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苫米地式コーチング認定コーチ 松村 大輔 のブログ

枯れてしまったようにもみえた鉢植えのバラが再び花をつけてくれま

した。水やりを見直したことが功を奏したようです。1年ぶりの開花で

した。

 

松山に住んで8年半近くになりますが松山に来てまもなくのことだった

と思います。

 

松山市の萬翠荘というところで毎年5月に開催されるバラ展に出掛け

る機会があり、そこでバラの素晴らしさに感激したことがありました。

 

それが一つのきっかけで数年前に初めてバラ苗を購入したのでした。

 

市内のバラ園で初心者である旨を伝えお店の方のアドバイスのもと、

一式(バラ苗、専用の土、肥料、鉢)を買い揃えました。苗を鉢に植

え替えベランダで育て始めました。

 

バラを育てるのは難しいと人から聞くこともあったのですが、バラ展

でのあの感動から自分で育ててみたくなり行動に移していました。

 

順調に枝を伸ばし、葉が生い茂り、蕾が出来て、開花して、凛とした

美しい佇まいを間近に見せてくれました。自ら育てたバラが開花す

る感動はひとしおでした。

 

花に顔を近付けその姿形をじっくり眺めたり鼻を近付けて素晴らし

い香りを胸一杯に吸い込み心がスウっと澄み渡ったりと開花前後

の喜びは特に大きいものでした。

 

一鉢目の開花の経験と感動から、半年後にさらに別の一鉢、1年

後にもう一鉢と計3鉢をベランダで育てるようになっていました。

 

小さい鉢のままでしたが自宅のベランダのバラも春と秋には継続

的に蕾をつけ開花してくれました。

 

しかし、ある時から成長が弱くなり、開花のシーズンを迎えても、蕾

ができなかったり、蕾ができても開花しなかったりと変調が起こって

いる鉢が出てきました。

 

そして、今年の春にはなんと3鉢とも開花がみられなくなってしまい

ました。

 

苗を購入したお店に鉢の一つを持っていき、店員さんや店長さん

に確認してもらうと、残念ながら枯れてしまっているとのこと。色々

な要因が考えられるが鉢植えのバラには特に水やりが大事であ

ることを教えていただきました。

 

水やりは普段していたつもりでいたのですが、鉢底から水が溢れ

るまで毎回できていたかというとそうではなかったことに思い至り

ました。

 

残り2鉢には再び花をつけてくれる可能性があるように思えそれ

からほぼ毎日起床後に鉢底に水が出るのをしっかり見届ける水

やりを続けました。

 

その結果、一鉢がこの秋に新しい葉を茂らせ、蕾を付けたので

た。

 

蕾を付けたものの、数日開花はみられませんでした。

 

本格的な寒さが出てきて、蕾のままシーズンを終えてしまう可能

性もありました。しかし、鉢底までの水やりを継続し、ついに再び

花びらをゆっくりと開き優雅な姿を現し甘い香りを放ってくれたの

です。ほぼ1年ぶりのうれしい開花でした。

 

上記はバラ育て初心者の私の失敗談でしたが、この話の「水や

り」は私達の日ごろの「心のつぶやき(セルフトーク)」や自他に

対する「言葉かけ」にも置き換えられるのではないかと思います。

 

心のつぶやきも、自他に対する言葉かけも、未来志向のゴール

の自分により相応しいものに変えていくことが良いと頭で理解し

ます。

 

そして心のつぶやきや普段の言葉かけを意識に上げ望ましい

ものに書き換えて実際プラスの変化、効果を最初のうちは実感

します。初心者でもバラを育てて花を咲かせることができたよう

に望ましい心のつぶやきや言葉かけ(≒水やり)を続け成果を

出します。

 

しかし、いつのまにかプラスの変化が停滞したり状況の変化に

直面したりして、正しい言葉かけをしたつもり(水やりをしている

つもり)の状態に陥ってしまっていることがあります。

 

変調が起こり始めていたりさえするのに、ただただ同じ水やり

(セルフトーク、言葉かけ)を続けている、続けているから問題

ないと思っている状態です。

 

もちろん、無意識に良い心のつぶやき、言葉かけができるよう

に習慣化する(落とし込める)のはとても良いことなのですが

(そして実際そのまま自動的にプラスの変化を起こし続けるこ

とももちろんあるのですが)、実質を伴っているかどうかの確

認をする視点は常に外せないということです。

 

水やりにもそれが十分かどうか、鉢底から水が出ているか確

認するというチェックポイントがあったように、日々のセルフト

ークや言葉かけも実質を伴っているかどうか(実際に効いて

プラスの変化がちゃんと出ているかどうか)は常にチェックポ

イントを押さえる必要があるということです。

 

そのセルフトークや言葉かけで自分や関わる人の心が前向

きになっているか、うれしい気持ち等心地良い感情が確かに

沸いてくるか、ワクワクする体感が生じるか、新たなチャレン

ジや行動を取りたくなっているか取れているか、望む成果が

実際に出ているかetcがチェックポイントの一例になると思い

ます。

 

水やりも言葉かけも花開きより良い成果を出し続けるには、

ただやるだけでなく、ちゃんと効果が出るやり方になっている

かモニタリングし続ける、チェックポイントを設けてフィードバ

ックをその都度その都度取り続けるというお話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だいたい

 

 

開催される愛媛県内のバラ育成家や販売店ベランダで3鉢、バラを育てていました。

 

 

