな役割を持って現れています。

これだけを見ると、泉は、色々な場所で見られるし、鉄は、農具としての需要から、各地で見られ、藤の花は、何処にでも咲いていると言われると思います。

しかし、今までの記事を読まれると、それぞれの信仰の重要なポイントとして位置している事に気が付かれたと思います。

例えば、養老の御井の神社は、泉と言う名の地の金屋鋳物師住居跡地に建てれられていたり、

それが、日本の信仰の中心の伊勢神宮にもあったり、

法隆寺には、各務原と江南に重なる、二つの池があったりし、それが、表に出ていないことが、ミステリアスに強い結びつきを覚えるのです。

 

前置きが長くなりましたが、今日は、信州、飯田の元善光寺と、その対岸の喬木村(たかぎむら)を、今までとは違う所から紐解いて行きます。

(前の喬木村の記事はコチラ


***** 目次 *****


(1)喬木村の鬼伝説

(2)百とは、あの世とこの世に架かる橋を表わしている?

(3)九十九谷の意味を考える

(4)イボを紐解く


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[(1)喬木村の鬼伝説]

先ずは、喬木村の九十九谷(くじゅうくたに)の鬼の伝説を読んで下さい。(林野庁の治山誌九十九谷より)

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九十九谷は誰が数えたのか,いつ頃からか、ここには谷が九十九あるのだ と伝えられている。

だが,今、正しく数えたら百あるかも知れないが、それを 百と数えない

百ありそうだったら、二本の指を一つにして折って、一つ少なくし、いつでも九十九 と数えなければならないそうです。

もし百と数えたら最後、それこそ鬼が出て、村中は踏み荒らされてしまうと云う。

九十九谷がまだ百谷あった頃,その谷底に鬼が住んでいて、ある時、大荒れ(地震か、大雨)がしてその中の一谷 が埋まって九十九谷となった時、鬼はいる場所がなくなって逃げ出し、市田村の大島山へ飛び越した拍子に石の上に手をついた,その時 の手の跡が深く石に残って、その窪みの中に雨水が絶えず溜っており、その水 をとってきて「イボ」につけると奇妙にイボがなおると云う 。
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沢山の謎々のような言葉が出てきましたね。

それを一つずつ考えてみましょう。

何故、百を数えないのかを考えて見ます。

 

[(2)百とは、あの世とこの世に架かる橋を表わしている?]

元善光寺の伝説に「牛に牽かれて善光寺」と言うものが有ります。

老婆が牛に導かれて善光寺へ行くと言うものです。

祖父江善光寺の場所では、お千代保稲荷との間には馬の名の橋がありましたね。

馬は、西方(あの世)から東方(この世)へ来る時の乗り物です。

喬木村は、前の紐解きでは、この名を鏡に映すと「橋」が現れるとしました。

善光寺の伝承の牛は、老婆を引き連れ善光寺に向います。

牛は、上記と反対で、この世から、あの世に行く時に乗って帰る乗り物であるから、

ここでは、牛は善光寺に向うとするので、あの世側は、天竜川右岸となり、それを表わすかのように、

元善光寺のある右岸に集中して、飯田古墳群(図の緑の丸)が在るのです。左岸にはありません。

 

この形は、各務原と、江南にも見られ、右岸の各務原には、古墳や石室が多くあり、白山の持つ特質の鉄と重なり、江南は、喬木村と同じく河岸段丘で、養蚕が盛んと言う具合に似通っています。

各務原の語源の銅鏡は、あの世を映し出す鏡であるから、説明はいらないと思います。

この事から、天竜川の阿島橋は、「牛」の橋と言えます。

 


面白いことに、祖父江の木曽川に架かる橋が「馬」の橋(馬飼大橋)であるから、逆になります。

 

これらは、愛知県海部郡の津島にある興禅寺の宝物の牛頭天王像に、これらのアイテムが全て詰まっています。

牛、馬、鬼です。


何故、海部郡を引き合いに出したかは、この地が「馬飼」のルーツと言われるからです。

この像は、この寺に、明治になってから来たもので、寺では、内容を把握していないので、私の推測でしかありません。

おそらく、お盆のあの世と、この世を繋ぐ時、穢れも現れると言うものと考えます。

それは、この九十九谷の名を持つ他の場所を見ると、そんな考えに至ります。(長くなるので割愛します)

 

現在、喬木村と、元善光寺の間には阿島橋が架かっています。

阿吽の狛犬からも、喬木村の名前の由来(私の説)、「川の南にある喬木から女性が橋を渡る事を願う」からも、善光寺からして南東(阿)から牛に導かれ渡って来る橋となります。

