養老・御井神社と、ゼウスの肉 | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
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御井の神社を巡る~(2)

 

前からの続きです。

 

前の記事では、御井につながるだろう養老の多岐神社でした。

 

やはり、思っていた通りに、私の不思議な流れの中にあり、

 

ここを知らなければ見えて来なかったものがありました。

 

私が追っていた「中氏」とのつながりや、エジプト信仰とのつながりが、見えてきたのです。

 

 

[養老・御井神社]

 

多岐神社の次に、その日の目的地、御井の神社に向かいました。

 

役場で教えて頂いた場所近くまで来ても神社らしき建物は見えませんでした。

 

役場で、「正覚寺が前にある」と聞いていたので、その正覚寺は、直ぐに分かり、その周りを見

 

渡したら、神社の名前が入った石柱があったのです。

 

左の建物は正覚寺。

 

この奥にあるだろうと思い行くと、在りました。

 

多くの人に尋ねても分からなかったのが理解できました。

 

外は、とても暑く、私の体は限界に近く、名古屋からここまで来て、これを見ずして帰ろうと思っ

 

たほどでした。

 

こんな状態だったので、このお社を写すことを忘れてしまいました。

 

しかし、鳥居には、左右の柱に、文字が書かれていたので、それは、写してあります。

右の柱。はっきり写っていませんでした。

三文字で、上が「神」で、真ん中が「卯」であることだけが分かりました。ご存知の方は教えて下さい。

左の柱

 

本殿に参拝して、私の体調が良くなりますようにと、願いを付け加えました。

 

帰ろうとした時、隣にも摂社が在るのに気が付き、そのお社の名前を見て驚きました。

 

春日神社だったのです。

 

御井神社本殿、写っていました。右の参道の先にある建物です。

 

春日神社は、藤で知られます。

 

今まで、私の推測でしかなかった、御井と、藤の花のつながりが、この社の並びにありました。

 

この神社は、西に参拝するお社があり、北側に御井、南側に春日です。

 

我が家のお墓がある位置関係に似ています。

 

それは、南に藤の花の江南、木曽川を挟んで、北に御井神社。

 

もう一度、地図を見て下さい。

 

1)御井神社 2)多岐神社(三神町) 3)沢田 4)桜井 5)中 6)安久 7)宇田 8)象鼻(ぞうび)古墳群

 

牧田川を挟んで、南岸に沢田と、桜井の村があります。

 

この形も類似が見られ、

 

木曽川の南岸の江南にも、沢田の姓が多くいる地があり、そこは、三輪(大神神社・桜井市)

 

の痕跡が多くある地なのです。

 

母方が三輪なので、私とのつながりには、外せない場所のようです。

 

[中村のルーツとの類似]

 

私の住む名古屋の中村のルーツを追って行ったら、博多の中氏族とつながり、揖斐川沿い

 

に、伊吹山近辺まで鉱物資源を求めて来たのではと推測してきました。

 

それが、この伊吹山の麓にある、この御井神社にありました。

 

本殿横に立っていた石柱が、それを教えてくれました。

 

 

だから、この御井神社のある場所は金屋と言うのです。

 

地図の御井神社の周りには、御旅所であった「中」、大鳥居のあった「安久」、そして、「金屋」

 

と、私の紐解きに重要な地名が重なっています。

 

その中に地図7の「宇田」と言う地名が見られます。

 

地図3の沢田という地の南にある山には、シャクナゲの群生地があります。

 

奈良室生寺もシャクナゲで知られ、御井神社もあります。

 

そこは、「宇陀」なのです。

 

宇陀と宇田です。

 

少し話は飛びますが、

 

中学の同級生が、近くに2人いました。(越境入学だったから二人なのです)

 

二人とも白山神社の近くでした。

 

一人は宇田の姓だったのを思い出しました。

 

偏差値全国一の優等生で、私の頭の上をUFOが低空で通り過ぎた時の話に出てきた人物で

 

す。

 

不思議な縁は、ずいぶん前からあったようです。

 

そして、もう一つ、気が付きました。

 

多岐神社が、この地の中心にあり、その神社の大鳥居が北に存在した事にです。

 

おかしいですね。

 

普通、大鳥居ともなれば、逆の南にあるものです。

 

多岐神社も、西に向いて参拝する形です。(一般的には北に拝む)

 

私が気になっている名古屋の愛知町も西に向かう形と、北に向かう形が存在するのではとし

 

てきました。

 

その北には金山神社があり、熱田神宮も、北に金山神社があるのです。

 

 

北に門がある事は、北辰信仰から来ているものと思われ、それは、七夕信仰とつながってい

 

ると私は紐解いてきました。

 

「多岐」を前回紐解きましたが、そこには、七夕信仰のある宗像三女神が根底にあるのではと

 

しました。

 

江南もそうですし、奈良の宇陀もそうです。

 

そして、桜井の大神神社もです。(神である三輪山には、宗像大社と同じ、辺津宮、中津宮、

 

沖津宮の宮の形があるからです。)

 

やはり、この養老でも、中氏族と共に行動していたと思われる、宗像をルーツにした海部氏の

 

影が見え隠れします。

 

 

[養老焼肉街道]

 

もう一つ、この養老には、大きな特色が見られます。

 

精肉店が多い事です。特に、三神町には、集中しています。

 

とても廉価で、良い肉が手に入ると評判で、お客が遠方から訪れるのです。

 

それは、ここに屠殺場が有ったからです。

 

名古屋で言えば、中川区の高畑です。

 

共に地名から、この地に神が降り、魂を救う事を意味しているようです。

 

滋賀県の三上山付近にも近江牛の精肉店が林立している事もつながっていると思われます。

 

御井と、シャクナゲ、牛肉が、偶然つながっています。

 

これは、偶然でしょうか?

 

これに関わっている人々は、昔、森の精霊と会話のできる流浪の民ではなかったかと、何も根

 

拠も無く思ってしまいました。

 

この地でも登場する「沢田」とのつながりが、ここでもできませんでした。

 

この地・沢田には、誰一人、沢田の姓は見られません。

 

この沢田の名が、すべてのキーとなりそうです。

 

また、私の「パオン」が「ゼウスの肉」と言うのも、この地と関わっているのでしょうね。

 

そして、この地のもう一つの特徴「ひょうたん」もです。

 

それは、この次に行った、各務原の御井でもつながるのです。

 

つづく