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苫米地式コーチング認定コーチ 松村 大輔 のブログ

夜寝る前と朝の起きがけは、自分のゴール(現状の外、want to、バランスホイール)とゴールを達成した自分に思いを巡らす良い時間です。

 

この時間に翌日や当日、現状の外のゴールを達成した自分だったらどのようなパフォーマンスや振る舞い、姿をしているかを事細かく、ありありとイメージしてみます。(言語を使うアファメーション、言葉は使わないビジュアライゼーションの活用)

 

そして実際に1日をその自分として実際に行動していきます。その自分の臨場感を維持するセルフトーク(のコントロール)をしていきます。

 

折に触れて(1日の休憩時間等に)、途中経過の実際の行動やセルフトークの見直しをしてみます。ノートや日記に思い浮かぶ言葉を書き出して初めて気付く自分らしい・自分らしくないセルフトークがあります。失敗と思ったけど実はゴールに繋っていたと気付く成果もたくさんあります。

 

必要があればゴールやアファメーションをどんどん更新します。

 

ゴールを達成している自分の臨場感が維持できていれば、実際の現実とのギャップにポジティブな意味での不満をその時々で感じられます。課題が明確になり解決策が見えてくることがあります。

 

セルフトークを適宜上手にコントロールしながら行動していきます。私達に元々備わっているホメオスタシスの力で努力感なくゴールの実現に進んで行くことができます。

 

 



夕食時、家族が普段食べない味付けのカレーをつくってくれました。

 

グリーンカレー風で香辛料が入っており‘パクチー’(独特な鮮烈な香りがするハーブ)も入っているとのこと。

 

母は食べ物の中で‘パクチー’が一番苦手と言っていました。

 

苦手と言いながらも母はカレーを完食しました。

 

私も‘パクチー’には苦手意識がありました。

 

ベトナム料理のフォー(平たい米の麺)に添えられた特徴ある匂いの‘パクチー’を学生時代ベトナムで食べたことを思い出しました。

 

口にした時に鼻腔に瞬時に広がる独特の強めの香り。ベトナムのお店で食べた時の強烈な特徴を思い出しました。

 

食卓の家族が作ってくれたカレーを食べてみると、‘パクチー’の味はそれほど強くない。うまくカレーのルーに馴染んで特徴ある香りは適度に抑えられていると感じました。

 

それで私はカレーをおいしくいただくことができました。

 

母はおそらく過去に‘パクチー’を食べて強烈に不味いという経験をしていたのだろうと私は想像しました。

 

母は過去に‘パクチー’を食べて嫌な情動を持ち、「‘パクチー’が一番苦手な食べ物」という信念を持ったとも言えます。


信念とは、感情的に受け入れた主張や声明です。その信念は情動記憶によってつくられます。

 

私も‘パクチー’は強烈な香りがあるから食べる時は注意が必要と少し警戒感を持っていました。‘パクチー’には日本とは違うベトナムで食べた懐かしい記憶も張り付いています。

 

私には同じカレーを食べてもこのカレーはおいしいと感じられました。「この味付けのカレーの中での‘パクチー’はわるくない」と思いました。

 

私もどちらかというと‘パクチー’の味にはネガティブな気持ちを持っていました。しかし、ベトナムの元気な街の雰囲気の記憶も混ざってか、カレーの中の‘パクチー’の味を落ち着いて味わうことができました。

 

私の‘パクチー’に対する信念は変化したように感じました。

 

カレールーに煮込む前の新鮮な‘パクチー’の小さな葉が数枚食卓の小皿に残っていました。摘んで食べてみるとそのままでも嫌悪感なくむしろおいしく私は食べられました。(母は小皿の‘パクチー’の葉には手を付けませんでした。)

 

このように信念の形成には、自ら経験して(今回の例で言えば過去に‘パクチー’を食べて)どのような情動をもったか(情動記憶)が関係してきます。

 