この牛は善光寺の観音様であったことから、善光寺側は、吽形の狛犬ならぬ、牛と言うことで、「阿島から牛(阿吽)」が整うのではないでしょうか。

阿吽は、太陽の巡行を意味していると思われる事から、この場所では、夏至の太陽が沈む方角(北西)へ向かうとなり、その先は、太陽の沈む冥界の地と言う事だと私は解釈するのです。

 

[(3)九十九谷の意味を考える]

九十九谷の鬼の伝承と、どう繋がるのか考えて見ました。

百なのに九十九と言う変わった話ですが、白寿の祝いと同じです。

白寿とは、九十九歳の誕生祝です。

何故、白かと言うと、百と言う漢字から「一」引くと「白」の字になるから100-1=99なのです。

「一足す」法則のようなものは、日置神社や、熱田神宮から、今までに何度も取り上げてきました。

ここでも、それは見られるようです。

 

前の記事で、喬木村と元善光寺と、祖父江善光寺周辺とを紐解いて来ました。そこから見える一族は、日置一族でした。

それを表わすかのように、名古屋の日置神社周辺にも、喬木村の形が見られるのです。

 

名古屋の日置神社から西に行った黄金地区には九重町(九九)があり、この地が上記の喬木村の名前の由来のように南に位置すると、喬木村の九十九谷の「九九」と重ねる事ができ、

北の金山神社とを考えると、元善光寺側が鉄を表わす位置になり、私の解く形が存在する事になります。

祖父江善光寺も、祖父江が「鉄」を語源としている事から、ここでも当てはまります。
 

上の図を見て頂くと分かるように、元善光寺側の虚空蔵山に鉄と繋がる白山神社があり、それの本地仏は、虚空蔵菩薩と思われる事からも、やはり、鉄の位置は、天竜川西側右岸となります。

 

白山の「白」や、祭神も、「くくり(菊理)姫」と言う事からも「九十九」を表わし、白山の菊仙人の伝承には、谷に雲が浮かび、その下にこの仙人がいたとされ、「九十九谷」を連想できるのです。
 

また、古墳群を見てもギザのルクソールも、ナイル川西岸に集約されていて、古代エジプトの信仰、太陽の沈む方角(北西)が如実に表れています。

ここで、ギザと繋げるのは、飛んでいる解釈かと思われますが、阿島橋の「阿」が阿吽の狛犬の「阿」とすると、これもありかと思うのです。

もう少し続けて次回に書き記した事まで読んで頂くと、奇妙な痕跡に出会う事でしょう。

 

[(4)イボを紐解く]

名古屋の黄金地区の特徴から見ても、それとつながるだろう日置神社と金気を表わす橋からしても、それは伺い知れます。

この場所の猿子橋の西にある西宮神社が

九十九谷と同じく、イボ封じで知られるのも偶然でしょうか?

西宮神社(名古屋)イボ封じのシャモジと石

 

金気を構成する西の猿の橋は、「一」足りないのです。

何度も書いてきましたが、西に一足すと「酉」の字が完成します。(推測)

干支を並べると良く分かります。


 

干支を並べた時、ウサギは、多産の象徴の動物だから東を表すと考えられています。

これは、日置神社を挟んで東側にウサギの橋がある事からもですが、東を象徴する日光照宮の異界へつながるとされる五重塔の正面に虎、ウサギ、龍のレリーフがある事からも分かります。

ウサギは東を表わす動物であるなら、酉(とり/にわとり)は西に位置し、猿からは、「一」足されています。

この猿の数「九」は、成数と言い、私は、成就したと意味付けしました。

つまり、生を成就した位置を表わしているものと思われます。

これから、善光寺の伝承で登場した老婆は、生を表わす場所から、生を成就しに牛に惹かれあの世へ向かうとなります。

これは、片道の表現で、

奈良県宇陀の場合、西の姫が神輿に乗り、東の男性に会いに行き、再び戻る事から、老婆ではない姫が、西から来る形でも良いのではと考えるのです。

神輿の屋根には、太陽神の象徴のニワトリが乗る事から、太陽の巡行と言え、

喬木村から、善光寺に向う形が太陽の巡行とするなら、それは、夏至の太陽の沈む方角であるのです。

この信仰を持っていたのは、古代エジプトです。

そのような繋がりは伝わっていないので、これが、私の妄想かどうか、続けて見て行きましょう。

 

 

続く