趣味のサークルで会報をつくるをお手伝いをしている時のこと。

 

会員に書いていただいた原稿を会報作りのメンバー数名で校

正し、印刷できる状態にまで仕上げました。

 

仕上げたものをサークルの事務の方に印刷してもらいます。

10ページの会報をだいだい250部くらいは印刷するのではな

いでしょうか。

 

1年に5回、会報作りのメンバーで集まって会報を仕上げてい

るのですが、毎回良い状態でスムーズに印刷してくださいます。

 

しかし、先日パソコンで仕上げた今年最後の会報は、いつもと

ページのつくりが違うところがあり、印刷の設定を色々調節し

て試しているが、思うような印刷ができない箇所があると事務

の方から連絡をもらいました。

 

電話上でお話をうかがい考えられる可能性を伝え、さらに別の

アプローチを試してもらったのですが、やはりうまく行かず。

 

一度、印刷機の販売会社に問い合わせをしてみるということに

落ち着きかけたのですが、その前に直接私が事務局に行って

実際の状況をみてみることにしました。

 

事務の方に直接お話を聞きながら、私もパソコン上で印刷の

設定を変えて、試してみるのですが、最近新たに導入した印

刷機でもあり、すぐに解決には至りませんでした。

 

やはり、一度業者に問い合わせをする必要があると思いかけ

た矢先、事務の方が、「あっ、もしかしたら」ということで、ふと

思いついたアイデアを試されたところ、うまく印刷ができました。

 

「さすが、○○さん(事務の方の名前)!」ということで、業者の

助けも借りず、無事今回の会報づくりも完了したのでした。

 

仕事の一環、日常の一コマとして普段やり慣れていることでも、

ちょっとした仕様や設定の違いから、いつも通りうまくできない

ということに直面する時があります。

 

思いつく限り何度試してみても、なかなか解決せず、一人泥沼

にはまってしまうこともあります。そんな時、心の中の呟きは

「もう絶対無理!」「駄目だ・・・」等マイナスの言葉かけであった

りすることが多く、場合によってはそのようなマイナスの言葉

かけを心の中でしてしまっていることも意識に上がらない状態

に陥ることもあります。まさに泥沼です。

 

そんな時、直接作業の知識に詳しい人でなくても、状況を話せ

る相手、聞いてもらえる相手がいると、状況を冷静に捉え、ア

イデアを生み出し、自ら問題解決できてしまうことがあります。

 

状況や課題について人に話し、聞いてもらう状況は、一方で自

らの声を、自ら耳にする形にもなります。すると自然に問題の

整理が脳内で起こり、自ら解決策を見出していくというものです。

 

オートクラインと呼ばれているものです。

 

間接的に電話で人に相談するだけで解決策を見出すこともあ

りますし、直接人に会って話をする中でオートクラインが起こり

解決してしまうこともあります。

 

壁に直面しても、ちょっとした違いで自分の解決能力をいつも

のように(普段以上に)発揮したり、解決能力を自ら鈍らせてし

まっていることがわからない状態に陥ってしまうこともある。

 

マインドの仕組みの奥深さを再確認した出来事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、知人からお裾分けで柿をいただいた。ちゃんと柿を食べたのは今年の秋はこれが初めてだった。

 

まな板に水洗いした柿を乗せ、果物ナイフで6つに切り分け、それぞれ皮をむきヘタを取る。甘くてとてもおいしかった。

 

柿というと子供の頃、祖父母の家で干し柿を食べたのを思い出す。祖母が家の軒先に干し柿を吊るしていた記憶がある。炬燵のある居間でヘタに結わえられたビニールのヒモを取り、粉の吹いた干し柿を手でちぎりながら食べていたと思う。

 

祖父母の家に柿の木はあっただろうか?梅の木や栗の木があったことは思い出せるが、柿の木はそもそもあったかどうか、あったとしたらどこにあったか思い出せない。母に聞いてみた。

 

母は柿の木もあったという。あの辺りにあったよと話を聞いてその場所をなんとなく思い出す。確かに柿の木があったかもと思うのだが、実取りや虫取り等で遊んだ梅の木や栗の木ほどはっきりとは思い出せない。

 

でもそこで取れた生の柿そのものも祖父母の家で食べた記憶は思い出せた。黄色く艶がある大きめの柿だが少ししぶかった気がする。祖母が切って出してくれた柿。どんな想いが込められていただろうか。干し柿の方が甘さがあっておいしく感じたためか、子供心に物珍しく感じたためか、記憶ははっきりしていたが、いただきものの柿をきっかけに、祖父母の家の生の柿を食べたことや柿の木があった場所、その周辺の記憶に思いの外アクセスできた。

 

食べ物を例にしたが物事には過去の記憶が結びついている。

その記憶をたどってみると、忘れていたことに思い至ることがある。

 

その時に意図的に良い情動(うれしい、楽しい、気持ちいい、誇らしい、すがすがしい)を伴う記憶を思い出してみる。

 

ゲーム感覚でもやってみるとそういえばこんなこともあったなと感動を伴うこともある。

 

繰り返すうちにその出来事やそれにまつわるエピソードが次第に鮮明に想起され、今まさにその素晴らしさに直面しているような体感を得ることもできる。今の生活が彩り良く輝いてみえてくるきっかけになることも多い。

 

食欲の秋、芸術の秋、スポーツの秋。意図的に良い記憶を想起しつつおいしいもの、美しいもの、白熱するものから、よりたくさんの感動を受け止めていきたい。