絵本『うさぎのくれたバレエシューズ』のブログと『夢見ることだけはやめなかった』のコラム裏話し | 相模原市のバレエ教室のコラムー野沢きよみバレエスタジオー

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著者南塚直子さん裏ばなし

 

 

 

ブログで紹介した絵本

 

絵本画家 南塚直子さんの

「ウサギのくれたバレエシューズ」

 

 

うさぎのくれたバレエシューズ

 

 

 

このコラムで紹介した

「夢見ることだけはやめなかった」

著者 南塚直子さん

 

 

 

夢見ることだけはやめなかった

 

 

 

この2冊について

それぞれ

ブログとコラムの

 

 

違う媒体で

紹介させていただきましたが

 

実は

これには訳があります

 

 

当初

この2つについて

ブログ記事として

詳細な文章を考えていました

 

 

資料を集めて

調べていくうちに

 

 

どうしてもブログで

2つのことについて

書くことが難しいと考えました

 

 

一つは

バレエの関連と紹介できるが

もう一つのエッセーは

 

 

 

先生ご自身のこれまでの

経験、なぜ銅版画家さらには

絵本の銅版画かになったのか

 

 

 

これらの経緯と先生の想いを綴られたものなので

一緒に記事にするのは無理がありました

 

 

 

なので

今回は

”うさぎ”をブログ

”夢”をコラムに

それぞれに分けて書きました。

 

 

 

すずらん

 

 

しかし

 

画家と著者

南塚直子さんについて

先生のこれまで生きてこられた人生

 

 

なぜ

 

 

銅版画家になったのか

 

 

先生の代表作絵本

「ウサギのくれたバレエシューズ」の

ことを

どこかで説明しないと

わからない!

 

 

 

そんな思いが

ブログとコラムを書いた後

もやもやとした気持ちが残りました。

 

 

 

何より

先生の生きてこられた時代背景を

語らなけばと強く感じ、

ここに裏ばなしとして

コラムの記事にすることにしました。

 

 

 

団塊の世代

 

 

 

南塚直子先生のお生まれは

1949年

昭和24年で

いわゆる【団塊の世代】です

 

 

 

ツツジ

 

 

戦後の廃墟と化した日本

当時の大人たちは

これから日本の復興の希望

未来を託す「子供たち」

 

この子供たちを

沢山産み、育てる

強く決断しました

 

 

第一次ベビーブーム

1947年〜1949年生まれの子供を

 

 

【団塊の世代】

と言われています

 

 

 

 

 

大ブームの中で

 

 

 

この世代は

成長する過程で初めてのことや

人々が大熱狂する

いくつかのブームに遭遇します

 

 

 

1950年パン、ミルク、おかずの学校給食を

全国的に実施。
小学校の時には給食と脱脂粉乳で育ちました。

 

 


1962年の東京オリンピック開催。
もはや戦後ではないといわれ日本の復興を世界に

アッピールしました。



1965年の来日で大ブレイク、

テケテケサウンド。
ベンチャーズの来日、いわゆる、エレキブームです

 

 

 


1966年ビートルズ日本来日、

武道館でのライブ。
多くの若者が大熱狂しました。

 


ジーパン、長髪、エレキで不良と呼ばれた時代です。

 



フリージア



そして、

1970年、偏差値という言葉も登場します。
受験戦争。


事実、団塊の世代にはは大変な経験となりました。

 


時代はさらに変化し、
学生運動が世界中で起こります。

 


注目するのは1968年〜プラハの春と

同じ時期〜から1970年
南塚直子さんの大学受験と重なります。

 

 

 

1964年のトンキン湾事件以降

激化していくベトナム戦争。

 


1970年、戦争を知らない子供たちは、

自分の考え、声を表現する歌に出会います。



このように時代は同時期に世界規模で、

戦争、学生運動、反戦運動などが起こり、

多くの学生たちは何らかの行動を起こしました。

 


激動の嵐は団塊の世代へ容赦無く社会の変化として

衝突させ若者たちを巻き込んだのです。

多感な青春時代の真只中

 

人間として成長していく中で

自己の精神形成に

影響を受けないはずはありません

 

 

 

女性の地位

 


一方、


こうした社会の大きな出来事とは別に

当時の女性の地位、

立場は現在とは大きく異なっていたのを

ご存知でしょうか。

 

 

戦後、やっと認められた女性の参政権。
政治の世界も、ビジネスも男性中心。

 


女性は正当な扱いを受けることはありませんでした。
女性に高等教育は必要ないと言われた時代です。
短大、大学を卒業したら、お茶、お花を勉強して
2〜3年勤めたら、結婚。

 

 

 

自分探し、自分の人生〜芸術家として

 

 


それが当たり前、常識とされた時代です。



この世間の常識通りの道を南塚直子さんは

歩んできました。

 



1985年男女雇用機会均等法、

1986年総合職が導入されたことを見ても、

いかに不平等な社会であったのかがわかります。

 

 

 

 

コスモス

 

 




長くなりましたが、

このような時代背景を知らないと
南塚直子さんの置かれた状況、

考え、当時の世間の常識と社会の圧力、

縛られた生活がどのようなものであったかかを

到底理解することはできません。

 

 

 

 

やすらぎ

 

 

 

女性の自立は現在でも大変ですが、

当時はさらに困難でした。

 

 


しかし、その困難な状況に諦めるという選択は

彼女にはありませんでした。

 

 

 

自立
自分の生きる意味
自分の人生で何がしたいのか
私は何者

 



花をあなたに

 



多くの疑問と戦ったはずです。
そして、銅版画に出会います。



その後の彼女はもう迷いがありません。
銅版画を学ぶためにハンガリーへ親子留学。

 

 

 

 

光に輝くブドウ

 

 

 

 

帰国後

運命の出会い

 

 

『うさぎのくれたバレエシューズ』

との出会いです

 

 

この絵本との出会いが

その後の絵本画家への道を

歩み始めることになりました

 

 

芸術家として

遅いスタート

 

 

天才芸術家は早熟が多い

世界であるにもかわらず

自分を見失わず

常に努力

 

 

常に前を向いて

自分の道を歩んでいらっいます

 

南塚直子さん

 

 

なんと素敵な

芸術家であり、一人の人間として

魅力に溢れた方ではありませんか

 

 

目の前の壁

困難を乗り越えてきた人生

女性であるハンデも

乗り越えてきました

 

 

 

 

私たちが彼女から学ぶべきことは

数限りなくあると思います

 

 

 

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