佐屋街道・岩塚宿の日本武尊 | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

七夕からの流れの中で見つけた「金魚」でのつながり。

そのつながりは、偶然のつながりで、お互いのつながりに、特別な意味

は持ちませんでした。


そのつながりは広がりを見せ、佐屋街道(熱田神宮~桑名)に入って

行きました。

不思議な事に、私の不思議を話す8人の女性が住む場所が、総て、こ

の街道上に存在する事に気が付きました。8人総ては有り得ないで

す。

そして、この話を尾頭橋の方に話したら、私は佐屋の高校に通ってい

て、この地とは縁があると話されました。この場所と、佐屋までは相当

離れています。これも偶然にしては変です。



[佐屋街道]

この街道は、徳川家光によって開かれた街道で、熱田神宮の宮宿から

桑名までの
里の渡しの船が使えない時のために、陸路での迂回路

として造られました。


宿場は東海道より少なく、クネクネした街道です。

この街道に興味を持った時に、新聞を見たら佐屋街道のコラムが載っ

ていました。いつもタイミング良く目に付くものです。だから、調べる手

間もなく記事が書き綴っていけるのです。

それによると、神武天皇の東征が終わり、橿原に都を移し、さらに、尾

張国まで物部の軍勢を出し、佐屋の辺りに駐屯し、その子孫が土地を

開拓していったとされていました。

この街道に、日本武尊に纏わる場所が有る事に気がつきました。


所社]

岩塚宿の名前の元になった場所で、古い神社があったのです。

「七所社」と言い、1100年もの歴史があり、尾張三大奇祭が行われる

神社です。

その奇祭は「きねこさ祭り」と言い、旧暦の一月17日に行われます。


[きねこさ祭り]


この祭りは、特に厄除けに霊験が高いとされ、古式に則った祭りで、

この名前は、「杵に付いた餅を、こすり落とした」と言う意味を持ちま

す。

この祭りは、色々な特徴を持っていています。

川祭りと言うものが目を引きました。


西にある庄内川に裸男が笹竹を持って入り、中ほどに立てて登り、倒

れた方角で吉凶を占うものです。


私も、この神社の北側に祖父の家があったので、子供の頃は毎年見

に行っていました。この行事が一番印象に残っています。


裸男を務めた役の者達が持つ祭具にさわると厄除けになるとされ、に

きやかです。


独特のお守りが有ります。


これは、桐を粉にして、麩のりで固めた昔ながらの手作りのお守りで、

この時しか、手に入りません。

私がこの場所を訪れた目的は、日本武尊の腰掛けた岩を見たかった

からです。

訪れて、初めて知った事が有ります。

境内に、古墳が3つあったのです。


一つの古墳の周りには池が有り、真中の塚には沢山の竹が生えて、

面白い形状になっている弁財天を祭る厳島神社でした。

その隣には「撫で牛」があり、愛嬌のある顔をしていました。

やはり、この配置に、織姫と牽牛が見られ、弁財天は織姫と言うことは

間違いなさそうです。

弁財天は月と繫がることから、この塚に植えられた竹はかぐや姫をも

表しているのかも知れません。

本殿には、この規模の神社には違和感を覚えるほどの大注連縄が掛

けてありました。


祭りの時、氏子が作って奉納するのです。

本殿には、朽ちたご神木のナギの木があり、その朽ちた木の中から、

昔、竹が生えていました。その竹を木下藤吉郎が刀の目釘に使用し

て、武運を高めたと言う謂れが残っています。

日本武尊の腰掛岩は、本殿東隣りにあり、古墳の上にあるとされま

す。

この石に似通った石を良く見かけます。

それは、佐屋街道の始点の宮の渡しにある日本武尊の墓とされる古

墳を守る寺・法持寺で見かけました。


この寺のお庫裏さんに尋ねても意味合いは良く分からないとの事でし

た。

私の推測ですが、この街道の終点の近くにある多度大社の櫃石が似

通っています。それは、くりぬかれていているので、少し形状が違いま

すが、ギザのピラミッドの中の棺のような石です。

日常で、ご飯を入れる物も「櫃(ひつ)」と言います。

枕飯も、こんもりと盛ったご飯を古墳に見立てています。

それに、二本の箸を突き刺して、神域へのつながりを意味していること

から、この石の意味も神域への架け橋を意味していると想像します。


七福神の「七」。

弁財寺の「七」。


七里の渡しの「七」。

七所社の「七」。

少し前に見つけた、弁財天と、馬のつながりから、干支で馬は「七」。

七はラッキーセブンと言われますが、

午年の今年は、沢山の災害に見舞われました。

災害といえば、地震予報で知られる方が、12月に琵琶湖で巨大地震

が発生すると警告していましたが、最近になって延びたと変更されまし

た。

私が、延暦寺を訪れた事、

琵琶湖の竹生島の弁財天に興味を抱いた事、

5月に、七夕が関わる災害が起こるとして、七夕をずっと追いかけ

てきた事、

そして、国分寺に結びついた事、

国家を鎮護を意味する事柄ばかりに行き着いた事などをまとめてみる

と、私の持つ、分けの分からない力によって、災害を抑える事を、

本能は知っていて、勝手に国家鎮護のために行動しているのかもと感

じます。