御土居の隠された意味(新説) | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

昨日(30日)は、車のナンバーの不思議が続きました。

やはり、私が感じている重要な場所で現れました。

まず、愛知町に始まり、競馬場と続きました。今日の特徴は、私に、良

く現れる右から2番目が違う並びでした。特に、競馬場の近くでは、直

前に、「7797」が来て、その車がいなくなったら、その前の車が「2292」

でした。対向車は、数が多いので、偶然とはいえないので、ほとんど無

視していますが、今日は、私の家の近くで「4494」が前から来て、その

次の車の番号に驚きました。「26-28」なのです。この番号で驚かれる

方は、私のブログに来られる、ある人だけです。この意味は、プライベ

ートな事を含むので、省きます。

この日は、更に驚く事の連続でした。

それは、TVの番組からでした。

先週末、TVを見ていたら、久々に、NHKの「ブラタモリ」がやっていまし

た。

以前は、深夜に放送されていたので、ほとんど見たことがなかったので

すが、この日は、何故か惹かれました。

この日のテーマは、京都のブラリ歩きでした。

京都の「御土居(おどい)」を御存知ですか?

これは、安土桃山時代に、秀吉が京都に築いた土塁です。

都を囲んでいて、一周、23Kmもあり、わずか4ヶ月で築いた土手で

す。

洛中・洛外と言われるのは、この
御土居を挟んで中と外を言います。

高さは、高い所で10mほどで、当時の鳥瞰図を見ると、が植えられ

ていました。

現在では、大部分が壊されたりして、残っている箇所は、あまりありま

せん。

土塁が住宅街になっている所では、その
御土居に沿って、細長く「土居

」として、名前が残りました。

この番組に出ていた専門家も、何故、造られたのかは、はっきりしない

とのことです。

敵から守る城壁としては、簡単に越えられてしまうような簡単な造りで

す。

では、何故、造られたのでしょうか?

「御」の字が付いている事は、戦いにではなく、別の何か重要な物だっ

たはずです。

この番組の中で、タモリさんは、昔、偶然この場所に来たら気にいっ

て、良く通ったと言われていました。

現在も土塁が残っている北部の鷹峯街道の当時は、織物屋が多く、

機織の音が、道の両側から聞えてきたとの事。

光悦寺付近には「森田」と言う家が多くあるのに、タモリさんは驚いたそ

うです。タモリさんの本名は「森田」だからです。

この地域は、「京の七口」と呼ばれる、京都の出入り口の一つの長坂

にあたり、北丹波へつながる道がありました。

やはり、不思議なパワーを持つと信じられた「丹(水銀)」が絡んでいる

ようです。

さて、ここからが、とても不思議な紐解きに入るのです。

何故、この
御土居が造られたかは、以前、紹介した、名古屋の「七所

社(しちしょしゃ)」が鍵を握っているようです。


[1つ目の符合]
竹と、秀吉から浮ぶのが、この神社です。この社の本殿横に「なぎの

木」の御神木が以前あり、それが枯れて、その枯れ木の中からが生

えて、それを秀吉は、刀の釘として使ったら武運が上がったと言う、言

い伝えが残っています。

愛知の奇祭で知られる「きねこさ祭り」が、行なわれる歴史有る神社

で、竹に関わる神社です。

そして、秀吉の幼少の頃の住居から近く、考え方に少なからず影響を

もたらしたはずです。

もう一度、七所社のHPを見直して見ました。

もう一人、有名人が、この竹を楽器に使ったと記録されていました。

その人は、大正琴の製作者で知られる「森田吾郎」氏でした。

思わず「えっ!」となってしまいました。

秀吉・竹・森田の三点が揃っているのです。

そして、私にとって、この神社とのつながりは特別なものです。

以前の記事を読まれていない方は、是非、「七所社」の記事を読んで

みて下さい。(こちら1)(こちら2)

この森田氏について調べても、名古屋の大須観音の近くの「森田屋旅

館」の長男としか分からず、この旅館の所在も不明でした。

しかし、ここから、まだ驚くことが続くのです。

[2つ目の符合]
私の長男が、住んでいる場所も、この土塁を表す地名ですし、以前に

も書きましたが、長男は、イザナギの印が有ります。七所社の御神木

の「ナギ」もイザナギを表しているのかも知れません。

宮中などで神事に使われる空木(うつぎ)(卯の花の木)は、中が空洞

になっている事から、竹も同じ意味合いを持つと考えられます。その意

味はウサギの多産を象徴していて、東の昇る太陽、そして、産みのイ

ザナギを表していると、私は考えています。

そして、長女の子供も「なぎ」が付きます。

そして、この御土居と似通った地名の場所の北に、偶然、京都の御土

居でも出てきた長坂と言う名のお客様がいるのです。

[3つ目の符合]
昨日、熱田区外土居町に住む、七夕生まれの人の家に行きました。

そして、この町に着いた時、有る事に気が付きました。森田氏の本名

「川口」の名前の家が、半径300m内に、2件も目に付き、早速、住宅

地図で調べると、まだ2件も有りました。

何とも言えない数ですが、少し変です。

川口と言う名前は、上記の七所社の辺りに沢山いると、私のお客様が

今日、教えてくれました。驚きの連続です。

直に、住宅地図で探したら、この辺り、川口だらけではありませんか。

[4つ目の符合]

ここまでは、驚きの序章でした。

私のブログを読まれている方は、最近の私の記事は、「イザナギとイザ

ナミ」を扱ったものだと言うことは理解していただけると思います。

そして、「99」の繋がりも何度も書いてきました。

この日の車の番号の右から2番目は「9」ばかりでした。

一番の驚きがあったのは、森田氏が作った大正琴協会のHPを見てい

た時でした。

大正琴の記念日が「9月9日」だったのです。この日に初めて販売した

からと書かれていました。

明治生まれの森田氏からすると、今でこそ重陽の節句である9月9日

の意味は、忘れ去られていますが、当時の人、まして、客商売を営んで

いる家柄からして、忌み嫌われているこの日を発売日にするでしょう

か?

