秀吉の瓢箪と、ラーの羽と、御井神社の不思議なつながり | パオンのブログ

パオンのブログ

最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

御井の神社を巡る~(3)

 

前回は、養老の御井神社についてでした。

 

その中で、太陽神ラーの鍵・アンクと無理やり結び付けました。

 

そこには、製鉄がやはり結びついていましたが、

 

その地の特徴・「瓢箪」や、「沢田」の姓に関する結びつきだけは未解決でした。

 

そのつながりは、次に行った各務原の御井神社でも見られたのです。

 

 

大垣から高速を使って各務原まで走り、着いたのが午後4時でした。

 

御井の奥宮まで行きたかったので、周れるのか心配でした。

 

[各務原御井神社]

 

まずは、三井山の西にある御井神社へ参拝しました。

 

御井神社

 

 

狛犬が、市の重要文化財だそうです。

その狛犬がこれです。

境内にある御神水の泉

 

この神社のご祭神は、御井の三神ですが、摂社に興味深い祭神が祭られていました。

 

 

[摂社の祭神]

 

津島神(つしまのかみ)と、保食神(うけもちのかみ)で、

 

津島神は、愛知県の西部にある津島神社の神と思われ、その場所は、海部氏の拠点で、

 

津島神社は、古くは、津島牛頭天王社と言いました。

 

祭神は、スサノオノ命と、大黒様です。

 

保食神(うけもちのかみ)の「ウケ」は、豊受大神の「受」であると、「食」からも思うのです。

 

それは、豊受大神が、大黒様であると、少し前に紐解いた事が、津島の祭神と合わせても見

 

えてきます。

 

保食神は、日本書紀に一度だけ出てくる神で、神産の段の11の1に登場するのです。

 

これを知った時、驚きました。

 

私の同僚で大黒様の名を持つ人は、その印を沢山持っていて、11とつながると書いてきま

 

したが、

 

生まれは、11月11日で、その時間は11時1分でした。

 

何故、11分で無かったのか疑問でした。

 

これに導いていたようです。

 

その神話では、この保食神は死んだ時、頭からは、牛と馬が産れ、額からは、が産れ、腹

 

からは、が産れました。

 

養老は、牛とか馬に関係し、その西から江南の一部まで、古くは、羽郡と呼ばれ、各務原

 

は、羽郡と呼ばれていたのは、この保食神が関わっている地を暗に示唆していたのかもし

 

れません。

 

 

少し、まとめてみましょう。

 

各務原の御井神社には、牛と、食事と、泉がパズルのピースとしてあります。

 

養老にも、泉と、牛と、食が、御井の周りに精肉店の乱立として表れています。

 

これで、この各務原に、中と、金属と、瓢箪と、羽が出てくれば、養老に隠されたパズルのピ

 

ースとが重なります。

 

私の読者の方は、もうお分かりだと思います。

 

各務原稲羽地区

1)御井神社 2)三井山(御井奥宮) 3)航空自衛隊基地 4)金属団地 5)那加町

 

では、それらを見ていきましょう。

 

a) 中

 

地図5に那加と言う地名が広くあります。

 

本当に、偶然なのか、養老と重なりますね。

 

中氏族のルーツの福岡の住吉には那加川が流れ、この名は、中氏の仲から変化しました。

 

だから、この地にも、「中」が存在するのでしょう。

 

住吉大社は、ウサギでも知られます。稲羽地区の御井には、やはり、因幡の白兎が潜んでい

 

るのが、那加からも分かるのではないでしょうか。

 

b) 金属

 

地図4の金属団地には、各務原の中心産業の金属加工企業が群立しています。

 

養老の金屋と重なりますし、その周辺を見ても、金属に関わる会社が養老でも見られるので

 

す。

 

 

C) 羽

 

各務原の辺りは昔、稲羽郡と言い、稲葉郡に変化し、昭和30年に、羽島郡の一部と、稲葉郡

 

の一部が合併して、お互いの名前の一部を取って合わせ、昔の名前と同じ「稲羽郡」となりま

 

したが、直ぐに、各務原市に地名が変化しました。

 

その名残が、御井神社の周りでは強く、学校名などに「稲羽」が残ります。

 

この場所には、地図3の航空自衛隊基地があり、不思議と、羽の地名と飛行機が重なりま

 

す。(羽田)

 

出雲の御井は、稲羽の素(しろ)兎(古事記の表記)と関わっています。

 

養老の御井神社の鳥居に書かれた「兎」の字、そして、稲羽の「羽」と「兎」、「那加(住吉のウ

 

