昨日は映画を観に銀座へ
蛇にピアス
現実味のない世の中で、何かを探し求めた、私の人生の断片
あの頃、「痛み」だけが、私に生きている実感をくれたんだ
芥川賞を受賞した金原ひとみの同名小説を演劇演出家・蜷川幸雄が映画化。
原作を読んでいましたのでイメージが自分の中にありました。
が、映画はそれをすべて超える描写でできていました。
とにかくショックです。
舌にピアスを開けて、穴を拡張し舌を2つに割る=スプリット・タン。
強烈な性描写と殺人。
自分がどうあるべきかなんてほど遠くて、さまよう亡霊のように生きている。
こころが痛すぎます。
しかし、これは非現実的物語だと簡単に整理できない感情が残ります。
どうしようもない目の前の現実を、変える力になる夢や目標も持ちにくい
現代の若い世代の現状としてリアルに感じます。
肉体的な「痛み」でしか生きている実感を得ることができない主人公ルイ。
刺青とスプリット・タンで生を実感しています。
自分のまわりに現実と結束できるものがそれしかなかったのだと思います。
社会的な善悪の判断なんて関係なくて
自分を認識できる方法として容易に取り込んだのではないかと思います。
この作品は、どうしようもないネガティブループの環境に陥りやすい現代で
苦しんで、もがいて、本能で現実と結びつこうとした若者を描いています。
理解する必要はないかもしれません。
でも、見渡せば周囲に簡単に見つかる
どこにでもいる若者の話しだと認識すべきと思いました。
今日から1週間はじまって
午前中から良いペースで案件片付けてましたが
あした休みなんですね
なんだか調子くるいます。
祝日でも世界の社会はめまぐるしく動いていますよ。
でも
せっかくの祝日なので
明日は祝日にしかできないことをしようと思う。
本日も仕事です
そろそろ帰宅できるようにまとめあげましょう
東京は台風の影響がほとんどなくてひと安心
天候はどうすることもできませんので
じゅうぶんに注意しなければなりません
しかし最近の気候はおかしいですね
ゲリラ雷雨とか
夏の終わりとともに急に肌寒くなったり
すべてを環境破壊による温暖化のせいにはすべきではないと思いますが
身近に変異がおきていることは事実です。
連休中は芸術にふれる日々でした
日曜日
国立新美術館に二科展を観に行ってきました
叔母の絵画が入選しているので毎年観にいっています
野外展示の彫刻たちのバックには東京ミッドタウン
良い眺望です
夕方ミッドタウン前に
赤坂氷川神社の
例大祭の前日際で山車が出ていました。
勝海舟が布に書いた文字を、保存するために全て刺繍にしてあるとのことです。
遠目には筆文字にしか見えない繊細な刺繍で出来ているようです。
月曜日
東京都美術館に院展を観にいきました。
院展は日本画しかありませんが、日本画って淡色で奥ゆかしいというか
やはり日本人の感覚にぴったりくるように感じました。
安心感があります。
ポッポアートとかサブカルチャー的表現とは対極の質素さを感じます。
そして夕方に、ウラジミールマラーホフのジセル を観にいきました。
これもまた質素。
もちろん良い意味で。
トーンが淡い感じ。
舞台が絵画的。
マラーホフ氏は派手な表現はしない完璧主義者のように感じました。
先日やっと乗りました
東京→夢の下町バス
下町浅草から丸の内まで走ります
停車箇所も少ないので通常移動にもなにげに便利
デザイン@首都大学東京・産業技術大学院大学教授 福田哲夫氏
いまさらですが桐野夏生の「OUT」を読みました。
ドラマ、映画になっていたんですね。知りませんでした。
まあとても恐ろしい話しでした。
ごく日常的に自分の周囲にもいそうな主婦たちがが夫を殺しバラバラにしてしまう。
意外にもその一線から外に出ること「OUT」は容易なのかもしれないと読んでいると錯覚します。
しかし、そんなことはないはずです。
そんなに簡単に人を殺して「OUT」してはいけません。
人を殺すことは簡単にはできないはずと信じたい。
人間が根底に持つ正常な道徳的感情が「OUT」させることを抑止するはずと信じたいと思います。
でも主人公は「OUT」することを希望しているからなおさら怖いと感じるのでしょう。
なぜ「OUT」したいのか。
社会格差やいつ脱することができるのかわからない混沌とした生活からの「OUT」なのかもしれません。
そういう意味で「OUT」したい願望はだれにでもあるのかもしれないと感じはじめました。
また思いついたら追記します。