子供の頃は誰でも物語が好きでしょう。そうじゃない子もいるのかな。なかにはいるかもしれません。
でも一般的には好きでしょう。なぜか。たぶん理由があると思います。
自分の幼少時代を思い出すと、まず子供って不自由なもんだったなぁと。大人から見るとずいぶん自由に振る舞っていても、子供自身は窮屈、そう感じていた気がします。
思えば何も選べず生まれてきますしね。生まれてくる場所、国や家庭は選べない。どんな家族に当たるか、親は勿論だし兄姉の有無も決められない。性別にしても知力体力などのポテンシャルにしてもそう。容姿だって自由にならない。あとから多少なんとかできても(整形手術とかね)最初にガチッと決められて理不尽。何より生まれてくるかどうかさえ選べません。親の勝手で産み落とされて、いつのまにかこの体に入っていた、気づいたらここにいた、というのが実感です。
親はまだあれこれ選べますでしょ。産む産まないも、産んだあと好きに名前もつけられる。性別や能力や性格などは選べないでしょうが、それでも子供本人より自由がある。
育児は最初、子供ペースで振り回されるものでしょうが、子供から言わすと何もかも望んだものじゃない、気に入らない状態なんじゃないかな。だからあんなに泣くんじゃないか。
でもそれをだんだん受け入れてく。時間の経過と共に。いくら泣いてもムダだと悟って。諦めて。
理由もわからず押しつけられるルール、生活習慣。口うるさい親。気の合わない兄姉。好きなおやつばかり食べられない。いつまでも遊んでるわけにいかない。
自由じゃないのはストレスだけど、叱られるのも嫌だから天秤にかけて我慢する。妥協する。
そんな中で物語は、現実を一瞬忘れさせるものでしょう。望んだわけじゃない現実をいっとき離れられる。
現実逃避。
いいですねぇ。どうにも必要なものなんじゃないかな。
子供がはじめて触れる物語は何か。人にもよりますが、絵本とか、その読み聞かせでしょうか。絵本がない時代は家族が語った昔話とか。
それに触れる時の子供の集中力ってすごいですね。まさに夢中になってる。大人になるとあんな風にはなかなかなれません。入り込むまで時間がかかる。
それは子供よりずっと現実を知ってしまったからでしょう。現実と照らし合わせて次々疑問が浮かび、その物語が本当っぽいか、嘘くさくねぇか、ついジャッジしちゃう。
子供はまだそれがないからひとっ飛びに没入できる。ちょっとうらやましい。
アニメとか人形劇とか好きですね。絵も人形も身近にあるからそれが動いてしゃべったりは楽しいんでしょう。思えば絵が動くってあり得ないことです。最初は不思議ですね。絵を何枚も重ねて動いてるように見せている、と知るまでは、ただただ「スゴイ」なんじゃないかな。
なので「絵」であることが大事で、写真のようにリアルなCGではむしろいけないのかもしれない。わかりやすい絵、チープな絵、というのがミソで。
リアルじゃないことがむしろ大事ってあると思います。実写の場合はセットなりロケ地なり実在するものの中で、本当の人間が演じている。作られた世界だけど現実が混ざってる。だから身近に感じられもするんですが、アニメのようにすべて作られたものだと最初から割り切れます。これは人工物。リアルかどうかの照らし合わせなんて不要。最初からチェックが甘くすぐ入れる。現実を忘れ楽しめる。
でも人によってはだんだんリアルなものを求めるようになります。
嘘っぽいのが嫌になるんでしょうね。都合のいい展開やベタな結末とか。見慣れて厭きるってのもありそう。酔えなくなる。心置きなく酔うには本当っぽいものが必要になる。
でも実写ならリアルかというとそうでもなく、実際の人間(役者さん)が非現実的な言動をすればかえって違和感が膨らんだり。見るのが耐えがたくなる。
またリアル過ぎても生々しく「無理」となったり。
なのでリアリティーって難しいですね。どんな具合がちょうどいいか。人にもよるんで正解はないんでしょう。
字が読めるようになると漫画を見だすのが子供の頃の定番でした。しかし自分はあまり読みませんでした。もっと読んどけばよかったな、と思います。
漫画って画とセリフがあって、画にはキャラクターの表情、動きを見せる流線、心理描写(少女漫画なら花しょったり)などなどあって、吹き出しのセリフは場面や感情によってフォントを変えたり、吹き出しじゃなくても効果音の描き文字とかあって、それらはつまり記号ですね。描かれたものはすべて記号。読者はそれを見て読んで、脳内再生する。動きをつけたり各キャラクターを演じたり。これとても自由です。
作者は自分の思い描いたものを正確に伝えようとしてるだけでも、読者は勝手に動きのない画から想像して補完して楽しんでる。クリエイトしてる。これは実際に動きを見せちゃう映像作品じゃそんなできない。製作者が完成形と思う仕上がりを差し出してるんで、受け手が手伝う余地がない。同じフィクションでも楽しみ方が全然違います。映像作品はほぼ受け身ですが(映画なら映画館に行くって行為は能動的だけど)漫画は読み進めること自体が主体的。さらに想像力を使い前向きで、だから没入する。
小説というのはさらに文字だけで画さえないから(挿絵がたまにあるけど)読者の想像力頼りです。依存度が高すぎて「ムズい」「しんどい」ともなりますが、自由気ままという点では漫画に勝るでしょう。これもまた楽しみ方が違う。活字離れなんてずいぶん長いこと言われてますが、楽しみ方が違うんだからなくならないでしょう。規模の変化はあってもたぶん消えない。
規模が大きくなったエンタメだとゲーム。これもモノによってはストーリーありますね。そしてまた違う。ゲームは自ら操作するのがポイントで、物語を辿るにしてもレールに乗って連れて行かれるだけじゃなく、うまく操作しないと進めない、行き着けないというハードル。それを乗り越えたからこその達成感みたいのは、ほかのフィクションじゃ得難いんじゃないかな。
せっかく現実逃避してるのに「なぜハードル?」と思わなくもないけど。
でも「簡単に行かない」というのがリアリティーで。
そのリアリティーを求めるのは、なんだか矛盾してるっちゃしてる気がしますね。現実から「離れたい」のになぜ「本当っぽいもの」を求めるのか。情緒不安定?
でもこれ矛盾してなく、それも物語を欲する理由なんだと思います。
現実を忘れたいけど、逆に「確かめたい」「理解したい」とも思っていて。
現実はややこしいですよね。大勢が入り組んでわかりづらい。出来事は順序立てて起こらない。
子供にとっては特にそうでしょう。経験が少ないから整理がつかない。わけわからない。
物語はそこらをシンプルにしてくれます。必要なことだけを抜き出してわかりやすい流れにして。
人はそれで世界を知り、人生を学ぶ。
難題を解きたい、実のところを知りたい、というのも物語を求める理由なんだと思います。