ココハドコ? アタシハダレ? -5ページ目

ココハドコ? アタシハダレ?

自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

 ここのところ、日本語教師の勉強に追い詰められて、余裕をかますほどの能力もなく、TVもつけずに机に向かっていたら、ホント、数十年ぶりに「ながら○○」から解放されて、ちょっと新鮮な気分。学生時代は「ながら勉強」なんてしたことなかった、というかそもそも勉強しなかった私が、何をするにつけても横でTVが何か喋ってるという、そんな生活があたりまえになってしまったのはいつの頃からだったのだろうと思うと、ちょっと思い出せない。

 

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 そんなわけで、日本の衆院選もアメリカの大統領選にもかなり興味を失ってはいたのだけれど、この週末は実習もあったりして、とりあえず期日前投票に行った。で、国政選挙だけは必ず行くようにしているのだけれども、記憶する限りでは多分初めて、比例で自民党に入れた(小選挙区は白紙)。理由は単純で、どの野党も経済成長を語れない無策ぶりで、これじゃ裏金でどれだけ非難されようと、自民党に入れるしかないだろうと・・・。

 なんだか消費税をなくせとか給付金をもっと出せとか、そんな話でPRすること自体が「経済無策」の証拠で、こんなポピュリズムに飽き飽きしないのかね???こんなことを続けるから人はどんどん働く意欲をなくす。私はそう思う。

 

 アベノミクス信者はお金を刷りまくって、じゃぶじゃぶにして、せめてその金でケツぐらい拭けよと思うのだが、反省のかけらもない。それが今回の裏金選挙で公認を受けられなかったり比例に重複しなかったりで相当数落選した。非常にいいことだと思うし、過半数割れて、私はむしろ「石破、よくやった」と言いたいくらい。本当は自民党は下野すべきとおもうのだが、野党の体たらく見てるとここが限界かとも思う。高市であれ誰であれ、他の人間が総裁になってたらもっと結果は良かったかもしれないが、自民党への一般人の不信感はさらに根の深いものになっただろう。「禊」はすんだと言って良いのかどうかわからないが、「禊」なんぞどこ吹く風で支援する人間も結構な数いるわけで、有権者100%が納得する「禊」というのもあり得ない話。

 

 石破氏が総裁になって発言がころころ変わるといってマスコミの総攻撃を受けたりしている。なんでもいいから記事ネタが欲しいマスコミにとって、政治に対する定見なんぞそもそもあってないようなもので、売れる記事のためには良心も投げ売りしかねない、そういう世界である。

 たしかに一国の首相、総理総裁が発言をひっくり返せば大きな批判の対象になるのは仕方ない部分はある。ただ、ずっと派閥らしい派閥もなくひたすら本音を語り続けた人間がその本音だけで政治ができるわけないのは初めからわかっていたことで、それをごちゃごちゃいうのも大人げない。何かにつけ「現実はこうだから、、、」という人間、理想の無い人間を信用してはいけない。理想と現実が大きく隔たっているのは当然のことで、理想に向かってどうやってそこに近づくか、そこにこそ政治家の本懐があるはずで、言うことがころころ変わっても、本音はおそらく変わらないだろう。

 私は思うのだが、人に嘘をつくのは簡単だし、そういう人間は多い。しかし、自分に嘘をつくのは簡単じゃない。自分に嘘をつく人間は人格にゆがみを生ずる。本音というものはそう簡単に消せるものではないのだ。

 

 石破氏がどんな政治をするか、しばらくは期待してみてみたい。選挙に負けてアベ政治の尻ぬぐいから始めるわけで、総裁選直後から石破氏非難を続ける人々というのは、私には「負け犬の遠吠え」のように見えるが、ま、それはそれでお手並み拝見。

 

 

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ここまで書いてきて、一息入れていたら、こんな記事を見つけた。

 

「日本は働き手の「やる気」で世界最低...」(NEWSWEEK Japan)

 

そうか、やっぱりそうかと思ったりしたのだが、それ以上に深刻な問題があって、そのことに触れておく。

 

