自宅で家族揃っての食事が終わりました。
お母さんが子供に言います。
「自分が使った食器を流し(洗い場)に持って行ってね。」
子供はお母さんの言葉など聞いていないかのような素振りでどこかに行ってしまいました。
お母さんのお願いの声は続きますが子供は一向に言うことを聞いてくれません。
なしのつぶて、暖簾に腕押し、右の耳から左の耳へ、といった感じです。
困ったお母さんはお父さんに子供への声掛けを依頼します。
お母さんの代わりにお父さんが呼び掛けても子供の反応は変わらずでした。
日によっては子供が強く抵抗してくることもあるかもしれません。(軽くたしなめたつもりが逆に子供に無理強いだと怒られた等)
こうしたことが続く度にお母さんは子供の将来が何となく心配になるのでした。
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子供が親の言うこと(簡単な家事のお手伝いのお願い)を聞いてくれなくて困ったという話でした。
このようなことは親子間に限らず様々な場面(上司ー部下、教師ー生徒、治療家ー患者等)でみられることだと思います。
私達の無意識は、押されたら押し返す、というような性質があります。
こちら側(この例では母親側)がコミュニティーの一員(この例では家族の一員)として簡単だし当然できるよねと思うことでも、相手側(この例では子供側)は逃げたりうまく言い逃れしたりしてお手伝いをなかなかしてくれません。
確かに相手側にも何かしら真っ当な言い分があるのかもしれません。
いや単に相手側はお願いされたことをやるのに慣れていないだけかもしれません。
はたまたこちら側の伝え方に反発を招く原因があったのかもしれません。
相手側、こちら側双方に色々理由が考えられるように思えることがあります。
しかし、実際は本当に本人も無自覚に嫌だと思うことからクリエイティブに逃げているだけかもしれません。意外とそういうことはありそうです。(創造的逃避)
無自覚に嫌だと思ってしまう時というのは
(子供の例でいえば親からの頼まれごとを)しなければならないもの(have to)と思ってしまった時、慣れ親しんだ空間や関係性から離れてしまったと感じた時(子供の例でいえば普段は親がやってくれるのに急にお手伝いを頼まれたと感じた等)、人から強制されたと感じる時(子供の例でいえば親にそのつもりはなくても)、過去の嫌な経験(子供の例であれば手が汚れて臭くなって不快になった過去のネガティブな経験等)が思い出される時等です。
私達の無意識はこうした時、それを避けるように創造性を発揮してしまいます。
残念なエネルギーと創造性の発揮のされ方です。
頼まれる側も無意識レベルで納得できれば依頼に応えてくれることがあります。
私達の無意識にある創造性を、同じコミュニティーに属する双方にとって有意義にポジティブに活用できるようにしていく。マインドの仕組みについて理解を深めることはこのようなときにも役立ちます。