いばらきドリームプランプレゼンテーションに関わって3年目を迎える。

最初のころから、いばらきドリプラは他の地方ドリプラと比べて、実行委員の平均年齢が若かったが、年月を経てさらに若年化が進んでいるように感じる。


とにかく20代の率が高く、今年42歳になるボクはかなり年長者の部類だ。

ただ20代の子たちは、本当に素直で成長が早い。

先週末の勉強会でも、それを改めて感じた。


途中からの参加になってしまったが、司会をしていたのは今年から実行委員になったカワラちゃん。

なんと平成5年生まれの大学生!!
平成5年て、ヘタすりゃ娘みたいな年ですがな(笑)

何でも震災が起きたときは、まだ高校を卒業したばかりだったというからビックリだ!!


最初に会った頃は、緊張しいな子だと思っていたが、堂々と人前に立ち、はきはきした口調で進行を仕切っている姿は嬉しかったなぁ。

学生らしい清楚な初々しさもあるけど、これから先輩たちに倣って、ますます自立しちゃうだろうね。


そして、今年の実行委員長をつとめる鎌ちゃん。

彼のことをボクはかつて「本田君」とあだ名したことがあった。


由来は単純

バイクに乗っているときと、普段の時のギャップが激しい、「こち亀」の本田君と鎌ちゃんのキャラがかぶって見えたから(笑)


ドリプラ世界大会のオープニングでも、豪快な和太鼓の演奏を見せてくれたが、普段の彼は気が弱そうな雰囲気の草食系男子にしか見えなかった。


そんな人前でしゃべるのが苦手だった鎌ちゃんも、クロストークの進行がすごく上手になっていた。

アドリブをはさみながら、相手の答えを上手に引き出し、参加者を惹きつける。

心の中で思わず「お見事!!」と叫びたくなった。


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-

同様に、昨年のドリプラ世界大会で感動大賞になったぬまっち。

彼もまた、その後色々な方にご支援をいただき、夢の実現に向けて一歩ずつ高まってきている。

ぬまっちも最初に出会った頃は、線が細くて心配になったが、徐々にメッキがはがれ、心臓の筋肉がマッチョになっていく姿を見るのが嬉しくなった。


それぞれに共通して言えるのは、それぞれにとっての憧れのメンターからの学びを、素直に吸収して実践していることだと思う。

いばらきドリプラは、プレゼンターに限らず、関わった人たちみんなが成長する道場みたいなもの。

若い子たちが育っていく姿に、毎年オジさんは元気をもらっている。

ちょっとブランクが空いてしまったが、あこがれ先生プロジェクトin埼玉で出会った先生の一人に、第一回「先生見本市」で授業を行った西村徹先生がいる。


DVDで見た時も、山間部の小学校に赴任し、特別支援クラスの子供さんと毎日片道4kmの通学路を共に歩いたという話が衝撃的で、ボクもお会いできるのが楽しみだった。


この子供さんと通った日々の中で、先生自身がいろいろなことに気づかされたという。

村の人たちは、先生とその子供さんを見かけると「がんばってね」「気を付けてね」と声をかけてくれるようになり、いつの日か村中の人が西村先生の存在を知ることになった。


そんな中で、西村先生が中村文昭さんの講演会を企画したことがある。

「こんな山間部で人が集まるんかいなぁ」と文昭さんも不安だったようだが、会場は満席状態。

講演が始まる前の喫煙所で、文昭さんは地元のおじさんからこんな話を聴いたという。


「中村文昭さんっていう人のことは、ようしらん。

ただ、あの西村先生が『ええ話をする人や』っていうんやから、来てみただけや」


本人目の前にして、そんなことを言っちゃうおじさんもすごいけど、「あの人が言うなら」っていう理由だけで人を集めるって、どんなすごい先生なんだと文昭さんも感動したようだ。

「誰が言うか」が大事とは分かっているが、姿勢で導くっていう在り方はまさに教育者の鏡だと思う。


ただ今回、西村先生が愛にあふれる教育者になった原点を知り、「ほぇぇ」とうなってしまった。

なんと西村先生が小学校を卒業するときの校長が、あの東井義雄先生だったのだ!!