 以前に当BLOGで紹介した「言語の本質」(今井むつみ・秋田喜美 共著)という本に書かれていた小・中学生の学力の低下について。

 1)1/2と1/3のどちらが大きいかを尋ねると、5年生でも1/3の方が大きいと答えた子供の方が多く、正答率が50%を切っていた。0.5と1/3はどちらが大きいかという問いでは正答率が42.3%という低さ。

 2)① 99/100<100<101/100  ②99/100<101/100<100  ①と②、不等式で正しいのはどちらかという問題で中学生の正答率がなんと、たったの36%(もちろん正解は②→あなたは大丈夫??)。

 3)1/2+1/3に最も近い整数を0,1,2,5の中から選ぶよう求めた問題で正解の「1」を選んだ子供はわずか38.5%。51人中27人が「5」を選んだという。

 

 著者は小学生の時に「もっとも基本的な分数の意味を理解していない、つまり分数の記号を接地していない」ために中学生になっても初歩的な問題すらわからない中学生が多くいることに警鐘を鳴らしている。「人間は、記号が身体、あるいは自分の経験に接地できていないと学習できない」と。

 日本の教育はどうなるのだろう。いまや、小学生に英語やプログラミングを教える時代。算数が出来なくても電卓を叩ければ良しとする時代なのだろうか。煩雑な問題はAIにまかせて、これからは「問題解決能力」が問われる時代になるという人がいる。「問題解決能力」とはAIの上手な使い方のこと?つまり、電卓の叩き方がわかれば良いってわけ?

 そんなことはあり得ない話で、「考える力」というのは算数であれ言葉であれ身体に接地した豊穣な感覚がなければ育つことがない。基本的な勉強すら理解できない者ばかりが増えて、しかも労働意欲が世界最低。どこにでもいそうな普通の若者が手軽に金儲けしようとホイホイと闇バイトに手を出し、人を殺す。そういう時代がもう始まっている。

 

そして、そういう時代に気づかない「政治」。手取りを増やすとか、給付金とか、消費税をなくすとか、そんなこと言ってる場合かと、私なんかは考える。

 

 

 

 

 

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 (承前)前回紹介した河川敷に付けられた町名の上布田町と下布田町のちょうど境目あたりにある取水堰、河口に向かって左岸の市街地の住所で言うと調布市染地2丁目、川崎市側つまり右岸の住所で言うと川崎市布田。この堰は名前を二ヶ領上河原堰という。

 

 

 

 

 このあたりは毎年9月に行われる調布市の花火大会の会場になるのだが、この堰の川下の中州から打ち上げているらしい。雑踏警備の仕事でこの花火大会の会場に来たことはあるのだが、たいていは川崎市側、南武線の稲田堤駅の近辺だったり、川崎街道沿いで見物客の交通整理をするといったふうで、まともに花火を見たためしがない。だいたい1時間くらいの間に10,000発くらい上げるらしい。けっこう大規模な方だと思う。

 

 

 さて、下は川崎市側から見る二ヶ領上河原堰。「二ヶ領」の名前は旧川崎領と稲毛領の二領にかけて流れた「二ヶ領用水」の取水堰であることによっている。つまり、堰によって貯められた水が用水路に流れ込む仕組みで、「上河原」の名は、もう一つある「宿河原取水堰」と区別するためであろうと思うが「上河原」という地名は残っていないようである。

 この二ヶ領用水は関ケ原の合戦のあった16世紀末に測量が始まり、十数年の年月をかけて1611年に完成したというから玉川上水よりも古い。

 

 

 ところでその二ヶ領用水だが、下の地図を見てほしい。水路がXに交わっているところがある。左下から右上に伸びているのが三沢川という河川で上の多摩川に流れ込んでいる。その三沢川と交わって下の方に細く伸びているのが二ヶ領用水。三沢川は多摩川に向かって上の方に流れ、二ヶ領用水は多摩川の水を取り込んで下の方に流れる。この二本が交わっているとはどういうことか?

