桃太郎伝説の謎(2) 楯築遺跡の南の突起と、スフィンクス | パオンのブログ

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この記事は、前の(1)の記事からの続きです。

 

 

[楯築遺跡(たてつきいせき)] 弥生時代後半造営

 

11月30日のブラタモリを見る20日前に、私は、この地の楯築遺跡を調べていました。

 

その遺跡が、岡山の桃太郎伝説の舞台でもあった事をこの番組で知ったのです。

 

いつものように、あまりのタイミングの良さに驚きました。

 


(楯築遺跡)

 

私は時間を割いて、毎日調べているわけではありません。

 

妻も、私も、仕事を遅くまでしていて、休日は、孫達と遊び、妻と何処かに出掛け、家事も手伝っていて、ドライブや旅行も、

 

私のブログに関わる所は、妻が怖がるので避けています。

 

行った場所や、見たものが、結果、繋がっているだけです。

 

だから、20日前に初めて知った楯築遺跡が短期間で繋がる事は、私にとって日常なのです。

 

 

この遺跡に興味を持ったのは、前方後円墳の初期の形とされると知ったのが始まりでした。

 

これも、TVを見て知りました。何と言う番組か忘れました。

 

そして、再び、ブラタモリで登場し、私は、その番組でも、前方後円墳のモデルとする解釈に疑問を持ったのです。

 

 前方後円墳は、中国の神仙思想から来ているとされます。

 

その思想の東王夫の棲家である蓬莱山は、壺の形状をしているとされる事からです。

 

銅鏡には、その対になっている西王母が、ウサギの餅つきと共に描かれている物が多く見られ、そこには、生と死の七夕の

 

弁財天思想があり、

 

それは、西の女王、東の王で表されている事から、太陽の死と、再生が根底にあるものと思われます。

 

それを具現化したのが前方後円墳であると、私は思うのです。

 

エジプトの女神ヌートの口に太陽が入り、子宮に向う様は、正に、壺の形状と言えます。

 
 

 

日本の海の一族を、今まで何度も取り上げて来ましたが、古代エジプト信仰が隠されていて、桃太郎伝説も、それと重なるので

 

はと思っています。

 

だとしたら、この楯築遺跡は、前方後円墳の原型ではあると思われますが、突起の部分が壺には見えないので、別な意図がこの

 

古墳にはあるものと私は思ったのです。

 

 この遺跡には特徴があり、二つの飛び出した部分を持ちます。

 

私は、その角度が異なる事に違和感を感じたのです。

 

この突起の向きは、100%正しいとは言えないそうですが、そうは違いがないものと思われます。

 

それぞれの突起の角度が違うと言う事は、何かを指し示している可能性を感じ、神仙思想と重なりを探してみる事にしました。

 

楯築遺跡


この瀬戸内海は、海洋民族との関わりが古くからあり、それは、琵琶湖まで続いていました。

 

琵琶湖を調べていると、寸分も狂わない船乗り一族の星読みが浮かんできました。

 

平塚しかり、名古屋の日置神社しかりです。(これは、今までに書いてきたので割愛します)

 

だから、この遺跡を見た時、違和感を持ったのです。

 

直ぐに、この遺跡のある倉敷に電話しました。

 

やはり、前方後円墳の原型とする解釈は、番組的に少し盛ってあったようです。

 

この楯築遺跡のある倉敷は、朝鮮などとの海の交易が盛んな場所でした。

 

瀬戸内海から陸地に入っていますが、古くは吉備の穴海と呼ばれる吉備の児島に囲まれた、港に最適な穏やかな内海でした。

 

桃太郎伝説を数か月前から紐解いてきました。

 

(始めてこのブログに来られた方は、前の記事から読まれて下さい)

 

これまでの記事では、桃太郎の正体や、鬼の正体を紐解いてきて、

 

特に、鬼については、複雑に絡み合っているようでした。

 

この楯築遺跡の名前の由来は、鬼退治にヤマトから派遣された第一皇子の吉備津彦尊が、吉備の中山に敵の矢を防ぐ為に、

 

石を盾のように立てた事が由来とされます。

 

次の画像を見ても、それには、不自然です。

 

 

 

 上記で書いた飛び出した部分と合わせて不自然です。

 

この楯から、伊達政宗が見えて来ますが、内容が広がってしまうので、次回にします。

 

 

巨石遺跡のほとんどが、祭祀場である事から、この遺跡もそうであるはずです。

 

この地に海洋一族がいたと思われるなら、私は、星読みが長けていたと考えました。

 

そして、製鉄に関わっていた事を加えると、

 

この不自然な遺跡の突起の方角に、それに関わる何かがあると思い、その先を追いました。

 


[南の突起の先には・・・]

 

どちらの方角にも、これと言った場所は無く、行き詰まりました。

 

その時、TVから白兎海岸のパワースポットを映していたのです。

 

これは、出川哲朗の「充電させて下さい」と言う番組でした。

 

またウサギかと思い、南の突起を逆の北に延長して行くと、この因幡の白ウサギの神話の地だったのです。

 

白兎神社の社には、「波乗りウサギ」が描かれています。

 

 能、竹生島に出てくる波乗りウサギです。そして、たたら鉄です。

 

このウサギは、海を渡ってやって来た事を表わしていると思われ、そうであるなら星読みに長けた一族が重なってきます。

 

突起の先に意識が行っていたようです。

 

突起が参道としたら、墓の中心に向かって拝む形を想像し、その裏にあるものが対象物と考えるのが自然かと思います。

 

これは、思いつきの何物でもないですが、鬼の温羅(うら)と、この「裏」が掛けてあるのかも知れません。

 

勿論、占いの「うら」も含むのでしょう。

 

干支を見れば、桃太郎とウサギがつながるのが分かると思います。

 

 

桃太郎のお供の裏には、ウサギが潜んでいるのが見えて来ます。

 

干支では、桃太郎は現れていません。

 

桃太郎は、天皇の子であるなら、太陽神の子です。

 

干支では、真中は、トリです。古代エジプトでは、太陽神は、トリで表される事と関わっているように思います。

 

鳥の字は西に1を加えた酉で表されます。

 

これが、如実に表されているのが、名古屋の占い一族が住んでいた日置に見られます。

 

西に一を加えるように、西の猿の橋は、子猿をおぶっているのです。

 

酉の対極に、きちんとウサギの橋・宇津木橋が有ります。

 

トリの裏には桃太郎(子供)が潜んでいるように、ウサギの裏にも潜んでいます。

 

それは、干支で゛、ウサギの位置に、猫を用いる国が有るように、猫とつなかりを持つものと思われます。

 

この猫は、巨大な猫・ライオン(スフィンクス)であると思われ、

 

私の思考が、それと結びつけるのは、

 

ウサギで知られ、神功皇后で知られる大阪の住吉大社に、偶然なのか見られるからなのです。(その記事はコチラ)

 

また、上の地図を見ても分かるように、

 

鬼を表す息長(おきな)氏族と同じ読みの塩竈神社があるのです。

 

この神社は、塩土翁を祀るからです。

 

そして、鬼の首が埋められた竈と重なるのです。

 

名古屋の日置商店街にある塩竈神社

 

また、不思議な事に、偶然、この橋を西に渡った所に「鬼」の付く商店があるのも縁なのでしょうか?

 

つづく

 

次は、北の突起が指し示す物です。