協会の返答は、他の疑問も含め、私を満たしてくれるものは何一つ有

りませんでした。

9月9日は、白山のククリヒメと結びつくのですが、上記の「なぎ」の子

も、「白山」に大きく関わっています。

[5つ目の符合]
これも、見つけた時、とても驚きました。

我が家の隣の町名は「森田町」と言います。


地図を見て頂くと分かると思いますが、豊臣小学校が見つけれると思

います。この地は、豊臣秀吉の誕生の地だから、このような名前の学

校が有るのです。

またまた、「秀吉」と「森田」が現れます。おまけに、この地図の上には、

白山神社が有ります。

そして、日々津中学校の学区です。日は陽であるから、日が重なる事

は、「日々」=「重陽」=「99」です。

[6つ目の符合]
琵琶湖に日吉大社が有ります。

秀吉の幼少の名前は「日吉丸」です。

[雄琴]
そして、その近くに、雄琴温泉が有ります。

雄琴の「雄」の字も、男を現している事から「イザナギ」を意味している

のではと思います。

七所社の「なぎの木」は、雌雄異株の特徴を持つ事からと、神社に植え

られている木として知られている事からも、そう思います。

この「雄琴」の名の由来は、「今雄禰命(いまおすくねのみこと)」の屋敷

から、琴の音が聞こえてきた事が由来とされますが、果たしてそうでし

ょうか?

「琴」の字の下の部分は「今」です。

この
今雄禰命も、「今」の字が入っています。とても変です。

「雄」をイザナギとしたら、「現在のイザナギ」となりますね。


比叡山のお膝元の温泉で、最澄が開湯したとされる事から、白山信仰

のイザナギ・イザナミ・ククリヒメ(99)が、秘められていると考えた方が

流れとしては正解かと思われます。

白山も最澄が開山したからです。

比叡山延暦寺の総本堂・根本中堂に祀られているのは、薬師瑠璃光

如来です。東方瑠璃光浄土を表していて、東側の琵琶湖がそれにあた

ると思われます。それを現すかのごとく、「近江の湖は海ならず、天台、

薬師の池ぞかし」と、平安時代には謳われていました。

そこに、浮ぶ弁天様の竹生島(ちくぶしま)。

総ては、ここに「御土居」の意味が有ると私は紐解きました。

それは、七所社の中にある、弁財天を祭る厳島神社が、それを裏付け

ています。


池の中に、お椀のような土塁の島があり、竹が生えています。

竹の生える島、竹生島(ちくぶしま)です。

そして、これを囲む池は、京都の御土居からすると、琵琶湖を表してい

るはずです。(もっと先にも意味するものは有りますが、厳島神社の紐解きで書

き記したので省きます。)

この竹の生えた場所は、古墳です。古墳の土を盛ることに意味を求め

たのか、古墳全体に意味を求めたのかは、現時点では、私には分かり

ませんが、この形が御土居で有る事に疑いは持ちません。

しかし、何故、琴とつながるのでしょう。

昔、弁財天の持っていた楽器の琵琶は、琴とも呼ばれます。

「琴」も、「琵」も、「琶」も、字の上部は同じです。

しかし、昔は、琴を竹偏の「箏」の字を用いていました。

私は国語の学者ではないので、いい加減な推理ですが、

琵琶と箏を結びつけるために「琴」に変化したのではないでしょうか?

それか、「琵琶湖」と、「竹」を隠すためだったのかもしれません。

「琵」の字も、「王」が2つと、「ヒ」が2つから成り立っています。

王を「イザナギと、イザナミ」とし、陽(ヒ)が2つで重陽、つまり、9月9

日。そして、それは、ククリヒメ。

日本書紀に、ククリヒメが唯一登場したシーンに表れた時の神達を表し

ています。

琶の字を紐解くと、巴の意味は「渦」です。日本武尊の「臼」を意味して

いるはずです。

何故なら、七所社に小臼命(
日本武尊)の腰掛けた石があるからです。


「琴線に触れる」と言う言葉があります。

これは、「共鳴する微妙な心」です。今風な言葉の方がわかり易いです

ね。

「シンクロ」なのです。

ひょっとして、観音さまの字もこれを現しているのかも。

タモリ(森田)さんが、御土居の近くで、森田と言う名前に偶然遭遇した

のも、出身地が福岡県と言うのも、七夕信仰の元になる宗像大社(福

岡県)とのシンクロ。

そして、イザナミの黄泉の世界を鏡像の世界としてきました。

タモリさんの名前も、森田を逆から読んだ名前です。

私が、5日ほどで、これだけ紐解けるのも、シンクロの力です。

弁財天の力は、守護と救済です。

つまり、シンクロの力が、人々を守る力だという事です。

御土居に籠めたものは、どんな高い城壁よりも堅牢な防護壁であり、

魔力から守る結界であるのではないでしょうか。