「ママはいつも、自分が悪いっていう~」
「だから、気分が悪くなるんだよ~」
部屋が汚いのも
布試合ばっかりしてるのも
パパと言い争いになったときも、
私は「ごめん、ママが悪い。」で収拾しようとする。
よく拝見する(輝かしい方の)ブログで
「親がこどもに植え付ける罪悪感」についての記事があり、
そのキーワードを基に自分の成長期を見返してみたんだけど…。
私ってそんなに悪い子だったかな?
できないことはいっぱいあったけど、
それは教えてもらってないことと同じくらいだったよなあ。
先日の家庭訪問で新任の先生曰く、(感じのいい方♪)
「○ちゃんは心配ありません、このまま伸びていって欲しいです。」
(去年とおんなじ)
「○姫はママの笑顔が見たいの」
「ママ、何か手伝うことある?」
「○姫、ママのお手伝いがしたいの」
GW、つれていったのはモールのピザ食べ放題(。>0<。)だったっけね。
TDR、5月中に行けなくてごめんね。
おおっと、剣呑。
ごめんね、の後に何を続けるか、が課題ね。
ナルシスちゃんの罪悪感じゃ、泉にボットンだわ。
事態の収拾でなく
どこに行きたいか・どうありたいか、よね。
○姫のもたらしてくれたことの多さに感謝しちゃう…。
(家庭訪問に際しきれいにした1階(←そこだけかい)手を叩いてパーンと響く廊下とか???)
よくもまあ、恵まれた境遇を、仕事がわからないといって世迷い言を続けられるものだなあ、と感心は決してしないが、こっちが弱っているときはチト辛いなあんてことを思っちゃったりする今日この頃。
適度にほっといて、
決して期待せず、
荒フォー向けの雑誌の記事のように「再燃」の対象として見ることなく
彼と過ごしている。
もし私が聴くということをやめ
上の世代の男性がよく言うようなぼやきの中の妻のようになったら
彼はこの業務を家庭からアウトソーシングするんだろうか。
そしてバランスがとれるようになるんだろうか。
この歳になって変わるには時間がかかる。
わからなければきけばいい、というのがなかなかできない。
(無駄なプライド。)
わからないときはあの人に尋ねるというのができてるんだかどうだか。
(ゆび来たす、な社会。)
でも
私も未熟なので、
待つ、というコトバを使わず
ま、どうでもいいや、という呪文を唱える。
そうすると時の感覚から自由になる。
さあて、いい言葉を掲げよう。
「
幸運の女神があなたを助けたくなるような立場に自分を導く
」
「
今、演奏されている曲を探り出し
その曲ににあわせて踊ったら
とても幸運なことが起こるかもしれません
」
http://ameblo.jp/nrrd/entry-10080036998.html
私のなが~い旅は
ナルシシズムというものを俯瞰して終わるのだと予想している。
私のようなものが自分のことをを
「部品」とか「素材」とか言い出したのは
そのきざしなのだと思う。
先日は
職場の別のセクションの同性の先輩にくっついて
ある案件の伺いを立てに行った。
ああ、外に出るというのはいい。
斜めの位置にいる者同士がいろいろ話すことで
(聴いてもらうことで)
自分がいかに余計な時間を使っていたかがわかる。
彼なりに考えてくれてるといった心情と
それは案件全体にとって有効かどうかと
彼自身のナルシシズムと
(思い通りにいくようにウソまでついてたことが判明。
そっとしておいてあげるけどサ)
よおく整理して考えなくてはならない。
今年はある筋の配慮で
物理的な面を含めて距離を置くことができている。
いろいろな色んな部署の思惑が交錯するが
最後は、まさに、神の見えざる手がそうしたかのように
なるようになるといった視点も併存させておくのが大切。
それと
私は思い上がりやすいので戒めなくてはいけないのは重々承知しているが
ネガティブな感情に左右されないような心持でいれば