加藤清正から紐解く日蓮宗(2)槍と幼名 | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

前からのつづきです。

日蓮宗の紋は「橘」が主流です。それは、中国の桑伝説とも関わってい

るのではとしました。

前の記事で紐解いた、長い兜から浮かび上がった巨人は、この伝説の

中でも見られるのです。

桑伝説をここで書くと長くなるので、以前、書いた記事を見てください。

日蓮上人のルーツに関わる伝説
巨人と桑伝説
日蓮の橘と、八幡さんの橘の接点

以前、岩清水八幡宮の油神社と、重ねて紐解きましたが、この清

正の誕生の地・妙行寺の直ぐ近くに、薬効をご利益とした、耳慣れない

名前の神社があります。

この稀な名前の神社は、風の神で知られる、岩清水八幡宮の前身の

神社と同じ油神社です。

この清正の妙行寺の近くにある「油神社」(私が生まれた場所)の紐解

きをすると、ここでも、東夷の国が見えてくるのです。

油神社の近くに昔、お聖天様を祀る寺があり、名古屋城が造られた

時に、名古屋城近くに移転しました。
その寺の記事はコチラ

この寺は、名古屋の七福神の毘沙門天を祀る寺としても、知られてい

ます。

このお聖天様とのつながりは、お寺でも分からないそうです。

このお聖天様は、「十一面観音」と、「油」が関わっています。

この事から油神社と、この寺と結び付けてしまいました。

この十一面観音と、お聖天様とを現すのが、ゾウの顔をした二柱で、抱

き合っている姿で描かれます。

それは、東夷の国に伝わる「女媧」と、「伏儀」とも言われる事もありま

す。

日蓮上人の生誕に纏わる話の中に出てくる「東夷」と、私の紐解いた

東夷」とは、結びつきがないので、今は、不思議な一致としておきま

す。


この地の油神社も、秀吉・清正にも絡んでいるのは間違いなさそうで

す。

不思議な事に、風の名前の付く孫達の近くにも「油」に関わった場所が

あるのです。

油と風は、不思議と重なり、その代表である岩清水八幡宮とヒッタイト

は結びつくのです。

清正の幼名と、ヒッタイトの神官]

そして、清正の幼名を知った時、私は、驚きました。

それは、「夜叉丸」と言いました。

下のヒッタイトの記事を見てください。

清正と、ヒッタイトとのつながりを信じてしまうはずです。

ヒッタイトの記事はコチラ

秀吉の生誕の地でもあるにも関わらず、お互いの生誕地の前を通る道

の名は、「清正公通り(せいしょうこう)」と呼ばれるのです。

清正よりメジャーな秀吉を差し置いて名前を付けるでしょうか?

清正がパズルのピースですよと言っているようです。

そして、私が気にしている西アフリカの呪術を使うブーディー教の地か

ら出土した、烏帽子を被ったような、頭の大きな女王の像も関わってく

るのかもしれません。何故なら、この地をメドゥーサ信仰の出発点と思

っているからです。(感だけです) 

 

加藤清正の日蓮宗信仰は、美濃に住んでいた時からのもので、美濃

は、以前、洞戸の星宮神社を紐解いたように、メドゥーサ信仰が見える

白山信仰が根底にあり、清正一家にも影響があったのではと想像しま

す。

[清正の槍]

清正は槍の使い手でした。

戦国武将が槍を用いるのは、特別、珍しいことではないので、取り上げ

るほどではないと思うのですが、今まで書いてきた事や、坂本龍馬の

記事でも出てきた、北辰一刀流の長刀(なぎなた)の免状から推測する

と、長刀の先には、神が降りるとされ、北辰信仰を持つ日蓮宗も、祇園

祭の長刀鉾のような信仰があるのではと思うのです。

そして、西洋で見られる、龍を退治する勇者の絵は、槍で戦っているも

のばかりです。

何故だか分かりますか。それは、ドラゴンの弱点である口を貫くには、

長い槍が必要だからです。

トルコ カッパドギアに伝わる聖人ゲルギウス(聖ジョージ)と龍の戦い
(この絵の紐解きの記事はコチラ)

これが、清正の槍とつなげてしまうのは早計かと思いますが、それが、

亀と鶴の具足の不思議をつなげていくと、意外と、そうではと思うので

す。

それと、鍛冶屋と聖ジョージとフリーメイソンとを結びつけたガーター勲

章からもそう思えるのです。
(鍛冶屋と聖ジョージの記事はコチラ)

今まで、断片的な紐解きであったものが、どんどんつながってきます。

これらの行き着く先にあるのは「ケルト」だと思うのです。

次回は、ケルトに結びつくだろう女媧と伏儀について、紐解いていきま

す。