東井義雄先生を知らない方もいると思うが、とにかく慈愛に満ちた指導力の先生であり、あの森信三先生が「教育界の人間国宝」と称したくらいの教育者。

ボクもその著書を読むときは、ついつい背筋がピンとなってしまう。

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もちろんボク自身は、本の中で描かれる東井先生しか知らないわけだが、なるほど改めて読み返してみると、西村先生の実践されていることは東井先生の生き方を継承していると言えるだろう。
やはり子供の時に、どんな先生に出会うかっていうことは重要だと再認識させてもらった。

子供の頃に、「泣いた赤鬼」という絵本が好きだった。

村人と仲良くしたくて悩む赤鬼くんのために、自ら悪者になり、そして去って行った青鬼くん

友情という言葉だけで語るにはチープすぎる熱い話に、子供ながらに胸がせつなくなった。


今でもボクの中では「かた足ダチョウのエルフ」「わたしのいもうと」と並んで、タイトルを見ただけで涙腺が決壊しそうな絵本BEST3に違いない。

ただ、この「泣いた赤鬼」のような話は、日本の歴史の中で幾度かある話なのだ。


そのうちの一つが、池間哲郎先生に教えていただいた、太平洋戦争時のペリリュー島の話だ。

ペリリュー島というのは、現在のパラオ共和国に位置する島で、当時は日本兵が駐留し、アメリカ海軍との攻防戦が行われた場所だ。


-以下転載-


日本兵とペリリュー島の人々は共に語り、唄い、手を繋ぐ、固い友情が育まれ「島民は日本軍人を愛してやまなかった」と言います。


戦争末期、いよいよ米軍が押し寄せて来る。

実質戦闘員約15倍、兵器物量約600倍の圧倒的米軍有利な戦局。

日本軍玉砕は確実だった。


島民は「愛する日本兵と共に戦い、自分たちも死んで行く」と覚悟を決め、中川守備隊長へ「自分たちも戦わせて下さい」と申し入れる。

日頃、温厚な隊長は、その言葉を聞いた瞬間、激高し「帝国軍人が貴様らごとき土人と一緒に戦えるか!」と大声で怒鳴りつけた。


「土人?」「一緒に肩を組み、歌を唄った日本兵たちの思いは見せかけだったのか?」「やはり、こいつらは自分たちを見下げていたのだ」と人々は怒りと悲しみで拳を震わせた。


島からの避難船に島民は乗り込む。

日本兵は誰一人として見送る者は居ない。

日本人への怒りと憎しみの思いが溢れる。


船が避難先へ向かう為、島を離れた瞬間、日本兵全員が真っ白な砂浜に現れた。

死を覚悟した日本兵たちが、笑顔で手を振り「達者で暮らせよ」と声をかける。

一緒に唄った日本の歌を大声で唄っている。

涙で顔を濡らす兵士も居る。

そして、その先頭には「土人」と自分たちを侮辱した中川隊長の姿が有った。


ペリリューの人々は悟った。

「土人」「あの言葉は自分たちを救うため」「自分たちを戦闘に巻き込まないため」だったと。

島民の目からは、止めども無く涙が溢れた。


その後、アメリカ海軍との攻防戦は、圧倒的な劣勢の状態にも関わらず73日間続いたという。

日本兵はすべて命を失ったが、パラオの人たちは誰一人命を失うことはなかった。


そしてパラオの国旗は、日の丸をモチーフにした、海の上で輝く満月をデザインしたもの

しかし、満月は中央ではなく、ちょっと左に寄っているのだ。

日の丸に敬意を表するとともに、まったく同じでは畏れ多いという配慮なのだという。


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-

学校では未だに、自虐的な歴史観を教えているようだが、ボクはこういう先人たちの話を子供たちにたくさん教えていってあげたいと思う。

ボクのように、勘違いした歴史認識を持った状態で大人になってほしくないからね!!

サッカーのW杯予選の試合は、すごかったなぁ

あの場面でPK、そしてそれをど真ん中に決める本田選手

やっぱり持ってる人は持ってるなぁ


ただ冷静に俯瞰してしまうと、薄氷を踏むような試合だったことには変わりないし、優勢だと思われていたオーストラリアに引き分けたのは事実。

もしもあのPKを外していたら、マスコミは一斉に本田選手を叩いていたことだろう。

予選突破は嬉しいけれど、どこか素直に喜べない結果だった。


といいつつも、ボクはサッカーが得意なわけでも詳しいわけでもない。

国際試合の時に、家にいればテレビで観戦する程度の冷めたサッカーファンだと思う。


そんなわけで、試合の数日前の新聞で「渋谷スクランブル交差点を閉鎖」とか「警視庁が○○人態勢で・・・」という記事を読んで「???」となってしまった。

国立競技場ではなく、埼玉スタジアムで開催するのに、渋谷を警戒する意味が分からなかった。


ここ最近、渋谷に行くことがめっきり減ったので、事情を全然察していなかったのだが、渋谷にはパブリックビューのできるお店が大勢あったんだね(^-^;
試合終了後、興奮した人たちが集まってきて大騒ぎになるだろうという見解だったのか!!