サギ)」でつながります。

 

これらの痕跡は、福岡の仲氏が持っていた思想が創り上げたのだと私は思うのです。

 

 

d) 秀吉の瓢箪

 

稲羽郡にあった稲葉山城(岐阜城)の戦いで、手柄を立てたのは豊臣秀吉でした。

 

その時拾った瓢箪を、戦いの馬印にし、戦いに勝つ度に増やしていった千成瓢箪は、誰もが

 

知る秀吉のトレードマークです。

 

豊臣の字は、養老の「中」の隣に「豊」として表れています。(推測)(前の記事の地図を見て下

 

さい。)

 

我が家の村の臣の地とも同じです。

 

養老でも、各務原でも、中氏族と、秀吉がセットであります。

 

これだけ揃うと、そこには意味があるという事です。

 

中氏は、名古屋市中村区のルーツの氏族とされ、中村は、豊臣秀吉の誕生の地である事か

 

ら、秀吉もその影響を受けたのではないでしょうか?

 

秀吉の妻・ねねの姉は、海部郡の津島鍛冶屋(五郎助)に嫁ぎ、隣に住む腹心の宗教心の

 

強かった加藤清正も、父がこの五郎助の家に住み込み鍛冶屋の修行をします。

 

これを取り上げた記事はコチラ

 

このような背景から鍛冶屋の思想が、秀吉に影響を与えたのか、その一族であったのかもし

 

れません。

 

それは、秀吉の生まれた中村のリアルな姿を見てみると浮かび上がってきますが、今日の記

 

事の流れから外れるので、後日、書こうと考えています。

 

 

瓢箪を始めて馬印にした秀吉にも、羽が存在します。

 

それは、この時の秀吉は、羽柴秀吉と名乗っていたからです。

 

これだけならこじつけです。

 

秀吉は、天下を獲り、大阪の石町に大坂城を構えます。

 

その場所に在ったのが、「羽」とつながる御井の神を祭神とする坐摩(いかすり)神社なので

 

す。

 

ここでも、御井の神と重なるのです。

 

多分、秀吉に、このようなつながりを重ねているのは私ぐらいなので、これも、ほどほどに信用

 

して下さい。

 

 

何故、秀吉は、坐摩(いかすり)神社の地を選んだのでしょう?

 

坐摩は、「くらま」とも読めます。

 

京都の鞍馬とも重ねても面白い物が見えてきます。(それを紐解いた記事はコチラ

 

 

もし、秀吉が、これらのパズルのピースをはめれたとしたら、羽柴秀吉の「羽」の意味も、

 

力も知っていたと思うのです。

 

何故、この「羽」には、力があると思うかは、胡散臭い理由ですが、

 

私は、秀吉の生まれた場所で、生まれ、「いなば」の地で育ち、現在は、秀吉の地で暮らし、

 

そして、私が守らなくてはいけなくなった、母方の三輪の墓は、秀吉の墓の隣の京都・東山浄

 

苑にあるからです。

 

生と死がピンポイントの場所で重なるこんな偶然あるでしょうか?

 

そして、まだ、沢山の偶然があります。

 

養老の瓢箪も、各務原の稲羽も、御井神社を通じて、私に深く結びついているのです。

 

秀吉が建てた大坂城もです。

 

それは、御井の神社があった場所からですが、三輪の墓を守るきっかけになった、三輪の叔

 

母さんは、大阪に長い事住んでいたのです。

 

そして、秀吉の大事にした三面大黒天もです。

 

私の母方(三輪)の生家に、偶然引っ越して来た、家族同然に付き合っていた、ある家族の中

 

の結婚を考えた女性の愛称が「ねね」だった事もです。

 

その場所は、秀吉が、京都の結界・御土居を造った思想の原点ともいえる場所なのです。(私

 

の推測)

 

 

秀吉は、

 

御井とつながる、因幡の白兎の大黒様をお守りにし、御井の神を祀る場所に大坂城を建て、

 

中氏族との不思議なつなが見られるのは、何なのでしょう。

 

皆さんは、これを偶然と言えますか?

 

 

このように、養老と、各務原とは、沢山の接点で結ばれているのが分かりましたが、

 

まだ、御井神社奥宮が残っています。

 

次回は、その奥宮から紐解いて行きます。

 

 

19日にも、この羽には、不思議な力が宿っているとしか思えない偶然がもう一つ現れました。

 

これにも、驚きました。

 

それは、もう少し、この御井の神社を書いてからです。

 

つづく