また、親や学校の先生、友人等身近な人に説明されたことを情動の喚起とともに受け入れた結果として信念が形成されることもあります。

 

私がベトナム人だったとして、子供の頃から周りの家族が勧めるままにおいしく‘パクチー’入りのフォーを食べていたら、「‘パクチー’入りのフォーは私の最も好きな家庭料理」という信念を持っていたかもしれません。

 

このように形成される信念が、‘パクチー’に限らず様々な事物に対して形成されます。そして信念同士がネットワークをつくり信念体系(ブリーフシステム、自我)をつくっています。

 

普段食べ慣れないものを家族や知人と一緒に食べた時の一人ひとりの反応から、それぞれの信念が垣間見れることがありますね。

 

どのような信念を持っているのか、そしてどのような経緯でその信念を持つに至ったのかを確認する機会もマインドを上手に使っていくうえでは大切ですね。(現状の確認になります。)

 

自宅で家族揃っての食事が終わりました。

 

お母さんが子供に言います。

 

「自分が使った食器を流し(洗い場)に持って行ってね。」

 

子供はお母さんの言葉など聞いていないかのような素振りでどこかに行ってしまいました。

 

お母さんのお願いの声は続きますが子供は一向に言うことを聞いてくれません。

 

なしのつぶて、暖簾に腕押し、右の耳から左の耳へ、といった感じです。

 

困ったお母さんはお父さんに子供への声掛けを依頼します。

 

お母さんの代わりにお父さんが呼び掛けても子供の反応は変わらずでした。

 

日によっては子供が強く抵抗してくることもあるかもしれません。(軽くたしなめたつもりが逆に子供に無理強いだと怒られた等)

 

こうしたことが続く度にお母さんは子供の将来が何となく心配になるのでした。

 

・・・・・

 

子供が親の言うこと(簡単な家事のお手伝いのお願い)を聞いてくれなくて困ったという話でした。

 

このようなことは親子間に限らず様々な場面(上司ー部下、教師ー生徒、治療家ー患者等)でみられることだと思います。

 

私達の無意識は、押されたら押し返す、というような性質があります。

 

こちら側(この例では母親側)がコミュニティーの一員(この例では家族の一員)として簡単だし当然できるよねと思うことでも、相手側(この例では子供側)は逃げたりうまく言い逃れしたりしてお手伝いをなかなかしてくれません。

 

確かに相手側にも何かしら真っ当な言い分があるのかもしれません。

 

いや単に相手側はお願いされたことをやるのに慣れていないだけかもしれません。

 

はたまたこちら側の伝え方に反発を招く原因があったのかもしれません。

 

相手側、こちら側双方に色々理由が考えられるように思えることがあります。

 

しかし、実際は本当に本人も無自覚に嫌だと思うことからクリエイティブに逃げているだけかもしれません。意外とそういうことはありそうです。(創造的逃避)

 

無自覚に嫌だと思ってしまう時というのは

 

(子供の例でいえば親からの頼まれごとを)しなければならないもの(have to)と思ってしまった時、慣れ親しんだ空間や関係性から離れてしまったと感じた時(子供の例でいえば普段は親がやってくれるのに急にお手伝いを頼まれたと感じた等)、人から強制されたと感じる時(子供の例でいえば親にそのつもりはなくても)、過去の嫌な経験(子供の例であれば手が汚れて臭くなって不快になった過去のネガティブな経験等)が思い出される時等です。

 

私達の無意識はこうした時、それを避けるように創造性を発揮してしまいます。

 

残念なエネルギーと創造性の発揮のされ方です。

 

頼まれる側も無意識レベルで納得できれば依頼に応えてくれることがあります。

 

私達の無意識にある創造性を、同じコミュニティーに属する双方にとって有意義にポジティブに活用できるようにしていく。マインドの仕組みについて理解を深めることはこのようなときにも役立ちます。