 

 

どうやらふたつの水路は立体交差してるのだろう。どのような技術が使われているのか知らない。写真を撮った現地にもそうしたことを記述した案内板のようなものはなかった。ただ、調べてみたら玉川上水も立川市内で残堀川と立体交差しているという。だから、そういう土木技術が17世紀にはあったのだろう。詳しいことは知らないがなんだか「すごいな」とひとり感心している。

 

 

 上はその立体交差から二ヶ領用水が出てきたと思しきあたり。ゆるやかな坂道を上がったところ、左右に三沢川が流れている。つまり、立体交差の上が三沢川で下が二ヶ領用水、下をくぐる時の入り口の高さより出口の高さを低くしているのだろう。そうすれば自然に水は流れてくる、そういうことだろうと思う。

 

 

 そして、その二ヶ領用水の下流方向。まだ、暑い時期で鬱蒼としているが流れは美しい。所によっては水際にちょっとした休憩施設があったり、沿道に桜並木があったりで季節によっては楽しめそうな用水路である。

 

 

 

 

 

 

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 壊れていたエアコンの交換工事も当初業者から言われていた時期よりも早くなって、この酷暑の夏も何とか乗り切れそうな気分になっていた所、いい気になってエアコンを使い過ぎたか、夏風邪をひいてしまった。熱は出てないのに咳が止まらない。やれやれ、、、

 

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 さて、写真は多摩川の河川敷。調布市多摩川3丁目あたり。前に見える橋は多摩川原橋。河川敷に整備されたサイクリングロードの舗装が新しくなっていて、自転車を走らせた感じも快調。悪くない。

 

 

「調布」という地名は租庸調という税制のあった律令制時代に近辺の特産物であった布を「調」として納めていたことが由来だとされている。当時「布」とは麻、苧、葛などの布を指し、絹を調として納めるのは「調絹(ちょうきぬ)」といったらしい。

 

 

 そんなわけで、「布」が特産だったわけだが、万葉集の東歌に歌が残っている。

 

  多摩川にさらす手作り(たづくり)さらさらに 何そこの児のここだ愛(かな)しき

 

 

 そんな古くからの歴史のある土地で、近辺には布にまつわる、布田、染地といった地名も残っている。染地という住所はおおむね多摩川に沿った市域で日活の撮影所などがあるエリアだが、布田は染地の北のエリアで川からはかなり離れている。京王線の布田駅は川から1.3㎞くらいある。

 

 ただ、妙だと思うのは布田という住所は1丁目から6丁目まで、川から離れているのだが、それとは別に上布田町、下布田町という町名が残っており、GoogleMapによると、なんと郵便番号が〒182-0000なんだそうだ。場所は上の写真を撮った河川敷。京王線の鉄橋をくぐったあたりから遠方に見える取水堰あたりまでの河川敷が上布田町、更にその下流の河川敷に下布田町という住所がある。もちろん住民登録された人口はゼロ。なぜ、その町名がここだけ残されたのかちょっとわからない。

 

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 「布田」という地名は対岸の川崎市多摩区にもある。ちょうど取水堰のあたり。そういえば、多摩川の両岸に同じ地名があるというのはそんなに珍しいことではない。世田谷区の等々力、野毛、宇奈根、狛江市の和泉という地名は対岸の川崎市側にもある。これは多摩川がかっては相当に暴れていたことの名残りで、長い年月の間に何度となく洪水が発生し、新たな流れが集落を分断したということによるらしい。多摩川の氾濫の歴史はここに詳しい。

 

 河川の全域にわたって堤防が整備された現代では川が「暴れる」ということも少なくなったが、気候変動による台風の大型化は心配の種ではある。二子玉川で洪水が発生した2019年の台風19号の時は、私の住む日野市でも堤防の下3~4mのところまで水が来ていた。あと半日も上流で降り続けば危なかったかもしれない。気候変動は年々激しさを増している。それが実感できるレベルになってきたということを、恐ろしいと思わなくてはならないのだろう。

 

 

 

 

 

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