ニュースや新聞で見たけど、確かに試合終了後の数時間はかなりのお祭り騒ぎだったみたいだ。

それでも逮捕者は0

警視庁の誘導が上手だったのと、ファンのマナーが向上したということだろう。


中でもDJポリスという愛称で、20代の警察官の方が話題になっている。


「危ないから入らないでください」とか「下がってください」という指示は誰でもできることだし、日本語が分かる相手なら誰でも理解できる

でも相手の心に響く伝え方かと言われると、何とも言い難い。


「怖い顔をしたお巡りさん、皆さんが憎くてやっているわけではありません。

心ではW杯出場を喜んでいるんです」

「ゆっくり前に進みましょう。けがをしてしまっては日本代表のW杯出場も後味が悪くなります」


すべては彼のアドリブらしいが、こんなイキなアナウンスをされたら、騒いでいるサポーターにとって悪い気はしないだろう。

正論を振りかざすだけじゃなく、どうやったら相手の心に響くのか!!
ぜひ警視総監殿は、こういう警察官を増やす努力を費やしてほしいと思う。

ただ残念だったのは、今日の新聞に載っていた話
逮捕者が出なかっただけで、渋谷のスクランブル交差点の近くは、かなりゴミが散乱していたらしい。
このモラルが保たれていたら、「あっぱれ日本」なんだけどなぁ・・・。

ボクの場合、大体3年周期で大河ドラマにハマっている。

理由は単純、描くテーマが幕末だからだ。


「新撰組」(2004年)、「篤姫」(2008年)、「龍馬伝」(2010年)、そして今年の「八重の桜」

幕末マニアはボクのまわりにも多いけれど、興味のない人たちにとっては、この時代の人間関係や敵味方の立ち位置が込み入っていて、分かりにくいことこの上ないだろう。


尊王攘夷、公武合体、佐幕、倒幕と、色々なイデオロギーで無理にくくろうとするのが、余計に混乱させる原因になっているようにも感じる。

それよりは、一人一人の生き様を見ている方が、ずっと分かりやすいし面白い!!


でもドラマとして描く場合は、敵味方の対立軸を強調しないと、話がややこしく見えてしまう。

3年前は、龍馬とその仲間たちにとって敵だった会津を悪役に見立て、今回は時代に流されてしまった会津を悲劇のヒーローに見立てて、薩摩長州の新政府軍が敵役だ。


もちろん会津戦争の結末は、ほとんどの人が知っているわけで、それを思いながら見入ってしまうと、活き活きとたくましく生きる会津の人たちの姿が哀しく見えてしまうのだ。

ましてや会津は、ボクの大好きなつかささんや、若ジイ、大河原先生、そしてはせがわいさお先生の故郷であるから、余計に感情移入してしまう。


以前、会津出身の方と飲んだ時に、お店の人に「おすすめの焼酎は」と聞いたところ、薩摩の芋焼酎の銘柄を勧められた。

「鹿児島で作った酒なんか飲めるか!!」と、冗談とも本気ともつかない切り返しに、「あぁ、まだ会津戦争のことを許せていないんだなぁ」と感じた。


同じようなことをボク自身も体験している。

滋賀の彦根の方と名刺交換をした際に、ボクの住所を見て相手の方の表情がこわばった。


「稲葉さん、茨城なんだ。まぁ、水戸じゃないからいいか・・・」


最初意味が分からなかったが、彼曰く

「彦根のヒーローといったら井伊直弼。桜田門外の変でクーデターを起こした水戸の連中は、オレにとっては敵」ということらしい。


いずれも150年近く前の出来事なのだが、自分たちのDNAは、確実に先祖が体験してきた歴史の思想を受け継いでいるんだなぁと思ってしまう。


そんなわけで、今年の日曜日の夜も、なるべく8時には家に帰る癖をつけているのだ。

しかし役者さんたち、会津弁が上手い人とヘタな人のギャップがすごいなぁ(笑)