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苫米地式コーチング認定コーチ 松村 大輔 のブログ

自宅で家族揃っての食事が終わりました。

 

お母さんが子供に言います。

 

「自分が使った食器を流し(洗い場)に持って行ってね。」

 

子供はお母さんの言葉など聞いていないかのような素振りでどこかに行ってしまいました。

 

お母さんのお願いの声は続きますが子供は一向に言うことを聞いてくれません。

 

なしのつぶて、暖簾に腕押し、右の耳から左の耳へ、といった感じです。

 

困ったお母さんはお父さんに子供への声掛けを依頼します。

 

お母さんの代わりにお父さんが呼び掛けても子供の反応は変わらずでした。

 

日によっては子供が強く抵抗してくることもあるかもしれません。(軽くたしなめたつもりが逆に子供に無理強いだと怒られた等)

 

こうしたことが続く度にお母さんは子供の将来が何となく心配になるのでした。

 

・・・・・

 

子供が親の言うこと(簡単な家事のお手伝いのお願い)を聞いてくれなくて困ったという話でした。

 

このようなことは親子間に限らず様々な場面(上司ー部下、教師ー生徒、治療家ー患者等)でみられることだと思います。

 

私達の無意識は、押されたら押し返す、というような性質があります。

 

こちら側(この例では母親側)がコミュニティーの一員(この例では家族の一員)として簡単だし当然できるよねと思うことでも、相手側(この例では子供側)は逃げたりうまく言い逃れしたりしてお手伝いをなかなかしてくれません。

 

確かに相手側にも何かしら真っ当な言い分があるのかもしれません。

 

いや単に相手側はお願いされたことをやるのに慣れていないだけかもしれません。

 

はたまたこちら側の伝え方に反発を招く原因があったのかもしれません。

 

相手側、こちら側双方に色々理由が考えられるように思えることがあります。

 

しかし、実際は本当に本人も無自覚に嫌だと思うことからクリエイティブに逃げているだけかもしれません。意外とそういうことはありそうです。(創造的逃避)

 

無自覚に嫌だと思ってしまう時というのは

 

(子供の例でいえば親からの頼まれごとを)しなければならないもの(have to)と思ってしまった時、慣れ親しんだ空間や関係性から離れてしまったと感じた時(子供の例でいえば普段は親がやってくれるのに急にお手伝いを頼まれたと感じた等)、人から強制されたと感じる時(子供の例でいえば親にそのつもりはなくても)、過去の嫌な経験(子供の例であれば手が汚れて臭くなって不快になった過去のネガティブな経験等)が思い出される時等です。

 

私達の無意識はこうした時、それを避けるように創造性を発揮してしまいます。

 

残念なエネルギーと創造性の発揮のされ方です。

 

頼まれる側も無意識レベルで納得できれば依頼に応えてくれることがあります。

 

私達の無意識にある創造性を、同じコミュニティーに属する双方にとって有意義にポジティブに活用できるようにしていく。マインドの仕組みについて理解を深めることはこのようなときにも役立ちます。

行き付けの床屋さんで散髪している時にひげ剃りをしてもらいます。

 

仰向けになって気持ち良くまどろんでいて顔が少し横を向いていたのでしょうか、床屋さんが私の顔の向きをさり気なく正します。

 

床屋さんからしたら安全に効率良くひげを剃るために、私の顔をしかるべき位置に戻したまでです。

 

私達の心の中には、物事のあるべき姿のイメージがあります。

 

そのイメージと異なる現実を認識すると、場合によっては強烈な違和感を覚えます。

 

そして、その違和感をなくすように行動を無意識に起こします。

 

一日の予定の中の限られた時間の中で仕事をしている床屋さんは、うつらうつらしている私に配慮して声を掛けずに、しかし丁寧に速やかに私の頭の位置を正しい向き(真上向き)に戻してくれました。

 

何気ないごく普通のことのように思えますが、プロとしての長年の経験や常連の私との関係性の中での最善の心地良い対応をしてくださっていると感じます。

 

