ここのところ、日本語教師の勉強に追い詰められて、余裕をかますほどの能力もなく、TVもつけずに机に向かっていたら、ホント、数十年ぶりに「ながら○○」から解放されて、ちょっと新鮮な気分。学生時代は「ながら勉強」なんてしたことなかった、というかそもそも勉強しなかった私が、何をするにつけても横でTVが何か喋ってるという、そんな生活があたりまえになってしまったのはいつの頃からだったのだろうと思うと、ちょっと思い出せない。
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そんなわけで、日本の衆院選もアメリカの大統領選にもかなり興味を失ってはいたのだけれど、この週末は実習もあったりして、とりあえず期日前投票に行った。で、国政選挙だけは必ず行くようにしているのだけれども、記憶する限りでは多分初めて、比例で自民党に入れた(小選挙区は白紙)。理由は単純で、どの野党も経済成長を語れない無策ぶりで、これじゃ裏金でどれだけ非難されようと、自民党に入れるしかないだろうと・・・。
なんだか消費税をなくせとか給付金をもっと出せとか、そんな話でPRすること自体が「経済無策」の証拠で、こんなポピュリズムに飽き飽きしないのかね???こんなことを続けるから人はどんどん働く意欲をなくす。私はそう思う。
アベノミクス信者はお金を刷りまくって、じゃぶじゃぶにして、せめてその金でケツぐらい拭けよと思うのだが、反省のかけらもない。それが今回の裏金選挙で公認を受けられなかったり比例に重複しなかったりで相当数落選した。非常にいいことだと思うし、過半数割れて、私はむしろ「石破、よくやった」と言いたいくらい。本当は自民党は下野すべきとおもうのだが、野党の体たらく見てるとここが限界かとも思う。高市であれ誰であれ、他の人間が総裁になってたらもっと結果は良かったかもしれないが、自民党への一般人の不信感はさらに根の深いものになっただろう。「禊」はすんだと言って良いのかどうかわからないが、「禊」なんぞどこ吹く風で支援する人間も結構な数いるわけで、有権者100%が納得する「禊」というのもあり得ない話。
石破氏が総裁になって発言がころころ変わるといってマスコミの総攻撃を受けたりしている。なんでもいいから記事ネタが欲しいマスコミにとって、政治に対する定見なんぞそもそもあってないようなもので、売れる記事のためには良心も投げ売りしかねない、そういう世界である。
たしかに一国の首相、総理総裁が発言をひっくり返せば大きな批判の対象になるのは仕方ない部分はある。ただ、ずっと派閥らしい派閥もなくひたすら本音を語り続けた人間がその本音だけで政治ができるわけないのは初めからわかっていたことで、それをごちゃごちゃいうのも大人げない。何かにつけ「現実はこうだから、、、」という人間、理想の無い人間を信用してはいけない。理想と現実が大きく隔たっているのは当然のことで、理想に向かってどうやってそこに近づくか、そこにこそ政治家の本懐があるはずで、言うことがころころ変わっても、本音はおそらく変わらないだろう。
私は思うのだが、人に嘘をつくのは簡単だし、そういう人間は多い。しかし、自分に嘘をつくのは簡単じゃない。自分に嘘をつく人間は人格にゆがみを生ずる。本音というものはそう簡単に消せるものではないのだ。
石破氏がどんな政治をするか、しばらくは期待してみてみたい。選挙に負けてアベ政治の尻ぬぐいから始めるわけで、総裁選直後から石破氏非難を続ける人々というのは、私には「負け犬の遠吠え」のように見えるが、ま、それはそれでお手並み拝見。
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ここまで書いてきて、一息入れていたら、こんな記事を見つけた。
「日本は働き手の「やる気」で世界最低...」(NEWSWEEK Japan)
そうか、やっぱりそうかと思ったりしたのだが、それ以上に深刻な問題があって、そのことに触れておく。
以前に当BLOGで紹介した「言語の本質」(今井むつみ・秋田喜美 共著)という本に書かれていた小・中学生の学力の低下について。
1)1/2と1/3のどちらが大きいかを尋ねると、5年生でも1/3の方が大きいと答えた子供の方が多く、正答率が50%を切っていた。0.5と1/3はどちらが大きいかという問いでは正答率が42.3%という低さ。
2)① 99/100<100<101/100 ②99/100<101/100<100 ①と②、不等式で正しいのはどちらかという問題で中学生の正答率がなんと、たったの36%(もちろん正解は②→あなたは大丈夫??)。
3)1/2+1/3に最も近い整数を0,1,2,5の中から選ぶよう求めた問題で正解の「1」を選んだ子供はわずか38.5%。51人中27人が「5」を選んだという。
著者は小学生の時に「もっとも基本的な分数の意味を理解していない、つまり分数の記号を接地していない」ために中学生になっても初歩的な問題すらわからない中学生が多くいることに警鐘を鳴らしている。「人間は、記号が身体、あるいは自分の経験に接地できていないと学習できない」と。
日本の教育はどうなるのだろう。いまや、小学生に英語やプログラミングを教える時代。算数が出来なくても電卓を叩ければ良しとする時代なのだろうか。煩雑な問題はAIにまかせて、これからは「問題解決能力」が問われる時代になるという人がいる。「問題解決能力」とはAIの上手な使い方のこと?つまり、電卓の叩き方がわかれば良いってわけ?
そんなことはあり得ない話で、「考える力」というのは算数であれ言葉であれ身体に接地した豊穣な感覚がなければ育つことがない。基本的な勉強すら理解できない者ばかりが増えて、しかも労働意欲が世界最低。どこにでもいそうな普通の若者が手軽に金儲けしようとホイホイと闇バイトに手を出し、人を殺す。そういう時代がもう始まっている。
そして、そういう時代に気づかない「政治」。手取りを増やすとか、給付金とか、消費税をなくすとか、そんなこと言ってる場合かと、私なんかは考える。