加藤清正から紐解く日蓮宗(1)家紋と長い兜 | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

前からのつづきです。

[加藤清正の紋]

加藤清正自画像

清正は、戦いで功績を挙げたので、秀吉から、肥後と、讃岐のどちらの

地が良いか尋ねられ、「肥後」を選び与えられました。

その時、27歳と若く、城持ちになるのには、色々な調度品が不足して

いました。そこで、秀吉は、讃岐を納めて取り潰された尾藤家の調度品

を清正に与えました。

尾藤家の家紋が、桔梗紋と、折墨紋(おれずみ)だったので、加藤家の

蛇の目と、一重菊の紋を合わせて、使い分けていました。

蛇の目紋は、文字通り、ヘビの目を表し、呪術的な意味合いを持ち、

戦いの時に使用し、
馬印(戦いの旗)には、日蓮宗のお題目、「南無妙

法蓮華経」を書いた
を用いたほど、帰依の強さが伝わってきます。

桔梗紋は、慶事に。
折墨紋は、文化的な行事に使用しました。


蛇の目紋



妙行寺の蛇の目(丸)と、桔梗をあしらった、お焼香の鉢


[清正の長い兜]

清正の特徴を現す物に、槍と、長い兜が有ります。

当時の武将は、戦いで、殿様に、自分をアピールする事を目的として、

目立つものを被るようになっていったとされますが、清正の兜には、他

の面も持つのではと感じるのです。

戦いの時の馬印に、題目を書いた事などを見ても、
当然、この兜にも、

宗教との関わりを持たせたはずです。(私の勝手な想像)


兜には、黒漆で塗られている、自筆の日蓮宗の題目が書かれた円形

の物が着いていることと、蛇の目紋が描かれている事からも分かりま

す。

清正の兜


南無妙法蓮華経と書かれた兜の前立


この兜は、長鳥帽子兜と言い、神社の神官が被る、烏帽子(えぼし)を

模した物であると記念館の人は言われました。

すると、ある事が浮かびました。

まず、ヘビと、長い頭とくれば、メキシコで見つかった長い頭をした人骨

が発見された事が浮かびます。この場所と桑信仰の類似を記事にした

事もあり、桑信仰からも日蓮宗に結びつけてきました。

アステカ文明と鍛冶屋とのつながりの記事はコチラ
マヤの世界樹と桑信仰とのつながりの記事はコチラ
メキシコの遺跡と白山とメドゥーサとのつながりの記事はコチラ

そして、数日前にも、南米の長い頭蓋骨を扱った
TV番組を見たばかり

でした。


その地のシャーマンが語るには、空に穴が開き、3mもの巨人が現れ

たそうです。その骨のDNAを調べたら、母が地球人で、父が地球外の

生物とのハイブリッドだったそうです。

だいぶ、話が逸れた感がありますが、これが以外に逸れてはいないの

ではと思うのです。

それは、日蓮宗の使う亀と鶴の具足からもつながるのです。

一つ前の記事で書いた日蓮上人の出生について思い出して下さい。

その中で出てきた「東夷」とは、日本では一般的に、「日本の東部」の

意味ですが、私的には、中国の山東半島付近にBC2000年頃に存在

した
「東夷」と言う国ではないかと思うのです。

そうすると、熱田神宮界隈を紐解いた時、日蓮宗の亀と鶴の具足と結

びつけたパズルがピッタリはまるのです。

[清正の兜と、風の神]

長い帽子?頭?とくれば、もう一つ浮かぶのが、ヒッタイトの壁画に描

かれた長い頭の人物像です。

この壁画には、風と太陽の神が描かれているとされます。
(その画像を載せてある方のブログはコチラ)

トルコに近い、北コーカサスでも奇妙な長い頭蓋骨が、2005年に見つ

かっています。

無理、無理に、長い兜を結びつけているのではと思われるでしょうが、

別な角度からも、ヒッタイトに結びつくのです。

つづく