もし仮に、床屋さんが経験の浅い方で、私が初めて来店した客だったとしたらどうでしょう。顔を傾けている私に遠慮して、顔を傾けたまま(床屋さんが剃りにくい姿勢で)長い時間を費やしてひげそりをしていたなんてことがあったかもしれません。無理な姿勢で顔を傷付けるという安全性の低下の可能性もあります。経営的にも問題です。

 

これは現実に引っ張られて、ひげ剃りを不本意な姿勢とやり方で行った仮想の場合といえるかもしれません。

 

心の中のイメージと現実のどちらの実現を無意識がサポートするかは、どちらに本人がより強い臨場感を持てているかで決まります。

 

行き付けの床屋さんはプロとしての理想を持ち、プロとして研鑽を重ね相応しい対応のイメージが当たり前にできているからこそ、私にとってもご本人や次のお客さんにとってもベストな対応をしてくださりました。

 

床屋さんのさり気ないスムースな対応を思い出し、心の中のあるべき姿のイメージの臨場感を更に高めていこうと気持ちを新たにしています。

お口の中は敏感で髪の毛1本の存在にも気付くことができます。(髪の毛1本の直径は約50~100マイクロメートル、1マイクロメートルは1000分の1ミリ)

 

一方で、入れ歯を入れて違和感なく食事や発音ができもします。

 

最近私の家族が人生で初めて部分入れ歯を入れたのですが、慣れるのに1日掛かったと言っていました。

 

家族は入れ歯を入れる前と後で変わりないように私にも思えます。

 

私達の身体の感覚は、ある時には敏感にもなり、またある時には良い意味で鈍感にもなることができます。

 

これは私達の脳にフィルターがあるためとも説明できます。

 

脳の中のフィルターはその人にとって危険なものや価値あるものだけを認識に上げてくれます。常時多量にある感覚情報(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)の中からその人にとってその時大事なものだけを意識に上げてくれるフィルターがあるのです。

 

普段口に入れないもの(髪の毛、砂粒等)が何らかの理由で口の中に入ってしまうとフィルターが敏感にそれを捉えて意識に上げてくれます。

 

一方で本来異物である入れ歯に違和感がなくなるのは、身体に馴染んで自分の身体の一部のように無意識レベルで思えているからです。

 

歯科医師が入れ歯を調整したり自ら使い慣れたりすることで危険なもの(研磨が不十分で入れ歯の表面がザラザラして口腔内が傷つく、使い方を誤って頬を噛んでしまう等)かもしれないという注意が低下します。

 

そして、入れ歯が在るという感覚を普段フィルターが意識に上げなくなります。あたかも身体の一部のように入れ歯がなったということです。

 

それでも何かしら入れ歯に不具合が出てくれば(人工歯がすり減ってきた、口内炎ができた等)再びフィルターが認識に上げてくれますし、自分で入れ歯を意識すれば入れ歯の存在にすぐに注意を向けることができます。

 

身に付けている下着や靴下、掛けている眼鏡等にも同じことが言えます。また、鼻の頭や自分の呼吸の音、鼓動、足の裏の感覚等自分の身体についても同様です。

 

脳のフィルターは物理的な身に付けている物や自身の身体ばかりでなく情報的なものに対しても働いています。

 

例えば旅行に行こうと決めれば、移動の手段や宿泊先、旅程のプラン等に関する情報が急に目に留まるようになります。その人にとって旅行の重要度が上がり(旅行が価値あるものとなり)旅行関連情報に脳のフィルターが開いたからと言えます。

 

コーチングでは自ら望むゴールを設定することで、ゴールに関連することに脳のフィルターが開くようにします。そしてゴールに関係しないことはフィルターが弾いてくれるようにします。

 

人知れず身近なところで常に私達の脳に備わるフィルター(RAS=Reticular Activating System、網様体賦活系)が働いてくれています。ともにラスの働きを今一度確認し、より良く味方に付けていきましょう。